数回前のこの「しあわせのコンパス」で、表に見えている現象から
韓国や中国の「内情」について見えてくることに少し触れました。


要するに「嫌がらせ」をする子どもの心理というものが、子育てを
している私たちには見えてくるのと一緒なんです。


作家の落合信彦氏も同じような想いをコラムに綴っておりましたね。
「幼稚」、要するに「子ども」とおんなじなんですわ。


落合信彦氏 五輪サッカー独島PRの幼稚さに哀しみ覚える

まさに、同感といったところです。



戦争の爪あとは、後々の人の心に深い深い傷を残す。

しかし、その後の人々には選択肢が与えられている。


①復讐を誓い、先祖の恨みを晴らし借りを返すために生きる。

②悲しみを乗り越えて明るく平和な世界を創るために生きる。 


どちらを選択するのかで、子ども達に残す未来の姿が変わる
ことが容易に想像できるであろう。


恨みは恨みを呼び、復讐はさらなる復讐の連鎖に導く。
終わりなき戦乱の世界が延々と続く。。。


信長の野望も、恐らく天下統一の暁には、この復讐の連鎖を
己の武力によって断ち切り、戦乱の世に終止符を打つべし、
との思いが「天下布武」には込められていたのではなかったか。


しかし、やはり武力によって腕力によって、
相手にこちらの言うことを聞かせようとすることは、
それ自体に非常に無理があることなのだ。


たとえそれが「正論」であったとしても、
押し付けられれば「反発」するのが人の心というもの。
まして、腕力で強制されたりしたら・・・


親子の確執もそこに原因がある。
要するに方法が間違っているのである。




シリアの内戦を見てもそれはわかる。
「泥沼」に陥る。


「中東の問題」も泥沼だ。
「ベトナム戦争」も泥沼だった。


アメリカはその経験から、なんと「遠隔操作」で人を殺す
技術の開発にいそしみ、今やゲームのコントローラーで
シューティングゲームのように敵地を爆撃するに至った。


間違っている。


戦争という「人殺し」に参加すれば、兵士は肉体的にも
精神的にも傷つくからこそ、尊い犠牲を払いながらも
そこから学べるものがあったはず。


いや、学ばなくてはならないのである。


自分の中の「良心」を傷つけることがどんなにつらいことか、
「生き地獄」を見るのは加害者の方なのであるということを。



アメリカで心理や脳の研究が発展したのは、ベトナム帰還兵の
心がボロボロになって、社会復帰がままならない状況が深刻に
なったからである。


自分に愛する恋人や家族がいるように、相手にも家族がある。
自分の命が大切なように、相手もやはり、大切な一人の命。


その「命」を奪うことの耐え難い苦痛を魂は記憶し、
生涯を通して罪の意識にさいなまれ続ける。。。
つまり自己の「良心」が自分を裁き続けるのだ。


だから、戦争など2度としてはいけない。
戦争のない平和な世界にしなければならない。
その「結論」こそが、最大の「学び」であったはず。



今、世界は再び間違った方向に進み始めています。
日本とユーラシア大陸の間にある小さな海にも
その火種は落とされている。


それは、「日本」の政治が混迷を極め、世界に対して平和を
希求する毅然とした態度を表明できないことと無関係ではない。


国同士が、自国民のご機嫌を取るためのパフォーマンス外交
しかできないのならば、真の友好は民間レベルで、草の根レベルで
つまり、私たち一人一人のレベルで築いてゆかねばなるまい。。。



夏休みを母国で過ごした韓国のお友達が、新学期を向かえて
息子のクラスに帰ってきました。


お国では反日の嵐が吹き荒れ、国民は洗脳され、教育の隅々まで
「日本への恨みと悪意」が浸透している祖国に帰郷して、何を感じ、
どんな思いで再び日本に戻ってきたのでありましょうか。


親御さんの心中は複雑でありましょうけれど、だからこそ、
日本のお友達といた方が楽しい、嬉しい、そして安心できると
身に沁みて感じていただけるよう僕らは接するのみです。


そこに日本人と韓国人を分け隔てるものなど
何も存在しない。


共に子育てをする仲間であり、クラスの大切なお友達であり、
同じピアノの先生に習う同志でもあります。


子ども達は天使であり、親善大使であり、世界の架け橋です。


素直な美しい心は、文化や歴史や民族の壁など瞬時にすり抜け、
屈託のない笑顔は、言葉の違いなど易々と超えてしまうのです。


そして、その橋桁を支える橋脚であり土台であるのが、
私たち親であり、大人の役目なのです。


世界の平和は、私たちの家庭から始まる!
まさに、「ここ」からね♪



あなたもどうぞ光の輪に加わってくださいなvv