大学1年の夏休み。
北信州は志賀高原に私たちはおりました。
1週間にわたる合唱団の合宿です。
朝昼晩の練習で、早くも2日目ぐらいから
1年生は喉がつぶれて声が出ないような有様でした。
首にタオルを巻き、私語などしようものなら先輩にどやされ、
噴霧器で常に空気を柔らかくしながら喉をケアし、
山之内製薬のハーブキャンディが頼みの綱でした(笑)
そして中日。
畑中先生をお迎えしての練習の日。
朝から先輩方の緊張感がハッキリと伝わってきました。。。
練習会場には、団員はスリッパをビシッとそろえて入室しますが、
その日は一段と美しく並べられて先生のスペースがあけられています。
定期演奏会に向けて、1年生は初めて曲をもらい練習を始めたばかり。
7~8割の人が合唱はもちろん、楽器など音楽そのものの未経験者。
音符についていくのがやっとで、外国語の曲は言葉がちゃんと乗りません。(汗)
そんな中、畑中先生がお見えになり、まずは一通り通して歌います。
が、毎年のことながら、先生がおっしゃる「お先真っ暗」な状況が
展開されるだけ。
そこで先生は「ダメだこりゃ」とあきらめて(笑)
団員を座らせ、自らも椅子に腰掛けて、楽曲にまつわるお話や
曲への想いをていねいに時間をかけて講義してくださるのです。
また、1年生は先生の前で自己紹介と抱負を述べなくてはなりません。
私はあまりの緊張で、まったく何をしゃべったか覚えていません(笑)
そうした先生とのなごやかな?ひと時。
この団員にとって至福の時を経る前と後では、これが同じ団体か?と
目を疑い聞きまごう程に「曲」そのものがガラリと変わってゆくのです。
言葉で表現するのは難しいのですが、
今までボケていたピントが、先生の棒(タクト)のもと焦点がピシッと合って
クリアになるような、
ユルユルで全体がよく分からなかった着物が、帯をキュッと締めることで
日本女性を美しく装う錦の絵巻に変わるような、
明らかな音色や表情の変化が現れるのです。
「 魔 法 か ・・・ !? 」
本当にビックリしました。
感動というか、鳥肌が立ちました。
団員一人一人の集中力、自分の出す音に対する微細なコントロール・・・
先輩方の心に働きかけ、脳の中枢を刺激して、先輩方一人一人の持つ技量を、
大げさに言えば人間の持つ潜在力を、先生がぐいんと引き出した瞬間でした。
その一人一人の紡ぎ出す音の糸を縒り合わせてゆき、
そして全体のアンサンブルとして「錦」を織り成してゆく・・・
これが音楽の力・・・
芸術の持つ力か・・・
結局、合唱といえども一人一人の「音」の重なりや積み上げであり
一人一人の「音」こそ、なくてはならない大切なワン・ピースなのです。
その一人一人の「音」を奏でる一人一人の「心」が合わさってゆく瞬間・・・
団員一人一人がその曲の世界に入ってゆき、「想い」がひとつになってゆく。
確かに「音の世界」なのですが、そこに現れるのは
とてもビジュアルなイメージであって、「心象」や「情景」がまるで
映画やドラマのシーンのように「映像」として見えてくるのです。
畑中先生が監督・演出し、先輩方が奏でる音の渦の中で、
いわば和声の錦の帯にぐるぐる巻かれて一年生は声が出ない。。。
喉がかれて声が出ない、というより、
「こんな美しいハーモニーの中に、自分の声なんか混ぜられない・・・」
「自分の声なんか出せないよぉ・・・」
というのが正直なところだったのです。
つづく