「三っ児の魂、百まで」小さな心に刻まれた思いは一生消えない。だからこそ、
命を産み育てるお母さんと過ごす時間がとても大切なのです。
おかあさんのいる台所は聖域です。
なぜなら、もっとも大切な「命の教え」を子ども達に伝える場所だからです。
「食育」とは、決して栄養バランスの説明などではないのです。
我が家にもこんなエピソードがあります。
ある時、トントントン、台所で包丁の音がすると娘(当時3歳)が寄ってきました。
ママが冷蔵庫からお魚のパックを取り出しました。娘が尋ねます。
娘:「おかあさん、これなあに?」
ママ:「お魚よ。」
娘:「ううん、この赤いの・・・」
ママ:「これ?これはお魚の血よ?」
娘はしばらく黙って眺めていましたが、眉をひそめながら言います。
娘:「おかあさん、お魚よそうよ。お肉にしようよ。」
ママ:「そう?お肉にする? じゃあね、お肉ってなんだか知ってる?」
娘は不思議そうに母親を見ます。
ママ:「ブタさん知ってるかな?」
娘:「うん、ブーブー♪」
ママ:「そう。このお肉はね、その豚さんを殺して分けてもらったブタさんの体なのよ?」
娘は「えっ」と言葉を飲み込んで
娘:「じゃあ、じゃあ、サラダにしようよ~」
ママ:「そう? サラダもいいわね~」
娘:「うん♪」
安心した表情の娘。しかし、母親はさらに続けます。
ママ:「あなたの好きなポテトサラダになるジャガイモさんはね、ジャガイモの
子ども達なの。あなたと同じね。」
娘は母親を食い入るように見つめます。
ママ:「本当はね、ちょうどあなたがぐぐっと手足を伸ばすように、根っこと芽を
伸ばして、土のお母さんからお乳のかわりに栄養のあるお水をもらって、
お日様からはパパみたいに『がんばれ~』って応援してもらって、どんどん
大きくなるハズだったの。それをあなたはおいしって食べてるのよ?」
娘はいよいよ覚悟を決めて言いました。
娘:「じゃあ、ごはんだけにする!」
ママ:「ごはんはね、お米から作るのよ。お米って知ってる?」
娘:「知らない・・・」
ママ:「お散歩に行く時、田んぼの横を通るでしょ? ほら、オタマジャクシがいたり、
トンボさんが飛んでくる。。。
その田んぼで育ててるのが、お米になる稲っていう植物なの。」
娘:「うん・・・」
ママ:「秋になると稲の先に粒々の実が沢山なるの。稲穂といってその一粒一粒が
稲の子ども達。それを田んぼに蒔くとまた大きくなってお母さんになって、
またたくさん子ども達をつくるの。」
娘:「くりかえすの?」
ママ:「そう! 繰り返すのよ。それが命なの。稲の子ども達の殻を取ってお米にして
それがごはんになるの。ごはんを食べてあなたのお腹の中に入ったその稲の
子ども達は、もうおかあさんになれないね。そしたら繰り返しは止まっちゃう。」
娘:「どうして食べるの?」
ママ:「あなたの体はね、そうやってたくさんの命を分けてもらって大きくなるの。
ブタさんやニワトリさんの元気をもらって、お米や野菜の子ども達がぐんぐん
育つパワーをもらって、私達は元気でいられるのよ?」
娘:「うん・・・」
ママ:『いただきます』って言うでしょ?」
娘:「うん。」
ママ:「それはね、『大切な命をいただきます』ってことなのよ?」
娘:「卵も?」
ママ:「そうよ?卵は大きくなるとニワトリさんになるのよ?」
娘:「え~」
ママ:「かわいそうと思う?」
娘:「うん・・・」
ママ:「そうだよねぇ。食べるものがなくなっちゃっうねぇ。困ったねぇ・・・
でもさ、お米やジャガイモさんは、あなたに食べられて悲しいかな?」
娘:「ん?」
ママ:「毎日ごはんをちゃんと食べてるあけみちゃんがね、とても素敵な子だとするよ?
ピアノの練習がんばってる。
お母さんのお手伝いもしてくれる。
幼稚園で先生のお話をよく聞いてる。
お友達が困っていたら助けてあげてる。
チャボ当番もいっしょうけんめいやってる。
それが、ぜ~~んぶ「俺たちを食べたあけみちゃん」がしてるんだ~ って
わかったらどう思うかなぁ?」
私:「スゴ~~ィ!こんなスゴイあけみちゃんのお役に立てるなら、
もうどんどん食べてもらいたいっ! 食べてもらってよかったな~~~~♪」
(ずっと聞いてたパパでしたが、ここで陰の声 ・・・ 笑)
娘:「あはは♪」
ママ:「ねっ? ブタさんも鶏さんも、ニンジンさんもキュウリさんも
お米もジャガイモも、自分ではもう命をつなぐことはできないけれど、
代わりにあなたがつないであげられるの。
植物はじっと動けないけれど、あなたに乗っかればいろんなことができる。
ブタさんは絵本を読むことはできないけれど、あなたならできるのよ?
ごはんやお肉や野菜を食べて、みんなにあなたの応援団になってもらって、
そしたら今度はあなたがみんなの命の応援団になってあげてね♪」
娘:「は~い♪」
娘はそれから、ママといっしょに台所にいることが多くなりました。
そして、包丁の使い方もママに教わって、3歳にしてキャベツのせん切りも
できるようになりました。
命を慈しむ心は、「生きている命を食べる」という現実を受け入れることなしには
育むことはできないと感じています。
「血となり肉となる」という言葉の本当の意味を子どもたちが理解したならば、
自分の中に取り込まれた多くの命のために自分はどうあるべきなのか、大人が
ガミガミ言わなくても子ども達は自ら応えを出すものです。
食べ物が生々しい「命の姿」と結びついているからこそ、好き嫌いをしない、
食べ物を粗末にしない、のは当たり前の話になって、それは強い信念となって
やがて他者への思いやりの心のベースとなってゆくのです。
娘が通っていた頃、幼稚園ではチャボを飼っていたのですが、子ども達が餌の当番を
していて、キャベツやレタスを与えていました。
先生がそんな娘の包丁さばきを見てびっくりされていたことを、前回のキャベツの
千切りの記事を書いていて、なんだかなつかしく思い出したのでした。