古代出雲の王国は、かつてソロモン王時代に黄金を求めて
世界中に入植地を築いたタルシシ船とよばれる大型船で
やってきた人々の末裔が築いた・・・かも。


一方、九州北部、宇佐を中心として国東半島から阿蘇地方に
王国を築いた人々や、九州南部、西都原に都を置き、霧島から
鹿児島にかけて王国を築いた人々も海を越えてやってきていた。



出雲大社の本殿脇には「筑紫宮」というのがあって、大国主神の
妃、多紀理比売命をお祀りしています。
これは、「出雲と北部九州がひとつになった」古事を暗示しています。


また、ヤガミヒメに求婚しに出かける途中の大国主の兄さま達
(八十神)にイジメられた稻羽之素菟が、助けてくれた親切な大国主に
「あなたが姫をゲットします」と予言する話が古事記にあります。

いわゆる「因幡の白兎」の神話ですが、予言の通りめでたく大国主と
ヤガミヒメは結婚したわけです。


ちょ~っとまったぁ~!


大国主の正妃はスサノオの娘のスセリ姫ということに
なっているわけです。
というわけで、スセリ姫が妬くわけなのです。


そして、スセリ姫からのラブレターが届くと、「おお、愛しい人。
私が悪かった。」といって今度はヤガミヒメを放っぽって国へ帰る
わけです。


スセリ姫はしてやったり、と。(笑)


何が言いたいかというと、大国主はイイ男♪
ではなくて、まぁ実際確かにイイ男だったに違いないのでしょうが、
そうやって各地の豪族の姫と婚姻関係を結んで国を大きくしたのだと。


そしてこの大国主の出雲が、日本の原風景なのではないかな、と。
つまり国際色豊かで、稲作技術がどんどん広がってゆく=国が大きく
なってゆく。高度な技術を持ち、穏やかな国民性を象徴する大国主。



例のウサギがワニを並べて数を数えながら対岸へ渡るモチーフは、
実は東南アジアにもあるのです。例えば、ウサギではなく鹿が
「ソロモン王の命でお前達の数を数えるから並べいっ」とか言って。


それから、ガマの穂で手当する手際のよさなんざぁ見事でしょ。
ちょっとした医療技術の高さを思わせるじゃないですか。
もっとすごいのは、実は大国主は、一度死んで甦っているのです。


例の兄貴達に「赤い悪イノシシがそっちに行くから捕まえろ!」と
いわれて組みついたのが、なんと真っ赤に焼けた岩だったのです。
兄貴達が大国主を騙したのでした。


大国主は命を落としますが、蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と
蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)の介抱によって助かるのです。
<天前社>(あまさきのやしろ)にこの2柱がお祀りされています。


とまあ、記紀神話には、当時の世界各地の神話や英雄伝や様々な
モチーフと、実際の史実も切ったり張ったりして渾然一体となって
溶け込んでいる・・・


つまり、古代日本はそういう世界感を醸していたということです。
ものすごく、インターナショナルな、グローバルな地域だったのだ、と。



多紀理比売命は宗像(ムナカタ)3女神の1柱であられます。
そしてこの3女神とは、アマテラスとの誓約(うけい)に
よって、スサノオの剣から生まれた姫神様ということなのです。


つまり、宗形3女神はスサノオの娘としての位置づけなのです。
剣から生まれるということは、実際は闘いによる征服劇がそこに
あったのでしょうが、スサノオは大国主の義父に収まったカタチだ。


宗形氏は、古事記に「胸形」と表記される海洋民族として
知られています。


そのムナカタ氏が祀る神が、朝鮮半島から九州へ渡り来る
玄界灘の島の要衝にお祀りされているのです。
出雲-九州北部-朝鮮半島との密接な関係が伺えますね。


かつて北九州と朝鮮半島にまたがる王国が存在し、金管加羅と
よばれました。王家は金氏を名乗った。この王家は後に新羅を
建国し、またその同族はやがて天皇家になってゆくのです・・・


「加羅」=「伽耶」=「韓」なのです。
かつて出雲の古名は「アラカヤ」つまり、下伽耶でり、
一方、朝鮮半島南部は「上伽耶」つまり「ウガヤ」であったのです。



さて、「宗形」とは「胸形」であり、「胸肩」とも言えますね。
「胸肩にかかる3」といえば、連想するのはオリオン座のベルト、
あの三ッ星でありましょう。


八幡神社に祀られるヒメ大神とはこの宗像3女神であり、
応神天皇と神功皇后と共に祀られていることからみて、九州北部
-出雲-朝鮮半島-新羅さらにペルシャとの繋がりも見えるのです。



オリオンが夜空に躍り出る時、必ず、どうしても、嫌でも
視界に入ってくるものがあるハズなのです。

冬の夜空に、ひときわ明るく輝く星・・・ そう、シリウスですね。


実は、古代ペルシャの帝都ペルセポリスは、シリウス信仰の
聖地であったのです。そして、さらにオリオンをたどれば、
いわゆるエジプトはギザのピラミッドに行き着くのです・・・


夜でも正確に方角を知り、正しく進路を取り、また位置を
知るには、星を読む技術が欠かせません。
海洋民族はそれを持っていたのでしょう。


また都市建設や神殿建設、また大和盆地に点在する
巨大な前方後円墳を造営するためには、測量技術、土木技術が
必要であったはずなのです。


つまり、古代日本にやって来た様々な民族、氏族は、
それぞれに当時最高水準の技術や文化を携えてこの日本の地に
降り立ったのでありました。


そして言葉も違えば顔つきも違う、様々な民族と氏族とが縁を
結び合い、その文化や価値観までもが、既に2000年以上も前に、
この日本において融合していたのです。


古代日本こそ、まさしく世界平和のお手本であり、雛形なのです。


世界がその古代日本に学び、和平を実現できるか否か。
今、歴史の大転換点にあるのです。


くぅ~ ロマンですねぇ・・・