日曜日、友達の家からの帰り道だった。
道端のガードレールに片手をかけて、しゃがみこんでいるおじいさんを見かけた。
さとるは、近寄って声を掛けた。
「じっちゃん、どうしたんだ、病気か?」
おじいさんは、白い頭を上げてじろっとさとるを見た。
「何でもない」
と、言いながらおじいさんは、立ち上がろうとしたが、持っていたビニール袋が重かったのかふらっとよろけて、またしゃがみ込んでしまった。
「荷物持ってやらぁ」と手を出した。
「ほっといてくれ!」
つっけんどんな言葉にさとるは馴れていた。
さとるのじっちゃんも、自分に分が悪くなるとすぐ突っかかる癖があった。
特に「じっちゃん、もう年なんだからさ」とか、「自分の年もちったぁ考えてなんかしろし」なんて言おうものなら、それこそ、火が付いたように怒り出すのだ。
「いいから貸せよ、持ってやらぁ!」
さとるがわざと荒っぽく言うと、今度は素直に袋を渡した。
袋の中をのぞいて見ると、古ぼけたトランジスターラジオと新しい乾電池が入っていた。
おじいさんとさとるは、しばらくだまって歩いた。
「ここだ」
古い公営住宅の並んでいる路地の入口で、おじいさんが立ち止まった。
「この家か?」
さとるが、一番近い家を指さした。
「いや、一番奥の家だ」と、おじいさんがあごをしゃくった。
「んじゃあ、あっこまで持ってってやらぁ!」
二人は、危なっかしい敷石を踏んで路地の奥へはいっていった。
「ちょっと寄って、ジュースでも飲んでいかんか?」
ドアの鍵をガチャガチャさせながら、おじいさんが言った。
うなずいて、悟はビニール袋を持ったまま、おじいさんの後ろから家に入った。
「荷物は、その辺に置いといてくれ」板の間とキッチンがあった。
「じっちやん、一人か?」
「そうだ、一人だ。あがっておいで。いまジュースをあげよう」
畳の上に置かれた、小さな冷蔵庫から缶入りのジュース缶を出してくれた。
タブをパチンと開けて、立ったままジュースを一口飲みさとるは、あたりをキョロキョロ見回した。
部屋の真ん中に、木の小さな丸いテーブルの上に黒縁の黒い眼鏡が一つ、ポツンと置かれていた。
冷蔵庫のとなりに小さな茶だんすとその横に、きちんと畳まれた新聞紙が積み重ねられていた。
襖が少し空いていたので、隣の部屋が見えた。
奥の部屋の窓は塞がれているらしく、薄暗い部屋の奥に、チカチカと青や赤の光が見えて機械のようなものが見えた。
「じっちゃん、あれなに?」
飲み干したジュースの空き缶を手に持ったまま、さとるが聞いた。
「古くて新しいコンピューターだ。古い物でも使いようで、いくらでも新しくなれるんだよ。
これはまだ誰にも見せておらんのだがね。どれ、お礼にひとつ見せてやろうかな」
テーブルから黒い眼鏡を取ってきて掛けると、古いラジオと新しい電池の入ったビニール袋を手に持って、襖をあけて隣の部屋に入って行った。
しばらく、ガチャガチャ、ガタゴトと何か機械をいじっていたおじいさんが、隣の部屋からさとるを呼んでくれた。
「入っておいで、そこを閉めてな」
と、言いながら、ドカッとあぐらをかいた。
さとるは、立ちあがり後ろ手に襖を閉めて部屋に入った。
薄ぼんやりとした部屋の中、天井を見上げると何やら得体の知れないものが、ゴチャゴチャとぶらさがっていた。
「そこに座れ」
さとるは、ジュースの空き缶を手に持ったままおじいさんの隣に、同じようにあぐらをかいて座った。
古い形のゴッツいテレビが何台か並んで、その前に大小不揃いのパソコンがズラーっと並べられていた。
ビニール袋をガサガサさせて、赤いコードを引き寄せてプラグを差し込んだ。
「よし、これで音が出るぞ」
と、言いながら正面のテレビのスイッチを入れた。
チュイーンと音がして、青白い光の中におじいさんの横顔が浮かび上がった。
「海へ行ってみるか」
(海へ…って、ここで座ったまま?)
と、思ったがさとるは、とりあえず「うん」と返事をした。
おじいさんが、パソコンのキーを、パシャパシャと叩いた。
「キリキリ、コンコンコン…」と、奇妙な音がして天井が下がってきた。
続いて、紙がガサガサこすれる音や金属がぶつかり合う音、それにバサバサ布がこすれる音まで聞こえてきた。
天井が迫ってきて、二人の頭のすぐ上で止まった。
パソコンの上をおじさんの指がおどった。
「チュイイーン」
中央に向かって、半円形に並べられていた5、6台の古ぼけたテレビに、一斉にスイッチが入った。
辺りがパーッと水色になった。
「わーおっ!!」
さとるたちは、海の中にいた。
肌に水を感じるのだが、息はぜーんぜん苦しくない。
目の前を、金色の鱗をきらめかせて魚がスイーッと泳ぎ去って行った。
その向こうに、色鮮やかなサンゴの花畑も見えた。
蝶々のような艶やかな魚が、物珍しそうに目玉をキョトキョトさせながら、さとるの鼻の前にヒラヒラと近づいてきた。
(図鑑では、見たことがあるけど…)
さとるが手を伸ばすと、すばやく逃げてしまった。
「気をつけろっ、サメがいるぞ!」
おじいさんが、前を指さした。
サンゴ礁の大きな岩陰から、大きなサメがゆらりと出てきた。
岩の裂け目のような、細い目が不気味だ。
こちらに近づいてくる。
「早く、その缶を投げろ!」
さとるは、慌てて手に持っていたジュースの缶を、出来るだけ遠くに投げた。
つもりだったが…。
本当に水の中にいるのか、力いっぱい投げたはずの空き缶はさっぱり飛ばず、さとるの横でプカプカ浮いていた。
サメは、ジュースの匂いを嗅ぎ付けたらしく真っすぐこっちへ向かってきた。
「いかん。見つかってしまった!」
おじいさんが、ズイッと上に手を伸ばして、なんと、おもちゃの水中銃を取り出した。
狙いを定めるとシュパーと音がして、消しゴムのような先っぽが、白い泡を引きながらサメの鼻先をかすめて通り過ぎた。
サメは、ふたりの目の前すれすれで、ぐねっと大きな体をくねらせると、ゆっくり向きをかえて泳ぎさった。
「今日は、いかんな。あやつは、しつこいからまだ当分そこらに居るじゃろう。ほかの所にしよう」
おじいさんは、言いながら腰のベルトのあたりに手をやって、何かを押した。
ぶわーっと赤や黄色のまばゆい光が交差した。
あたりが緑色になった、と思ったら山のてっぺんに座っていた。
おだやかな風が吹いていた。
「おー、いつ来ても良い眺めじゃなぁー」
おじいさんは、あたりを見回しながら、気持ち良さそうに伸びをした。
さとるも、さっそくまねをして大きく深呼吸した。
空気が甘く感じられた。
雲の海の中から浮島のように頭を突き出した山々が、遠くまで連なって見えた。
足元には見たことのない高山植物が、小さな花をいっぱいつけて咲き乱れていた。
ビュワーッ
いきなり、強い風にほっぺたをひっぱたかれた。
山のふもとにたむろしていた雲が、黒いかたまりになってけわしい山肌を、不気味に這い登って来る。
たちまち黒い雲にすっぽりと包まれた。
突然、バケツをひっくりかえしたような冷たい雨が、降ってきて肌を刺した。
「いかんな、山の天気は変わりやすい」
おじいさんは雲の中に手をのばして、ひょいっと、黒い棒のような物を取り出した。
パチンと黒い傘が広がった。
が、強い風に、あっと言う間におちょこになってしまった。
しかし、おじいさんは、少しもあわてず、今度は、カシャコショと水色のビニールシートを引っ張り出した。
「ほれ、これを頭からかぶろう」
二人が、ビニールシートを広げているうちに雨が雪になった。
あたりは、たちまち真っ白になった。
「これは、たまらん。テレビだ、テレビのスイッチを切らんといかん」
おじいさんは、寒さでふるえる手を、前に伸ばそうとしたが、固くなっていて自由にならない。
さとるは、手助けをしようと、立ち上がった。とたんに、雪に足をとられて前につんのめった。
「ガシャ、カシャッ」
倒れ込んださとるの指が、何かに触った。
シュワ―――ッと暗くなった。
雪が消えた。
山も消えた。
薄暗がりの中でおじいさんが、座ったまま頭をかいて笑っていた。
あたりには、なぜか新聞紙がちらばっている。
「いやあー、ごめんごめん、失敗だった。冬山とはな、危うく遭難するところじゃった。しかし、君のおかげで助かったよ」
おじいさんは、ちらばった新聞紙を集めて丁寧にたたみながら言った。
さとるも真似して、丁寧に拾い集めて畳んだ。
集めた新聞紙を、ひざの横に置くと、おじいさんは言った。
「ありがとう。どれ、お礼ついでに、もうひとつ行かせてあげようかな」
水色の光があふれた。
さとるとおじいさんは、真っ青な空のまっただ中に、あぐらをかいて座っていた。
尻の下には何もない。
さとるは、思わず、立ち上がろうとした。
「いかん、立ってはいかん。座れっ!」
おじいさんが両手をふりまわして叫んだが間に合わなかった。
さとるの体が、グラッとゆれて真っ逆さまに下界へ…体がギュンギュン落ちて行く。
あまりのスピードに息も出来ない。
地面がグングンせまってくる。
もう、人も車もはっきり見える。
「ガシッ!!」
ズボンのベルトが強く引かれた。
体が、ふわっと浮いた。
おじいさんの手が、さとるのベルトをがっしりつかんでいた。
ぶら下げられたまま首をねじって、上を見るとおじいさんがもう片方の手に赤と白のパラシュートの綱をしっかりにぎって、すました顔で空中に浮いていた。
「私ゃ両手がふさがっとる。すまんがのー、ベルトに挟んであるポケット・ベルを押してくれんか?」
おじいさんは言いながらすごい力で、さとるをグイと引っぱり上げた。
手をいっぱいに伸ばすと、何とかおじいさんのポケット・ベルに指先がとどいた。
「ゼロを、三つだ」
「ゼロ、ゼロ、ゼロ」
さとるが、口で言いながらなんとかボッチを押した。
「ベチョッ」
さとるは、お爺さんの隣にカエルのようにはいつくばっていた。
「立ち上がっては、いかんのだよ」
おじいさんは不機嫌そうに言って、立ち上がるとふすまを開けた。
隣の部屋は、夕焼け色に染まっていた。
「もう、帰れ」
「はい。でも、また、来てもいい?」
と、さとるが聞くとおじいさんは黙ってうなずいた。
さとるは、部活や宿題に塾もあって、次の日曜日までおじいさんの所へ行けなかった。
日曜日、早めに宿題を済ませて、公営住宅の路地の所まで来た。
入口をふさぐようにして、大きなトラックが止まっていた。
目の前のブロック塀によじ登ってトラックの荷台をのぞいて見た。
古びたテレビや大型のパソコン、それに機械やコ─ドが、ごちゃごちゃと絡み合ったまま放り込まれていた。
見覚えのある小さな冷蔵庫と茶だんすもあった。
一番手前の家から、白い前掛けをかけたおばさんが出てきた。
塀から飛び下りて聞いてみた。
「あのー、一番奥の家にいたじっちゃん、どうかしたん?」
「あら、あんた、あのじいさんの知り合いかい。一昨日にさ、救急車で病院に運ばれたんだがね、亡くなったんだと。いま、娘さんちゅう人がトラックで来てさ、じいさんちのいっさいがっさい(あらゆる物全部)を、「ゴミ」だって言いながらトラックに放り込んいるよ。よくもまあ、あのじいさん、こんなガラクタの中で暮らしていられたもんだ」
おばさんは、首をふりながら行ってしまった。
一番奥の家から、女の人がひとりと男の人がふたり、みんな両手に大きなゴミの袋をぶらさげたまま出てきた。
三人は、袋をトラックの荷台に放りこむと運転席に乗り込んで行ってしまった。
トラックの排気ガスに顔をしかめてあるきだすと足にコツンと何かが当たった。
拾い上げると、使い古しの乾電池だった。
『古いものでも使いようで、いくらでも新しくなれる。これは古くて新しいコンピューターだ。まだ、誰にも見せていないんだが』
おじいさんの言葉がよみがえってきた。
(あれは、じっちゃんの大発明だったんだ。)
おしまい。