結局、
一人一人の想いが自分自身を形づくり、
その自分がパートナーを選び、
家族を形づくり、
子どもを形づくり、
友人を形づくり、
ご近所を形づくり、
地域を形づくり、
地方を形づくり、
国を形づくる。
なので、
国民の一人一人が愛に立脚していれば、
国もまた、愛に立脚した国家になる。
しかし、日本の国土から市民が異国に連れ去られ、
中国漁船に海上保安庁の巡視艇が体当たりされ、
北朝鮮のミサイルが飛び、中国機が領空を侵犯し、
韓国は国を挙げて竹島を不法占拠して我が物顔をし、
事実無根の従軍慰安婦の像や記念碑が世界各地に建ち、
ソ連の首相が北方領土に上陸し、中国は尖閣諸島を
自国領として地図に書き込んでいる。。。
それって、どういうこと?
いつの間にか日本は侵略されていた、ということだ・・・
そして昨年、ネットを通してマスコミの洗脳から目覚めた
多くの国民による「日本を護ろう」という想いが氣となり、
奇跡的に安部晋三を自民党総裁、そして首相に据えた。
私たちの光と愛の戦士の戦いは、祈りを通じて多くの神々を
再び呼び覚ますと同時に、まぎれもなく、確実に、現象として
現実社会に連動している。
明らかに、風向きが変わった。
地球維新の新しい時代に突入したのである。
かつて日本はABCD包囲網により追い詰められ、
中国共産党軍の謀略により支那事変を引き起こされ、
欧米列強の援蒋ルートによって国民党軍との戦闘は泥沼化した。
中国での日本人虐殺事件(通州事件)や、上海における
海軍将校の惨殺事件などが起きても、なお事を荒立てず、
日本は戦争を回避しようとしていたのです。
しかし、コミンテルンに牛耳られた米国政府は戦争準備を始め、
石油やくず鉄などの工業原材料の輸出を禁止し、日本からの
第一撃を誘導するために、ハルノートを突きつけた・・・
列強の圧力と謀略にもはや万策尽きて、
国家の主権と日本人の誇りを護るために、
亡国への道と知りながら「戦争やむなし」と
戦いに出て行ったこの国の歴史を、
外国に押し付けられた歴史ではなく、
真実の歴史を、私たちは学び直さなければならない。
日本人としての誇りを今一度、
取り戻さなくてはならないのだ。
経済発展の名の下の「平和」の幻想の中で
見て見ぬふりをしてきた屈辱の歴史を知らねばならない。
そして、押し付けられた憲法の下で、自分の国を自分で
護ることを放棄して全部アメリカまかせにしてきたことの
是非を問い直さねばならない。
「日本を取り戻す」とは、
私たち自身が地に足をつけるということ。
日本はどうあるべきなのか、国民一人一人が関心を持ち、
理想の国を創り上げるために国政に参加する責任がある。
投票は権利の行使ではなく、国を護るためのもはや義務である。
そうでなければ、市民を装った北朝鮮や韓国、中国のエージェントが
TVや新聞を通して「侵略」という言葉で永久に日本人の良心を苦しめ、
日本国土を買収し、国政に参加し、取り返しのつかないことになる。
その時にぶれない指針となるのは、TVのニュースを観ることでも、
新聞を読むことでもなく、神降るこの日本という国土のご先祖様から
脈々と受け継がれた血潮に流れる己が良心、魂の声のみである。
家族のために祖国のために散華された英霊の尊厳を、
今こそ私たち自身がお護りするということ。
「靖国参拝」が問題であるハズがないのです。
私たちが靖国神社で英霊をお祀りしなければ、
「靖国で会おう」と散っていった英霊たちの還る場所が
ないではないか。
今でも、靖国神社の英霊たちはこの国の行く末を案じ、
今なお、愛する家族や愛する日本の国土をお護りくださっている。
そのことに、感謝の誠を捧げることが問題であるハズがない。
日本という国の尊厳を、この国の未来を、私たちの良心を、
私たち一人一人が自分自身で護るのだという気概を持たねばならぬ。
そのことが、世界を護ることにつながってゆくのです。
ぜひ、このビデオを御覧ください。
「凛として愛」
http://youtu.be/UWHZ7FVz7BI
大東亜戦争を検証する 我々は戦争から何を学んだのか
超人大陸(平成23年8月15日号)より
【正論】終戦67年 参議院議員・中山恭子 戦後シンドロームから目覚めよ
そのうえで、
今一度同じ戦争への道を歩むのではなく、
全世界と「光の道」を共有しなければならない。
これからが、本当の戦いなのです。
人類が霊的に目覚めるための、
真実の戦いが始まるのです。
政治家や言論家や有識者がいかに正論を打とうとも
目に見える現象のみから論じられるものからは、
たとえ、いかに科学の最先端で説明を試みようとも、
決して真実の光は見えてはこない。
私たちの本当の姿は「魂」なのである、という認識。
宗教などという陳腐な枠組みから言っているのではなく、
人間の本質は「魂」であるという真実を共有できなければ、
その先の議論は文字通りの空論になってしまうからだ。
色即是空
空即是色
この解釈にしても
「空とは『形のないもの』の意である」、とか
「空とは『移り変わる仮の姿』を現している」とか
わかったようなわからないような、
あいまいな解釈しかできていないのが現状ではないのか。
決して「空」とは概念や象徴や比喩表現なのではなくて、
「実在」であり、今の科学では見えない、到達できない
「物質の根源」を成す「究極の粒子」の海でもあるのだ。
「空」とは神であり、全てである。
万物は神から生まれ、神を内在する。
その目に見えない「本質」こそが「空」である。
我々の魂もまた神の一部であり「空」に生じ、
肉体も心も「空」より生まれしものであり、
魂の意を汲み一体となって物質界に働きかける。
魂は神の意を汲み存在する意識である。
神とは大いなる至福の意識そのものであり、
その意を表現するための「空」を生み出された。
その「空」において全ては生まれ、
その「空」に全ては還る。
神の実在を示すフィールドこそが「空」である。
「空」とは、
神が神自身を表現するためのフィールドであり、
創造の材料たるアートマに満たされた宇宙である。
「空」とは、アートマの海であり、万物の母であり、
神の光を伝える媒質であり、創造の「場」である。
そこでは神の想いによりアートマが凝集されて、
より高次元の愛の表現である星雲・星団から始まり、
喜びと成長の体験のために生命が生み出されるに至る、
壮大な創造のプロセスとハーモニーが現出するのだ。
人は、創られた生命の中でも、神を理解し、神を愛し、
そして神の僕として愛を表現し、この「空」なる世界を
より美しく彩る使命を与えられているのだ。
であるならば、神を抜きにして、
神の存在を抜きにしては、
何事も語れないのである。
万物は全て神のものである。
天も地も自然も我々人間も、全て神のものである。
人間が勝手に「俺の国だ」と言うことが本来はおかしいのだ。
人類全てがこの認識を持てなければ、
争いはなくならないであろう。。。
これまでの歴史を見れば明らかである。
長い道のりである・・・
しかし、人類に残された時間はわずかなのだ。
もはや我々には絶望しか残されていないのであろうか?
いや、そうではない。
オセロゲームでの一手がコマを次々とひっくり返していくように、
愛の連鎖反応にて、神の想い、神の光で地上を覆ってゆくのだ。
不謹慎な言い方かもしれないが、日本が直面している国難こそが、
世界が日本を注視する中で、「人類はかくあるべき」を示す、
神のお与えくださったビッグチャンスなのである。
高度に発達した科学技術も、自らその傲慢さを捨てて、
神を想い、神を愛し、神の創造を讃え、神に祝福される
ことなしに、次元の壁を越えることはできまい。
日本の打ち立てるべき新たなる世界観は、
神と共に歩む人類の姿、霊性・神性に基く生き方、
真の意味で宇宙に開かれた地球の時代である。
サイラム
一人一人の想いが自分自身を形づくり、
その自分がパートナーを選び、
家族を形づくり、
子どもを形づくり、
友人を形づくり、
ご近所を形づくり、
地域を形づくり、
地方を形づくり、
国を形づくる。
なので、
国民の一人一人が愛に立脚していれば、
国もまた、愛に立脚した国家になる。
しかし、日本の国土から市民が異国に連れ去られ、
中国漁船に海上保安庁の巡視艇が体当たりされ、
北朝鮮のミサイルが飛び、中国機が領空を侵犯し、
韓国は国を挙げて竹島を不法占拠して我が物顔をし、
事実無根の従軍慰安婦の像や記念碑が世界各地に建ち、
ソ連の首相が北方領土に上陸し、中国は尖閣諸島を
自国領として地図に書き込んでいる。。。
それって、どういうこと?
いつの間にか日本は侵略されていた、ということだ・・・
そして昨年、ネットを通してマスコミの洗脳から目覚めた
多くの国民による「日本を護ろう」という想いが氣となり、
奇跡的に安部晋三を自民党総裁、そして首相に据えた。
私たちの光と愛の戦士の戦いは、祈りを通じて多くの神々を
再び呼び覚ますと同時に、まぎれもなく、確実に、現象として
現実社会に連動している。
明らかに、風向きが変わった。
地球維新の新しい時代に突入したのである。
かつて日本はABCD包囲網により追い詰められ、
中国共産党軍の謀略により支那事変を引き起こされ、
欧米列強の援蒋ルートによって国民党軍との戦闘は泥沼化した。
中国での日本人虐殺事件(通州事件)や、上海における
海軍将校の惨殺事件などが起きても、なお事を荒立てず、
日本は戦争を回避しようとしていたのです。
しかし、コミンテルンに牛耳られた米国政府は戦争準備を始め、
石油やくず鉄などの工業原材料の輸出を禁止し、日本からの
第一撃を誘導するために、ハルノートを突きつけた・・・
列強の圧力と謀略にもはや万策尽きて、
国家の主権と日本人の誇りを護るために、
亡国への道と知りながら「戦争やむなし」と
戦いに出て行ったこの国の歴史を、
外国に押し付けられた歴史ではなく、
真実の歴史を、私たちは学び直さなければならない。
日本人としての誇りを今一度、
取り戻さなくてはならないのだ。
経済発展の名の下の「平和」の幻想の中で
見て見ぬふりをしてきた屈辱の歴史を知らねばならない。
そして、押し付けられた憲法の下で、自分の国を自分で
護ることを放棄して全部アメリカまかせにしてきたことの
是非を問い直さねばならない。
「日本を取り戻す」とは、
私たち自身が地に足をつけるということ。
日本はどうあるべきなのか、国民一人一人が関心を持ち、
理想の国を創り上げるために国政に参加する責任がある。
投票は権利の行使ではなく、国を護るためのもはや義務である。
そうでなければ、市民を装った北朝鮮や韓国、中国のエージェントが
TVや新聞を通して「侵略」という言葉で永久に日本人の良心を苦しめ、
日本国土を買収し、国政に参加し、取り返しのつかないことになる。
その時にぶれない指針となるのは、TVのニュースを観ることでも、
新聞を読むことでもなく、神降るこの日本という国土のご先祖様から
脈々と受け継がれた血潮に流れる己が良心、魂の声のみである。
家族のために祖国のために散華された英霊の尊厳を、
今こそ私たち自身がお護りするということ。
「靖国参拝」が問題であるハズがないのです。
私たちが靖国神社で英霊をお祀りしなければ、
「靖国で会おう」と散っていった英霊たちの還る場所が
ないではないか。
今でも、靖国神社の英霊たちはこの国の行く末を案じ、
今なお、愛する家族や愛する日本の国土をお護りくださっている。
そのことに、感謝の誠を捧げることが問題であるハズがない。
日本という国の尊厳を、この国の未来を、私たちの良心を、
私たち一人一人が自分自身で護るのだという気概を持たねばならぬ。
そのことが、世界を護ることにつながってゆくのです。
ぜひ、このビデオを御覧ください。
「凛として愛」
http://youtu.be/UWHZ7FVz7BI
大東亜戦争を検証する 我々は戦争から何を学んだのか
超人大陸(平成23年8月15日号)より
【正論】終戦67年 参議院議員・中山恭子 戦後シンドロームから目覚めよ
そのうえで、
今一度同じ戦争への道を歩むのではなく、
全世界と「光の道」を共有しなければならない。
これからが、本当の戦いなのです。
人類が霊的に目覚めるための、
真実の戦いが始まるのです。
政治家や言論家や有識者がいかに正論を打とうとも
目に見える現象のみから論じられるものからは、
たとえ、いかに科学の最先端で説明を試みようとも、
決して真実の光は見えてはこない。
私たちの本当の姿は「魂」なのである、という認識。
宗教などという陳腐な枠組みから言っているのではなく、
人間の本質は「魂」であるという真実を共有できなければ、
その先の議論は文字通りの空論になってしまうからだ。
色即是空
空即是色
この解釈にしても
「空とは『形のないもの』の意である」、とか
「空とは『移り変わる仮の姿』を現している」とか
わかったようなわからないような、
あいまいな解釈しかできていないのが現状ではないのか。
決して「空」とは概念や象徴や比喩表現なのではなくて、
「実在」であり、今の科学では見えない、到達できない
「物質の根源」を成す「究極の粒子」の海でもあるのだ。
「空」とは神であり、全てである。
万物は神から生まれ、神を内在する。
その目に見えない「本質」こそが「空」である。
我々の魂もまた神の一部であり「空」に生じ、
肉体も心も「空」より生まれしものであり、
魂の意を汲み一体となって物質界に働きかける。
魂は神の意を汲み存在する意識である。
神とは大いなる至福の意識そのものであり、
その意を表現するための「空」を生み出された。
その「空」において全ては生まれ、
その「空」に全ては還る。
神の実在を示すフィールドこそが「空」である。
「空」とは、
神が神自身を表現するためのフィールドであり、
創造の材料たるアートマに満たされた宇宙である。
「空」とは、アートマの海であり、万物の母であり、
神の光を伝える媒質であり、創造の「場」である。
そこでは神の想いによりアートマが凝集されて、
より高次元の愛の表現である星雲・星団から始まり、
喜びと成長の体験のために生命が生み出されるに至る、
壮大な創造のプロセスとハーモニーが現出するのだ。
人は、創られた生命の中でも、神を理解し、神を愛し、
そして神の僕として愛を表現し、この「空」なる世界を
より美しく彩る使命を与えられているのだ。
であるならば、神を抜きにして、
神の存在を抜きにしては、
何事も語れないのである。
万物は全て神のものである。
天も地も自然も我々人間も、全て神のものである。
人間が勝手に「俺の国だ」と言うことが本来はおかしいのだ。
人類全てがこの認識を持てなければ、
争いはなくならないであろう。。。
これまでの歴史を見れば明らかである。
長い道のりである・・・
しかし、人類に残された時間はわずかなのだ。
もはや我々には絶望しか残されていないのであろうか?
いや、そうではない。
オセロゲームでの一手がコマを次々とひっくり返していくように、
愛の連鎖反応にて、神の想い、神の光で地上を覆ってゆくのだ。
不謹慎な言い方かもしれないが、日本が直面している国難こそが、
世界が日本を注視する中で、「人類はかくあるべき」を示す、
神のお与えくださったビッグチャンスなのである。
高度に発達した科学技術も、自らその傲慢さを捨てて、
神を想い、神を愛し、神の創造を讃え、神に祝福される
ことなしに、次元の壁を越えることはできまい。
日本の打ち立てるべき新たなる世界観は、
神と共に歩む人類の姿、霊性・神性に基く生き方、
真の意味で宇宙に開かれた地球の時代である。
サイラム