かつてNHKのドキュメンタリー番組でフジコ・ヘミング氏がタバコをくゆらせながら「ラ・カンパネラ」を弾いた時、それを聴いていた私の率直な感想は「うわっ、演歌だ・・・」でした。これ、日本人にはすっごくわかりやすい表現じゃないか?と思ったら、案の定反響は絶大だったようです。私のようにクラシックに疎い者にはむしろ、とても素直に、むしろ抒情的に響く音楽でした。その後有名になってCDや演奏の機会も一気に増えましたが、あの一番最初のドキュメンタリーの中で聴いたフジコの衝撃はついぞ再現されなかったように記憶しています。
 
 リストのラ・カンパネラは、それこそピアノ名曲集のようなCDアルバムやNHKの「名曲アルバム」などでも聴く機会がわりとあるわけだけど、確かにみんなプロの演奏だから上手いんです。確かに「美しい」音色だし、「正確さ」とか「テクニック」とかすばらしいんだけど、でも、フジコを聴いちゃった後では全然面白くないんですよね・・・。つまり、欧米の演奏家には、あの楽譜を見てもフジコのようには「見えていない」し「聞こえていない」んですよね。それってやっぱり「日本語」をベースに持ってるかどうか、つまり、日本の風土の中で育ったかどうかの違いだと思うんですが、皆様どう思われますかしらん。。。
 
 話は変わりますが、岡田英弘氏の「この厄介な国、中国」という著作の中でおもしろいことが書いてありました。伝統的に中国語の表記を担ってきた漢文は情感を表すことができなかったというのです。漢詩がいかにも情感を込めて歌われているように思われるのは、それがレ点返り点など駆使して、既にいわゆる漢字仮名混じり文という「日本語」になっているからなのだと。
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 かつては中国人の知識人ででさえ四書五経などの漢籍は漢字の羅列でしかなく意味不明だったのだと。日本に留学していた魯迅などが日本語のすばらしさに触れて感化され、帰国してから中国語の日本語化を試みたようですが挫折したのだと。「阿Q正伝」はいかんともしがたい母国を痛烈に皮肉ったものなのだと。最近になって助詞や助動詞を入れたり、ルビをふる工夫をするようになって、ようやくなんとなく読める中国語にはなってきたようですが。


以下引用

 台湾のバイリンガルたち

台湾は半世紀にわたって日本の支配下にあり、その後は大陸から渡ってきた国民党政府の支配を受けた。したがって、台湾人の中には日本語と中国語を同じように話せるバイリンガルが少なくない。

 そうしたバイリンガルたちと付き合っているうちに、私は面白いことに気がついた。というのは、彼らが中国語で話しているときには、まことにギスギスした態度なのに、日本語で話しはじめるとそれが一変する。いかにも物腰が柔らかくなって、これがおなじ人間なのだろうかと思うほどである。
 
 私がそれに最初に気がついたのは、始めて台湾に行った1962年のことであった。
 台北では中央博物館の館長さんにお目にかかり、秘書の女の子にいろいろとお世話になった。この女性はなかなかの美人であり、我々に対してきめ細かくサービスしてはくれるのだが、その態度はいただけなかった。まったくのビジネスライクなスタイルであり、にこりとも笑ってくれるわけではない。無表情で、ギスギスした感じと言ったら分かっていただけるであろうか。これは彼女に限った話ではなく、中国人全体に共通しているスタイルである。
 
 ところがその翌日、街でばったりその女性に会った。そのとき、彼女は私たちに日本語で話し掛けてきた。早稲田大学に留学していたというから、日本語が使いたかったのであろう。
 そうして日本語で話す彼女は、前日とは別人のようだった。なにしろ、愛想がいいのである。表情が柔らかいし、口に手を当てて「オホホホ」と笑う姿は、まるで日本人女性を見ているようであった。
 
 言葉とは、それほどの力を持っている。彼女は中国語を話しているときには中国人になり、日本語を話すときには日本人になっていたのである。