尖閣諸島や竹島の領有をめぐる問題・・・


そんな小さな島をめぐって取り合いになるのは、
いわゆる200海里の排他的経済水域がもたらす水産資源や
海底の天然資源の権益確保ということがもちろんあるでしょう。


しかし、この資源の問題は「話し合い」による外交によって
「共有財産」として「共同開発」する、つまり“ 分かち合う ”
ことは本来可能なハズである。


現に日本海という狭い水域であるからこそ、日中間、日韓間
には、それぞれ漁業協定が結ばれて、暫定的ではあっても
一応の住み分けはできているわけだし。


しかし、中国や韓国の態度を見る限りは、たとえ日本に
その気があったとしても、彼らはあくまで自らの領有を
主張してくるであろう。


それはなぜか。



彼らは「日本の侵略を受けた」と思っているからである。
そして、そのでっち上げの「怨み節」を、教育の中にガッチリと
組み込んできてしまったからである。


日本人は鬼畜であり、侵略者であり、暴君であり、人でなしであると
繰り返し叩き込まれてきた「教育」によって、こと「対日本」となると
彼らの血潮が煮えたぎるような怒りの感情を揺り起こしてしまう・・・


日本は「戦争に負けた」ことでむりくり内省させられ、
「戦争放棄」をうたう憲法を押し付けられたことで思考停止し、
「平和な日本」という戦後の「立ち位置」を示してきたわけです。


「もう、戦争のことは考えません。仕事、がんばります!」と。


しかし、彼らは、「日本が負けた」ことに乗じて、
自分達が勝ったことにすり替え、日本の戦争責任を
追求することで自国の体裁を保ってきたのだ。


戦争責任を突きつけて日本をジワジワ責めつつ、復興や経済支援の
ための巨額な円借款を日本から引き出し、結局は国の中枢の一部の
人間がその権益を我が物とし、人民を搾取する体制を作り上げた。


日本からは産業技術がどんどん中国や韓国に流れ込み、
彼らは目覚しい経済発展を遂げ軍備を増強したきた一方で、
日本の経済は疲弊し、領土問題でなめられるに至ったわけだ。


しかし、国家予算のかなりのパーセントを軍事費に割くと
いうことは、全く生産性のない事業へお金を注ぎ込むということ。
軍隊は戦争がない限りは何もすることがないのだから。


立派な装備を持てば、戦艦や潜水艦で沖へ出ていったり
ミサイルをちらつかせたり撃ってみたくなるわけである。
そのうち、そんな軍部は独走を始める・・・


それこそ、かつての、大っ嫌いな日本の
二の舞を踏むことになる。。。


君子たる者、自分の能力などひけらかさないものだ。

君子たる者、たとえ一人でいても、誰からも認められなくとも、
慎み深くいられるものだよ、って中国の生んだ偉大な孔先生が
いつも言ってることじゃないですか。


それを「小人閑居して不善をなす」とは情けない。



またお隣の国では、オリンピックの場に政治的な問題を
持ち込んだと、その「品位」そのものが問われている。


しかし、こうした問題に見え隠れするのは、若者の間の
「徴兵」に対する鬱積した感情の問題だ。
いわゆる「オリンピック選手は徴兵を免除される」という・・・


オリンピック選手に限らず、「徴兵を免除」される「特権階級」の
同世代の若者に対する一般の若者の思いは複雑なものがあるようだ。
竹島までタレントを泳がせる原動力も、そうした鬱積した「念」だ。


要は、みんな「戦争」なんかいやなんだよ。
当たり前でしょう?
なのに、戦争を引きずっている「現実」が彼らにはあるわけです。


今なお、彼らは戦争状態なのです。
決して若者の日常に安息な日々などはない。
しかも、国内の経済的な格差は増す一方だ。


焦っているんです。
不安がいっぱいなんです。
やり場のない怒りを抱えているんです。


だから政府は、仮想敵国としての「日本」を仕立てあげて
国民のその鬱積した感情を日本に向けるしか、もはや
国をまとめることが困難な状況になってきているのです。。。


それを、我々は、のほほんと平和ボケしてるんじゃなくて
その彼らの心情をよく理解しなくてはならないでしょう。



私たちは、近代に入って大きな戦争を繰り返し経験し、
挙句の果てに原爆も落とされてようやく学んだのである。


「戦争ほどバカげたものはないのだ」と。
「二度と戦争などしてはいけないのだ」と。



しかしずっと抑圧され、他国に蹂躙されてきた彼らは、
「俺たちもこんなに軍事力をつけたんだぜ」といわんばかりに、
日本を挑発し、ちょっかいを出してくる。。。



「あなた方は戦争で何も学ばなかったのか・・・?」


「侵略されたと言いながら、惨めな想いをしたと言いながら、
 塗炭の苦しみを味わったと言いながら、今度は自ら
 戦争の火種を蒔き、殺し合いをやろうと言うのか?」




何も分かっていないんだな・・・



恨みからは何も生まれない。
憎しみからは癒しなど生まれない。
相手を殺して幸せになることは決してない。



ここ「しあわせのコンパス」で、
いつもくり返し言ってることです。


「相手を責めても問題は解決しない」と。





自らの心の中にこそ、永遠の平安の礎があることを
「光の9日間」の祈りの中で分かち合ってゆきたい




シャンティ
シャンティ
シャンティヒ