20年前の今日、JNN最終系列局のITV・あいテレビとANN第18局の秋田朝日放送が開局した日でした。


あいテレビ(旧名伊予テレビ)・TBS系

愛媛第三民放局は全国四波化運動の最初期の1985年に構想されて、461件の免許申請がありました。
愛媛第3局はTBSとテレビ朝日が共に進出を争いましたが、編成でかなり揉め、出資者がTBSと親交があった事もあり、「テレビ朝日系として愛媛第4局を開設する」事を条件にTBS系に決まり、結果としてTBS/JNN系最終系列局となりました。

直ぐに完全ネットになった訳では無かった
筋なら新局開局と同時に在来局から即座に移行する所ですが、既存局との契約の都合上、時差が起きある程度の時期を経てあいテレビへ完全移行し、珍しいケースとなりました。


秋田朝日放送 テレビ朝日系
地元のエゴに振り回された秋田の民放局 
秋田の第1民放局ABS・秋田放送はテレビ開局の際に親交の深かったTBSの前身・KRテレビとのネットを希望していました。
処が、同じくTBS系で開局する予定だった山形のYBC・山形放送が日本テレビ系で開局し、青森放送も契約の問題から日本テレビを選択した為、泣く泣く日本テレビ系となりました。
その後第2局の秋田テレビはフジテレビ系で開局するも、一時期はテレビ朝日とのクロスネットを組む羽目になりました。

TBSも進出しようとしていたが…
秋田第三民放局も全国四波化運動の最初期の1985年に構想されて、21件の免許申請がありました。 
1980年代にTBSは直々に秋田第三局として「秋田ホームテレビ」を開局しようとし、地元もTBS系列の開局を望んでいました。処が、それに横槍を入れたのはABSのスポンサーである秋田魁新報で、「秋田第三局は時期早尚である」とし、TBSの秋田進出を妨害・阻止してしまいました。
その後、TBSは秋田県の経済力の弱さを理由に秋田県での系列局の開局に難色を示していました。
当時の佐々木喜久治秋田県知事も「秋田県の第三民放局の開局は時期尚早」と県議会で答弁していました。
(2024.3.13・山形のはっちゃんの指摘を受け加筆)
なら、秋田第三局は日本テレビ系で開局し、ABSがTBS系へネットチェンジすれば平穏に済んだ筈でした。


結局、テレビ朝日系になる
平成に入り、秋田第三民放局は「愛媛第三民放局をTBS系にする」交換条件と、秋田テレビがクロスネットで実績があった事、秋田魁新報の利害、TBSも「経営基盤に難あり」と言い撤退した事が重なり、結局テレビ朝日系として開局する事になり、全国唯一の日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日の三局体制となり、前年の青森に続く東北進出となり、東北地区で唯一TBS系列局の無い地域となってしまいました。 
 
決して福音が無かった訳では無かった
しかし、テレビ朝日だからと言ってデメリットばかりでは無く、当時社会現象になったクレヨンしんちゃんと美少女戦士セーラームーンがやって来たのと、テレビ朝日では悲願だった日本シリーズの全国中継が可能になり、更に他の放送局が差し替えていた甲子園関連番組も放送可能になりました。

あいテレビと秋田朝日放送。どちらも地元で親しまれており、今日に至ります。テレビ朝日はその後思わぬ形でネット局を手に入れますが、それがTBSが最初に得損ねた青森・秋田・山形とは思いも寄りませんでした。