我が家の“明女神様”の武勇伝をお伝えしております。(笑)


っといいますか、私たち夫婦が一貫して子ども達に伝えてきたこと。
その「原点」の事例でもあるわけです。


人格形成の土台・基礎の部分をいかにしてしっかりと造って
あげられるかは、その後の子どもの心と体の成長に大きく影響を与える
子育てのベースであり、最も大切な部分です。


世に言う 「三つ子の魂百まで」 であります。


この基礎がガッチリ造られないまま大人になった方々が構成している
社会では、子ども時代の学校や教室と同じ現象が起きるであろう
ことは、あなたにも容易に想像できるでしょう。


いわゆる「いじめ」の問題は、大人の社会の映し鏡であり、今の社会に
当たり前のように存在する格差・差別・偏見・不寛容・利己主義・
排他主義・不満・不安・怒り・理不尽・無慈悲・・・の顕れです。


つまり人格の基礎とは「愛」であり「慈愛」であり「慈悲」の心。
他人を思いやり、励まし、労わり、分かち合うことのできる心。


今日の愛のない社会は、愛を見失った親に育てられた、たとえ学歴が
高かろうが、寂しさを抱えて育った愛を知らない子ども達が大人になって
築いている社会であり、そんな親から愛のない子育てが繰り返されている・・・



子を持つ親は、子どもが家の外で体験する様々な社会の縮図を
通して、子どもの心と寄り添いながら、そのひとつひとつの場面で、
愛ある行いとは何かを一緒に考えて、子どもと共にクリアしてゆく。


その歩みこそが子どもが親に対する信頼を寄せ、また親を尊敬し、
また親を大切に思う心を育むのです。


読み書きや算数ができる、それ以前にやらなくてはならない
大切な、大切な、本当に大切なことがあるのです。


「才能」とは何でしょうか。


多くの人々から尊敬され、賞賛され、愛される資質とは何でしょうか。
多くの人々から共感を引き出す、その「才能」の本質とは何ですか?


「愛」でしょう?


マザーテレサしかり、ガンジーしかり、ナイチンゲールしかり。
イエスしかり、ゴーダマ・ブッダしかり。


そして我らがリンゴちゃんしかり、なのですわ。


人々の心には元々「愛」があるのです。
根源神より分けていただいたこの身、この魂こそ「愛」の化身。
誰もが持つその「神性」を引き出すことこそが「才能」なのです。


真の才能の放つ「光」とは、「愛」からあふれ出るもの。
伝わりますでしょうか・・・




だからね、ここ「しあわせのコンパス」でいう“英才教育”とは、
英語や数学の早期押し付けでも、超能力的な脳力教育でもなく、
真の魂の輝きを引き出すための「愛育」に他なりません。



他人の痛みを分かち合うということは、自らも苦しみに直面する
ことになるでしょう。


人がやらないことを自ら進んでやるには、時間も労力も余計に
必要になるし、勇気も必要になります。


そんなことしないほうがよっぽど楽だし、苦しまずにすむかも
しれません。


ゆえに、「正直者はバカを見る」なんて言葉がはびこる。。。


でも、そうやって、少なくともクラスメイトや自分の目の前の人が
理不尽な扱いを受けているのに、見て見ぬ振りをして、そればかりか
優しく声を掛けている子に対してまで仲間ハズレにするような人間は、


残念ながら、絶対に幸せになることはできないのです。
そんな心のまま大人になることほど悲しいことはない・・・


だからといって、そいつを責めたところで、そいつが救われることは
ないのです。
逆ギレされるくらいがオチです。




人は自らの反省と気づきによって、心を入れ替えない限りは、
変わることができないのです。
そのキッカケをどう掴むか、掴めるか・・・ それがカギですね。 


そしてそのキッカケとは、やはり愛ある言葉、愛ある行いに
実際に自分で触れて体験して見聞きして、「嬉しい」「ありがたい」と
いう感情と共に自分の中の内在神を目覚めさせるしかないのです。


つまり、「光」の中に身を置くことです。




クラスに意地悪ばかりする子がいる。
授業の邪魔をするような大声を出したり、
決まりをワザと守らないような子がいる。


放っておくとやがて、イジメを引き起こすような
人格が形成されていってしまうかもしれません。


そうそう、もうひとつ。
いま「AD/HD」とか、「他動性障害」とか便利な病名の
お墨付きをもらう子ども達が増えていますね。


脳の障害のように言われますが、元をただせば、
今まで見てきたように、これも「母親の愛情欠乏」の顕れだと
感じます。


母親に愛されたい、いっしょにいたい、遊びたい、甘えたい、抱っこ
して欲しい・・・ 小さな子ども達のささやかな、しかし最大の欲求が
満たされないということが、ついに脳の変質にまで至ってしまう、と。


そんな子たちに「静かにしなさい」「おとなしくしなさい」なんて
言って責めても、何の解決にもならないことは、今これを読んで
くださっているあなたならよく分かるはずです。



「光」。
愛の光が必要なのです。


硬く変質してしまった心を解きほぐす、
優しく暖かな、そして尽きることのない、
命の源の光。


タット シャビトゥ-ル ワレーニャム 



家庭の事情で、お母さんが働きに出なくてはならず、
子どもにカマってあげられないのかもしれません。


お家の人が解決できない問題だからこそ、学校という社会で
顕在化しているわけですからね。



だったら、みんなが「光」になるのです。
その子を包む「光」にみんなでなるのです。



そしてなんと、「みんなが光になる」という、
正にそのことをプロジェクト化してしまったのが、
我が家のホープ “明女神様” だったのです♪




つづく