どうもね、今回のソロモン群島の地震は
神々が何かを伝えようとしているように思えてならない。
未だ傷痕の全く癒えていない東日本大震災にしても、
不平不満を撒き散らし平和ボケした怠惰な日本人に対して
「眼を覚ませ!」とお叱りをいただいたとしか思えない。
石原前都知事の「天罰」発言にしても、東北の人を指して
言っているのでは当然なくて、恐らく多くの日本人が感じた
「心の声」を代弁するものであったと思う。
というか、そのように感じることこそが「日本人」らしさで
あって、誰に教わったわけでもなく、民族の歴史と伝統の中に、
魂の中に、脈々と受け継がれる何かがあればこそ、だと思う。
この辺りの感覚はTOKYO MXTV「西部邁ゼミナール」の中で
議論されているので、ご興味のある方はぜひ御覧ください。
復興めぐる国家観歴史観
http://youtu.be/YZynXyOia8s
復興めぐる国家観歴史観【2】
http://youtu.be/dgTJgps0AbU
復興めぐる国家観歴史観【3】
http://youtu.be/2ddZTpL3_Fc
今回私には、この「ソロモン」というキーワードが
どうも心にひっかかってくるわけです。
心がうずくといいますか・・・
ご存知のようにソロモンとはユダヤ王国最盛期の王の名で
ありまして、彼の建てた宮殿は黄金に輝いていて、世界各地
からの物産品であふれかえっていたといいます。
そして彼の父こそは、歴史に名を残すユダヤ王国最強の王
ダビデその人でありましたが、臣下の将軍を戦場に送り出し
そのスキに人妻を寝取って産まれた子がソロモンでした。
そのために、ダビデは将軍から怨みを買うことになり、
末代に禍根を残すことになるわけですが、息子のソロモンの
繁栄までは神に約束されておりました。
ソロモンは、いわゆるレバノン杉を使って巨大な船を建造し
航海術に長けた海洋民族であるファニキア人の王と組んで、
黄金を求めて世界各地に進出しました。
その船はタルシシ船とよばれ、組み立て式であったために
分解して部材として運べるので、なんと「山を越える船」
でもあったのでした。
この船のおかげで、ソロモン時代にはアフリカはもちろん、
インドや東南アジア、中国、はもとより、はるか日本にまで
黄金を求めてやって来ていたのではないか、と推察されます。
このタルシシ船に乗ってフェニキア人と共に日本にやって来た
乗組員を構成する人々の中に、技術集団であるエブス人が
いました。
エブスの名はアビシニア高原に由来し、ソロモン朝当時の
ユダヤ王国を構成する民の多くを占めていたようです。
彼らは長い航海の果てに日本近海にたどりつき、国東半島に
上陸してちょうど宇佐八幡のあたりに定着したようです。
なぜならエブス人は製鉄の民であり、おそらくその地は
鉄の資源に恵まれた土地柄であったのでしょう。
土着の民と上手く融和して、後に神武ら天孫族に滅ぼされる
まで、九州の地に約千年続く平和な国家を築き上げました。
この穏やかで智慧のあるエブス人を土着の民は、後々まで
「エビスさま」と慕っていた、というわけですね。
「鉄」の古い字は、金へんに夷と書くのです。
「夷」はエビスと読みますよね。
本来、地球全体の大きな歴史の流れの中に、わが国もあるわけで、
韓国や中国が、元々俺たちが元祖だ、日本の文化は俺たちの真似だ
とかいう主張も、チャンチャラおかしな話になってくるわけです。
我々の予想に反して、当時の世界は、既に狭かったと
言えそうです。
旧態依然の考古学者は、自分達の狭い研究領域を踏み出す
勇気が無いのか、それとも出る気などさらさら無いのか、
「理解できない」ことは無視してしまうようです。
たとえば先般古墳から巨船を模った埋葬品が出てきましたが、
するともう思考停止してしまうのです。
そして苦し紛れに勝手なことをのたまう。
「これはきっと、天国へ旅立つ様子を表現するために、
想像上の大きな船を描いて形にしたものだ・・・」とかなんとか。
違うでしょ。(笑)
「かつて自分達が乗ってきた船であり、今なお若い世代が
その航海術を活かして交易を行っている、生活に密着した
必要不可欠な必需品としての大切なもの」なんじゃないの?
だから、埋葬品に入れるんじゃないの?
黄泉の国でも同じように活躍できるように。
歴史の残した数々の遺品は、その当時の「今」を切り取る、
躍動感あふれる、生々しい「現実世界」を写したものでは
ないのでしょうか。
だって、当時はビデオも写真もないんだからさ。
神々が何かを伝えようとしているように思えてならない。
未だ傷痕の全く癒えていない東日本大震災にしても、
不平不満を撒き散らし平和ボケした怠惰な日本人に対して
「眼を覚ませ!」とお叱りをいただいたとしか思えない。
石原前都知事の「天罰」発言にしても、東北の人を指して
言っているのでは当然なくて、恐らく多くの日本人が感じた
「心の声」を代弁するものであったと思う。
というか、そのように感じることこそが「日本人」らしさで
あって、誰に教わったわけでもなく、民族の歴史と伝統の中に、
魂の中に、脈々と受け継がれる何かがあればこそ、だと思う。
この辺りの感覚はTOKYO MXTV「西部邁ゼミナール」の中で
議論されているので、ご興味のある方はぜひ御覧ください。
復興めぐる国家観歴史観
http://youtu.be/YZynXyOia8s
復興めぐる国家観歴史観【2】
http://youtu.be/dgTJgps0AbU
復興めぐる国家観歴史観【3】
http://youtu.be/2ddZTpL3_Fc
今回私には、この「ソロモン」というキーワードが
どうも心にひっかかってくるわけです。
心がうずくといいますか・・・
ご存知のようにソロモンとはユダヤ王国最盛期の王の名で
ありまして、彼の建てた宮殿は黄金に輝いていて、世界各地
からの物産品であふれかえっていたといいます。
そして彼の父こそは、歴史に名を残すユダヤ王国最強の王
ダビデその人でありましたが、臣下の将軍を戦場に送り出し
そのスキに人妻を寝取って産まれた子がソロモンでした。
そのために、ダビデは将軍から怨みを買うことになり、
末代に禍根を残すことになるわけですが、息子のソロモンの
繁栄までは神に約束されておりました。
ソロモンは、いわゆるレバノン杉を使って巨大な船を建造し
航海術に長けた海洋民族であるファニキア人の王と組んで、
黄金を求めて世界各地に進出しました。
その船はタルシシ船とよばれ、組み立て式であったために
分解して部材として運べるので、なんと「山を越える船」
でもあったのでした。
この船のおかげで、ソロモン時代にはアフリカはもちろん、
インドや東南アジア、中国、はもとより、はるか日本にまで
黄金を求めてやって来ていたのではないか、と推察されます。
このタルシシ船に乗ってフェニキア人と共に日本にやって来た
乗組員を構成する人々の中に、技術集団であるエブス人が
いました。
エブスの名はアビシニア高原に由来し、ソロモン朝当時の
ユダヤ王国を構成する民の多くを占めていたようです。
彼らは長い航海の果てに日本近海にたどりつき、国東半島に
上陸してちょうど宇佐八幡のあたりに定着したようです。
なぜならエブス人は製鉄の民であり、おそらくその地は
鉄の資源に恵まれた土地柄であったのでしょう。
土着の民と上手く融和して、後に神武ら天孫族に滅ぼされる
まで、九州の地に約千年続く平和な国家を築き上げました。
この穏やかで智慧のあるエブス人を土着の民は、後々まで
「エビスさま」と慕っていた、というわけですね。
「鉄」の古い字は、金へんに夷と書くのです。
「夷」はエビスと読みますよね。
本来、地球全体の大きな歴史の流れの中に、わが国もあるわけで、
韓国や中国が、元々俺たちが元祖だ、日本の文化は俺たちの真似だ
とかいう主張も、チャンチャラおかしな話になってくるわけです。
我々の予想に反して、当時の世界は、既に狭かったと
言えそうです。
旧態依然の考古学者は、自分達の狭い研究領域を踏み出す
勇気が無いのか、それとも出る気などさらさら無いのか、
「理解できない」ことは無視してしまうようです。
たとえば先般古墳から巨船を模った埋葬品が出てきましたが、
するともう思考停止してしまうのです。
そして苦し紛れに勝手なことをのたまう。
「これはきっと、天国へ旅立つ様子を表現するために、
想像上の大きな船を描いて形にしたものだ・・・」とかなんとか。
違うでしょ。(笑)
「かつて自分達が乗ってきた船であり、今なお若い世代が
その航海術を活かして交易を行っている、生活に密着した
必要不可欠な必需品としての大切なもの」なんじゃないの?
だから、埋葬品に入れるんじゃないの?
黄泉の国でも同じように活躍できるように。
歴史の残した数々の遺品は、その当時の「今」を切り取る、
躍動感あふれる、生々しい「現実世界」を写したものでは
ないのでしょうか。
だって、当時はビデオも写真もないんだからさ。