真夜中に思うこと | ~しなやかに生きる~

真夜中に思うこと

私は5年ほど前から

楽譜起こしの仕事もしています


昼間やればいいのですが

深夜のほうが頭が冴えて仕上げるスピードが早く

半分近くの時間で済むので

不規則なあまりよくないことのようですが

そこは割り切って朝方近くまでかかっても

途中でやめないで仕上げることにしています


今 今日の分をやっと終わり

寝ようかな、と思いましたが、

明日は土曜日で早く起きる必要もないので

今考えることでもちょっと書いてみます


最近たびたび起こる偶然みたいなもの・・・

それにちょっっとひっかかっています

今流行のそれは偶然ではなく必然である・・


といってしまえば、だからなに?

となってその先を考えなきゃいけなくなるし・・・


そういうことでは済まされないような

何かがあるような気もするし・・・


とにかく良くわからないけどここに記事を書こうとする前に

ある複数のブログの方と多少の差はあっても

内容が似ていたり、ほとんど同じだったり・・・


文の構成が元々違うので雰囲気は違い

種類分けしたら一見別のように見えるはずですが

書こうとすると同じようなことを考えてるんだなと

気づく場面に合い、


パクリと思われると困るな、と一瞬戸惑い

結局別のものにしたり・・・(笑)


お互いに読者になってるブログ限定ではありますが

なんかとてもやっぱり不思議ですよね


今までで一番びっくりしたのは

その時まさに全く同じ文章を書こうとしていたことがあり、


その1,2秒前というところで先に読ませてもらって

あまりの偶然に凍りついてしまいました


ちょっと書いてみますね・・・



この世に存在する目的は

相反するものを知るためだと

聞いたことがあります


温かさを知る為に

   冷たさを知ること


嬉しさを知る為に

   悲しみを知ること


   ・・・こういう風に冒頭から書くつもりでした


その時先にこのことを

そのまま他のブログで読んでしまうという・・・


やっぱり不思議体験ですね


きっと過去に同じ様な本を読んでいるのでしょうけど

驚きますね、タイミングに・・・


ついでに ここでちょっと前に書いた

タオと陰陽とこのかぶった記事と

うまく混ざったようなことが書いてある本の一部を

思い出したので書いてみます



儒教タオイズムという中国の二大思想のうち

神秘的傾向の強いタオイズムは

他の東洋思想に較べて慣習的知識や論理に対して

とくに懐疑的である


知性では絶対にタオを理解できないという強い信念が

その根底にあるからである


タオイストにとって論理的な考え方は

社会の慣習や道徳基準と同じ様に

人為的な世界のものでしかない


かれらはこの世にまったく関心をもたず

「タオの本質」を悟るために

自然の観察にすべての関心を注いだ


タオイストは、自然界のすべての変化を対極

すなわち「陰」と「陽」の

ダイナミックな相互作用のあらわれととらえた


対立関係にある対(ペア)は すべて両極が

ダイナミックに関連しあうひとつの極関係にある


タオの動きは、対極の絶え間ない相互作用という概念から

タオイストは人間のあり方に関する

ふたつの基本的なルールを推論した


まず、何かを得たいときには

必ずその逆から始めなければならない


                ・・・「タオ自然学」から



それに関して老子はつぎのように述べているそうです


    縮めるには、まず張らねばならない

    弱めるには、まず強めねばならない

    廃するには、まず興さねばならない

    奪うには、まず与えねばならない

    これを微明(びめい)という


一方、なにかを保つには、そのなかに、

それと反対のものを見出さねばならない


    曲がればまっ直ぐであり

    空であれば満ちており

    古ければ新しい



・・・これを思い出して本を開いてみる、

ということになるのも 何か因縁めいたものを

感じることでもあります



ある一部分の人達に起こる


たびたびのシンクロニシティ・・・



もしかしたら魂の還る故郷が同じの


ソウルメイトなのかもしれませんね