50年前の今日、YTS・山形テレビが開局した日で、開局から23年間はフジテレビ系列に所属していました。



複雑な経歴
フジテレビ系時代は当初はNET(現・テレビ朝日)・TBS・東京12チャンネル(現・テレビ東京)のそれぞれの番組も番宣番組としてネットされていました。

YTSは開局翌年の1971年には山形市に住宅展示場「YTSハウジングセンター」を開業させて、1973年~1975年には早くもゴールデンタイムにローカル番組の「どんぐり合戦」や「チャンネルはU」を放送するなど、開局当初から将来を明示するような事業や番組編成をしました。

5年目の1975年からはNETともクロスネットを組んでいました。
処が、顧問で山新グループ会長だった故・服部敬雄氏はNET改めテレビ朝日の番組が増大し、ネットチェンジされる事態を恐れ、10年目の1980年に再びフジテレビ系単独に戻し、YBC・山形放送をテレビ朝日とのクロスネットに組み直しただけでなく、YTSにもYBCから焙れた日本テレビ系番組を編成させ、フジテレビ系日曜夜のアニメとバラエティーは曜日違いの遅れネットで放送させました。

運命を狂わせたバブル期の多角経営
YTS山形テレビはフジテレビ系時代にFM山形の経営に参画しようとしていました。山形第三民放局と山形FMラジオ局は山形新聞もダミー申請を行い、服部天皇はFM山形の本社をYTS山形テレビの本社に併設させたかったようですが、マスメディア集中排除の影響でFM山形の本社は山形市内でもYTS山形テレビの本社から少し離れた場所に設置されました。
(2024.1.29・山形のはっちゃん指摘)
そして、テレビユー山形とFM山形の経営参加失敗を受け、バブル期に調子に乗り、バイオ科学研究所を始め、ハリウッド映画、OVA、クルーガー金貨発行等滅茶苦茶な多角経営を組み、第3局TUY・テレビユー山形に対抗しましたが、逆に自らの首を絞め、フジテレビに経営支援を要請するも当時のフジテレビ会長がワンマン且つドケチで厳格だった為、経営支援を拒否され、失意のまま服部氏も生涯を終えました。
しかし、そう言った悪い事ばかりだけでは無く、時期不明ながら特番ながら「なるほど・ザ・ワールド山形」と言うローカライズオリジナル番組を始め、1990年4月1日には開局20周年特番の「地球大好き!やまがた大好き!」を早朝から夕方まで延べ8時間に渡り生放送したほか、1991年9月1日には「スーパーアドベンチャー 山形探検・大冒険」をゴールデンタイムに放送しました。
「スーパーアドベンチャー 山形探検・大冒険」は世界陸上東京大会の閉会式がYBC山形放送で放送されたために空いた枠で放送されました。
(2024.1.29・山形のはっちゃんさん指摘)
「地球大好き!やまがた大好き!」は1993年4月1日のネットチェンジ特番「一挙5時間生放送!サンライズYTS」の参考になりました。
1992年7月1日放送の「山形新幹線開業特番 直結!360キロ・東京へ2時間半」は3部構成で放送された山形新幹線の開業特番で、長時間放送と同時に、フジテレビ系列時代に放送された最後の特番となりました。
また、フジテレビ時代の深夜にOVAを放送した事もあり、「バリバリ伝説」や、更に1990年には「トップをねらえ!」を平日夕方に放送した一方で、旧グループタック制作で「のぞみウィッチイズ」のOVAも発売していました。

テレビ朝日系へネットチェンジで再起を図る
フジテレビからの支援が宛てにならなくなったその時、株主の相馬大作氏はテレビ朝日系へのネットチェンジを提案、フジテレビは日枝久社長が就任し、経営支援も不透明だった事と、折りしもネットワーク拡大運動を展開していたテレビ朝日にとってもこの申し出は願ってもみない事で、1993年3月にフジテレビ系を脱退し、23年間のFNS系時代終わり、24年目にして、悲願だった本来のテレビ朝日系への加盟を果たしました。
しかし、YTS社内でもフジテレビ系からテレビ朝日系へのネットチェンジを疑問視する声が挙がり、「どうしてフジテレビ系を脱退する必要があるのか?」や「テレビ朝日系に移れば経営再建出来るのか?」とネットチェンジを疑問視するYTS社員もいたほどでした。


苦難の道のりと地域密着を目指したテレビ朝日系時代
1993年4月1日のネットチェンジ特番「一挙5時間生放送!サンライズYTS」で再出発した山形テレビ。
しかし、ネットチェンジの影響で視聴率も大幅に下がり、当初は経営も更に悪化し、スポンサー確保も苦労しました。
視聴率は期待出来ない分、YTSはフジテレビ系時代のゴールデンタイムにローカル番組を放送した1970年代の「どんぐり合戦」や「チャンネルはU」以来(2023.1.9・山形のはっちゃんさんからの指摘)のオリジナル番組を始め、地域密着に活路を見出す一方、折りしも社会現象となったアニメ・クレヨンしんちゃんと美少女戦士セーラームーンを始め、その後はアニメ・スラムダンクや、テレビ朝日バラエティー飛躍に貢献したウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー、目撃ドキュン!、ドラマ・はみ出し刑事情熱系、海外ドラマXファイル等ヒット作が相次ぎ、他局と遜色ないラインナップが徐々に揃い、ネットチェンジの傷も時と共に癒されていきました。
そして、アニメ・しましまとらのしまじろう、ギルガメッシュないと、開運!なんでも鑑定団などテレビ東京系の人気番組を番宣ネットを残した事もYTSがネットチェンジのダメージから立ち直る要因になりました。
タミヤRCカーグランプリ、ザ・スターボウリングはYTSではネットチェンジの前後を通じて番宣ネットされて、YTSのネットチェンジでもテレ東伝説が発動されました。
最もそれでもフジテレビ不在の不満を拭うには至らず、有志の手で山形第四民放局新設運動が展開。1995年に山形第四民放局の周波数が割り当てられて、1996年2月に山形第四民放局の免許が交付されました。そしてフジテレビ系代替局・さくらんぼテレビが97年4月に開局し、自身の体制固めに奔走しYTSを救えなかった日枝会長も歓喜し、正に「鬼の目にも涙」でした。

熟成した21世紀
処が、21世紀の2010年代に転機が訪れ、フジテレビの没落に反比例するかの様にテレビ朝日が視聴率トップに立つ事態が起き、YTSも視聴率が回復し、時にはトップに返り咲く事も起きました。 YTSは令和に入ってから深夜アニメの番宣ネットを本格化させて、Sonny Boy、黒の召喚士、ワールドダイスター、ライアー・ライアー、ダークギャザリング、フェーレンザイ、結婚指輪物語を放送しました。
テレビ朝日系列も土曜深夜に深夜アニメ枠でテレビ朝日発のNUMAnimation、ABC発のANiMAZiNG!!!を24局ネットで放送しており、地方のアニメファンからは重宝されています。
 地域密着も帯情報ニュース番宣・ゴジダスで完成を見、年4回テレビ朝日のレギュラー番組を休止し、やまがた四季特番を放送する程でした。
バラエティーやドラマが他局に匹敵するラインナップとなった反面、曾ての主力だったアニメ・特撮の保守・弱体化は切ない限りです。

結局フジテレビ系時代は黒歴史にならざるを得ないか?
やはり、前述の経緯からフジテレビ系時代の事は大っぴらに言う事が出来ず、公然の秘密にして黒歴史にならざるを得ないのかも知れません。