「隼人の小部屋」で参加資格の確認がありましたね・・・


自己申告のようでしたが、この時に大切なのは
自己の「良心」に従えるかどうか、ですね。


牛や豚を食したからといって、あなたの周りに
だれも咎める者などないと思うのです。


むしろ、
「なぜ食べない?」といぶかしがる人の方が多いハズ。


この日本において、牛や豚を食べるのは自由だし、もちろん
食べないのも自由なのだから、そのことを他人に咎められる
ことはないのです。


ただ、「牛や豚を食べる人は参加しないでください」という
お約束があるのだから、「飲んだら乗るな」と同様、素直に
「食べるなら参加しない」ことを守ってくださればいいのです。


20歳以上の人であるなら、お酒を飲むことを咎められる
ことはないのと同様、まして牛や豚を食べたところでだれにも
非難されることも咎められることもないのですからね。


でも、その「自由」は、自分でコントロールする責任を伴う
ということも我々は知っています。


精神が錯乱するほど浴びるように飲んだり、アル中や病気になる
ほど、アルコール漬けになり、酒に依存するようになれば、
神様から与えられた「命」を粗末にすることになる。


命にかかわる事なのです。
また、他人に危害を加える凶暴性をも生みだす。
飲酒運転で人を殺める事件も後を絶たない・・・



目には見えない霊的な世界の話を、神々から聴く機会を与え
られている我々にとって、その先生方の「教え」に背くことも
また、我々に「霊的な影響」があることは間違いないのです。


悲しみや恐れや恨みの念がもたらす影響を、我々のために
心を開いてくださっているリンゴさんが直接体に受けるその
激痛を通して学んできたハズです。


あるいは、そうした想念が自分に還って来て
今まさに心が病み、体が病んでいる方もいるでしょう。
(そのことに本人は気付いていないでしょうが)


遊びではないのです。
命にかかわる事なのです。


そのことは、これまでS...さんやりんごさんやlovelightさんの
記事を読んでまがりなりにも学んできている我々であるのなら、
思い当たるはずだし、感じるはずだし、引っかかるハズですよね。



つまり、世間は咎めなくとも、自己の「良心」は咎める。
ありがたいことに、内なる神は、咎めてくれるのです。


その「内なる声」を素直に聴けるかどうか。
それもひとつの、霊性修行の成果でありましょう。



自己の良心に従い、勇気を持って辞退を申し出てくださった
方々がもしいらっしゃったとしたら、心より感謝いたします。


そしてそんな勇気ある素敵な方々と共に、これからも実践を
通して学びを深めてゆきたいと心より祈念いたします。



ありがとうございます。