これまでの人類は、
というより、今文明は、
というより、20世紀は、
戦争の歴史でした。
21世紀になって、
人類は、
というより、今文明は、
というより、私たちは、
「争いの無い世界」を実現したか?
今年中学1年生になった娘が、
社会で「世界の歴史」を習い始めています。
私たちもさんざん小・中・高で
「歴史」を習ってきました。
で、「争いのない世界」を
実現できたのか?
答えは「否!」「NO!」。
なんなんでしょうか・・・
この「無意味感」は・・・
私たちは何のために学校へ行き
何を教わってきたのでしょうか・・・
中国での反日暴動がTVで報道されました。
興味深かったのは中国共産党の建物へも
民衆が押し寄せたことです。
反日教育で洗脳されていますから
日本企業の店舗や工場への抗議はわかります。
しかし、その深層心理に自国の政府への
不満、失望、怒りがあることが伺えます。
その原因は経済格差、所得格差、つまり
「お金の問題」であり、それは「食う」ための
基盤の格差、要するに不平等社会であるということです。
子供の兄弟喧嘩も大抵、「お兄ちゃんはズルイ」とか、
「弟ばっかり可愛がられてる」みたいな不平等を子供心に
感じるからです。
その鬱積した感情が、やがて成長して思春期になった時に
家庭内暴力やイジメとして爆発してゆくのです。
反日デモの深層も「経済」や「繁栄」の象徴に対する怒り
であり、自分の境遇と相手の境遇との格差を感じている、
つまり不平等感が深層にあるのです。
それが「尖閣諸島の国有化」という日本の意思表示によって
「爆発」した。
「物」や「お金」に対する羨望や執着は、
その不平等感の表面的な象徴であり代弁者なのであって、
本当に望んでいるのは「愛されること」なのです。
中国や韓国の人々は、国家に捨て置かれる不安と
闘っているのです。
その想いをぶつける相手を、中国や韓国政府によって
うまく日本にすり替えられているのです。
しかし、その「反日」「抗日」運動の遠因は、
やはり日本の側にもあるということを、真理を学ぶ
私たちは感じ取らねばならないでしょう。
私たちは学んでいます。
「相手は自分の鏡」であり、
「身に降りかかることは自分で招いている」ことを。
中国当局はある意味、それを利用しているのです。
つづく