般若心経の世界を旅しています。
色不異空
空不異色
色即是空
空即是色
只今、「空」の世界を訪ねています。
前回、子どものお遊び風に連想してみたのですが、
私たちは、「空」というものの中に、
実は、様々なものを見ることができるのです。
それは、無色透明無味無臭の空間に「空気」というものが
厳然として存在するということを、「実感」として感じて
理解している、ということでも表現できるかもしれません。
つまり、見えないからといって、
「何も無い」わけではない、ということ。
目に見えないけれども、その見えないものの働きが
何らかの「作用」として、現象として確認されるので、
それを古来より例えば「氣」と呼んできたわけですね。
今風に言えば「エネルギー」とでも表現するところでしょうか。
例えば、合気道や気功といった、生体エネルギーを
目に見える形で操る技術があるわけですが、精神統一の結果
万物には命があり、気に満ちていることを体感するわけです。
そして、万物に命があるということは、意志(意識)がある、
ということなのであって、氣を操るということは、言って
みれば「相手の氣に同意を得る」ことが前提にあると思うのです。
つまり、「いい?」「うん、いいよ♪」という約束があって、
それが「気を合わせる」ことであり、言ってみれば、相手の
氣と「心を同じくする」ということでしょう。
神様のお創りになった万物、自然というものの意志(意識)とは、
ひとえに、「親である創造主を自らの命をもって讃える」と
いうこと、「自らの命を精一杯表現したい」ということでしょう。
であるならば、私達が万物と意志を通じ合わせるために必要なのは、
「あなたは素敵」「あなたはすばらしい」と讃えることであり、
「あなたの存在にありがとう」つまり感謝の気持ちしかないのです。
インチキではなく、本当にスプーンを曲げたり折ったりできる方が
よく言ってることなのですが、やはり「スプーンに曲がってもらう」
あるいは「曲がってくれる」という感覚なのだということですね。
また、東洋医学では、漢方薬=自然の生薬によって、薬草の
持つ何らかの気=命を取り込んだり、鍼灸などは経脈・経絡に直接
働きかけて、氣の流れをよくする医術が伝えられてきました。
病気とは「氣」の「病」であって、私たちの命を動かしている
氣の流れに乱れが生じたり滞ったりすると、体にその影響が
現れてくる、という現象なのだということがわかりますね。
しかし漢方にしても気功にしても、氣の流れを善くすることは
できるのですが、その原因を無くすことはできないという
意味においては、やはり対症療法の域を出ないわけです・・・
では、その氣の乱れや滞りはどうして起こるのか、という
ことが一番の問題であり、解決しなければならない最も大切な
ことなのではないでしょうか。
さて、今まで見てきたとは、この3次元の物質的現象界に
まつわるところの、「見えないエネルギー」の話です。
訓練を受けた方には感じることもできますし、操ることさえ
できるレベルのものでしょう。
その意味ではまだまだ非常に「物質的」なものともいえますね。
伝わりますでしょうか?
ここに一枚のカードがあります。

これは、3歳からピアノを習い始めて今年中学に上がる娘が、
小学生2~3年の頃、ハノンやツェルニー練習曲を始めた頃に、
僕がプレゼントした「魔法のカード」です(笑)
お姉ちゃんの後を追うように、息子もピアノを始めましたが
やはり時期が来たら、このカードをプレゼントしました。
彼らは、これをいつも目にしていて、時には呪文のように
唱えながら、勝手にピアノを上達させていったのです。
プロにさせるつもりはないのですが、やるからには成果を
あげてもらいたいなぁ、と思うのが親心。
どんな曲も、楽譜を見て自由にピアノが弾けたら楽しいじゃない?
私たちのしたことは、「練習の魔法」を教えることだけ。
つまり、練習すれば必ず上手に弾けるようになるということ。
そして、1日休むと3日分ヘタクソになるということ。
これは、方便でも脅しでもなくて、彼ら自信が身をもって体感
していることだからこそ、親が「法則だよん」と言ってあげる
ことでしっかり理解し、上手くなりたければ練習するわけです。
だから私たち夫婦は、子ども達本人自身が「上手くなりたい」と
思うように、あの手この手で演出して、ピアノが弾けるって
いいなぁ、カッコイイなぁ~と年がら年中つぶやいてます(笑)
何が言いたいのかというと、結局子ども達のピアノを上達させた
のは、本人の「上手くなりたい」という想いなのだ、ということ。
(これさぁ、子育てのものすご~~~く重要なポイントなんだよ。
もうね、キモ中のキモなんだけど、伝わるかなぁ・・・
あ、子育てに限らず「人材育成」全般に応用できますから。)
つまりね、「練習しなさぁあああ~~い!!!」と鬼の形相で
ママが怒鳴るよりも、100倍上達が早いハズです。
子どもの練習の進展具合は、素人でもわかるわけです。
「弾けてねぇなぁ・・・」っていうのはね。
でも、親は弾けないわけだから、「ダメ出し」たら
子どもはムッとするだけ。
そこで、
「お? 進んでるね? いいね~♪ この曲僕も好きだなぁ~
お前に合ってるね♪ 早くマスターして聴かせてね~!
楽しみ、楽しみ~~♪」
「ん?どした? あんまり進んでないみたいだな? 悩み多き
少女時代をお過ごしだねぇ。うんうん。あのね、いいこと教えて
あげる。うまくいかない所は細か~く切って潰していってごらん。」
と「氣を合わせる」のです。
その時々の子どもの胸のうちを察し、気持ちの上での停滞を
いっしょに払ってあげるのです。
怒ったり、怒鳴ったりするのって、超効率が悪いどころか、
実は子どもの心身にとてつもない悪影響があるのに、それを
多くの親御さんが「教育」だと言って、やってるんだよね。
それは、必ず子どもの反発を招くのだということ。
もしそれが上司なら、必ず部下の反発を買うのだ、ということ。
そして、自己の魂が発する自分らしい成長への心のうずきと、
親の願望(エゴ)から発する要求とのギャップが、幼いこころを
苦しめていくのです。
このことは、親のみならず、やがて友達や先生にもわかって
もらえないなど条件が重なってゆけば、最悪のケースは「自殺」に
追い込んでしまうかもしれない危険をはらんでいるのです。
命の問題なのですよ。
子ども達もまた大自然の一員である以上、それは命の中に
大自然と繋がる「氣」の中に、「素敵だね」「生まれてくれて
ありがとう」と認められ讃えられるべき尊厳を持っているのです。
もちろん、私達親も含めて、一人一人、全ての人間に
あてはまることなのです。
子ども達の心身とは、彼ら自信の「成長したい!」という
「想い」、つまり「意識」が創り上げていくものなのだと
いうこと。
そしてそれは、親の「愛情」という目に見えない想い(意識)の
サポート無しには成し得ないのもまた事実なのです。
親は、「お金出してやってるんだから」「食べさせてやってるん
だから」とは言わずに、ただただ子どもをの進歩・成長を見守り、
その成果は全て子ども自身の手柄にしてあげるのです。
私達が、お日様やお月様はじめ、多くの神々のサポートを
いただきながら成長し、でも一銭も対価を求められないのと
同じようにね♪
と、いうわけで。
「見えない氣」であり「想い」であり「意識」である、そういう
ものが、創造の原理をつかさどっている、ということがなんとなく
見えてきたのではないでしょうか・・・。
つづく