あなたの中に「信じることのできない対象」があるならば、
その対象が人であれ神であれ、そのことが示すことはひとつ。
それは、あなたの中の、その「信じられない心」こそ、
あなたが真我に拠ってはいないことを証明しているということ。
なぜなら真我とは神であり、神とは善悪を超えた存在であるからだ。
善悪2元に分けようとする行為こそが、神と袂を分かつもの。
なぜなら、隼人も、新しい地球も、一体化をめざしており、
それは、神の御心に近づくために神からいただいた課題であるからだ。
信じることの大切さを学び
信じることの温かさを学び
信じることのパワーを学ぶ
我々はかつて理科の時間に習ったことがある
同じ炭素原子からできているのに、
黒鉛とダイアモンドでは
そのパワーと輝きが雲泥の差である
ダイアモンドの強さは炭素原子の結びつき方に由来する。
確かダイヤモンドは共有結合性結晶というのである。
科学的な説明は専門家に譲るとして、
言霊的には直感的に理解できる。
すなわち「共有」の意味するところだ。
つまり「分かち合っている」のだ。
ダイアモンドは炭素原子同士が電子を出し合い
互いに分かち合って美しい構造を作っている。
「私の電子はみんなの電子v
みんなの電子は私の電子♪」
言ってみれば、「あなたは私、私はあなた」を物質化・現象化
しているのであって、手を繋いだ仲間同士が我彼の区別なく
信頼し合い信じあう姿が、最強の硬度と無類の輝きを放っている。
同様に、我々隼人の仲間は「信心」を分かち合って
大きな美しいハートを共有し、未来の地球を創っている。
我々の心神(意識)は、その信心(不動心)によって支えられ
身心(心と体)を支えている。(ややこしいね・・・笑)
信心を失ったり、分かち合えなくなったとき、
人は「心神喪失」といって自分を見失い、精神が分裂して
体に変調を来たすのである。
神と共にありたい魂は、
自我の暴走についてゆけなくなって離れてしまうのだ。
人間に転生する魂(心神)は、進化した魂だよ。
人間は神に似せて創ったということだもの。
その魂(心神)が抜けたような状態になれば、
頭がおかしくなっちゃうんだよ。
人間じゃなくなるというか、動物と変わらなくなる。
神経というでしょ?
神の道ですよ。
失神というでしょ?
意識を失うとは、神(とのつながり)を失うということ。
乗り舟である肉体から、意識(心神)が離れる状態だ。
昔の人は、ホントによくわかっていたのだと思う。
でも、我々だってちゃんと学べば理解できる。
その学びの機会を与えてくださったのが、
S...さんであり、りんごさんなのです。
でも、我々と同じ人間ですよ。
間違いもあるし、感情もある。
恥もかくし、勘違いもする。
それが何だっていうのさ!
⑥だって元は神じゃないか。
神から生まれた神の子だよ。
つまり、⑥でさえ神に内包されている属性であって、
それを含めて神は全てを受け入れ抱きとめているんだ。
神の中にあるのなら、当然我々の中にもある。
神に似せて創られたんだから。
体の中にひとつやふたつ、傷や出来物や痛いところが
あるじゃない?
だから、体のことを思えるし、ケアしようとする。
やらしいことやズルイこと思ったりする心が
誰にだってあるでしょ?
その⑥的属性をひっくるめて「自分」なんだよ。
もし神の計画に必要とあらば、人間の中に、神の属性としての
マイナス面をあえて出すこともあるハズでしょうよ。
学びのために。
それを忌み嫌い無かったことに見なかったことにしてたら
真我には決して到達できない。
何より自分に対してそんな偏った見方をしてたら
他人を見る目も偏るに決まってる。
自分の中の悪を自覚し認め、受け入れ、許す。
そしてそれに囚われない、執着しない、引っ張られない
自分になるよう努力してゆく。
それが霊性の修行なのではないのでしょうか。
決して、霊能力やチャネリング能力を得ることが
霊性修行ではないのだ、ということ。
決してね。
心の統御、そしてその先にある平安。
その平安をベースに皆が善行を愛行を続けたら
地球が良くならない訳がないのです。
それこそが、霊性向上の成果になるんじゃないの?
それを目指しているんじゃないのですか?
でもね、大切なことは一人一人の霊性修行や霊性向上は
あくまでも「手段」に過ぎない、ということなんだよ。
我々はもっと大きな目的のために集ったハズです。
なに停滞しちゃってるわけ?
なに傍観してるわけ?
もう、早くやろうよ~~~
ってか、ずっと続けてやってますから。