フィリピン移住の我が家の家計事情 | いつも笑顔で ☆ミンダナオ移住生活

いつも笑顔で ☆ミンダナオ移住生活

2024年68歳を迎え6月22日にフィリピンミンダナオ島南部サンタマリアタウンの嫁さんの実家にリタイア年金移住しました。

10月3日の木曜日、本日の天候は雲パラパラ小雨の気温28℃
涼しい朝でした。

昨夜はボラカイ旅行から夜遅く23時半帰宅して、疲れMaxでした。
クヤは大雨の中、ダバオからサンタマリアまでノンストップでの3時間に及ぶ運転でさぞ疲れたと思います。
フィリピンでの運転は日本とは比べものにならないくらい疲れます。

特に雨中での運転は路面もセンターラインも光って気が疲れます。
おまけにトライシクルやらバイクやらで気を遣います。

木曜日、いつものサンタマリアでの生活が再開しました。 
 


朝八時に起床し朝食

いつものネスカフェブラック、パンデサル、赤いホットドック(フィリピンではフランクフルトソーセージをホットドッグと言う)


ボラカイリゾートの朝食ブッフェのホットドッグとパンデサルの美味しさが懐かしい


道行くフィリピンの人々をウォッチング

何かイベントがあるのかバルーン持っている子が多い


このまったりしたモーニングタイムが今のところ一番気に入ってます。

長年の仕事から離れ、ストレスから解放されて今のところ天国の暮らし


ナイ(義母)がパパイヤを出してくれます。

この完熟パパイヤのおかげで毎日の便通も快腸



この日はお客さんがまったく来ませんでした。

いつもお得意さんのハイスクール女子の他は10人くらい? エレメンタリーの子どもたちはいません。通りを見てもエレメンタリーの子が歩いていない!

そういえば、朝もエレメンタリーの子たち見なかったっけ。


今週も月曜日からランチ業はオープンしています。

メンバーは嫁さんは不在なので義母、ジョーカー、メイドのチェリー、従姉妹のビアで廻していました。

前々から私は嫁さんにランチビジネスはもうナイ(義母)に任せなさい。と言っていましたが、これを機に全て義母に任せる事としました。


我が家(今まで嫁さんの実家と言っていましたが、これから我が家と呼びます。)での、嫁さんが帰ってからの生活ルールを嫁さんとナイで協定を結びました。


1.ジョーカーの月々のサラリーは今までナイが3,000ペソをあげていたのを、代わって嫁さんが支払う。

ジョーカーはあとカーウォッシュの売上げの50パーセント。


2.メイドのアテチェリーのサラリーは月に5,000ペソの半分を嫁さんが支払ってナイとハーフとする。


3.我が家のライスとプロパンガス代の半分を嫁さんが負担、電気代は全額ナイが支払う。



4.食費として一週間に2,000ペソ嫁さんがナイに支払う。


ナイの収入はカーウォッシュの奥にあるアパートの賃貸収入、山のファームのココナッツの収穫利益は全額ナイが受け取り

あと、カーウォッシュの売上げをジョーカーから半分入ります。


私は毎日のビール代を出しなさい。

と、言われています。

私は何も言いません。


一緒にいたナイに『ナ〜イ、美味しいもの食べさせてハ〜❓』と、

一言お願いしたら笑っていました。


ランチ業は木曜日から学校が休みだったそうで、金曜日は休みとします。