般若心経の世界を訪ねる旅に出かけています。
前回はまず、出発点としての私たちが現在いる場所について、
それが表現されている部分を見てみました。
それは、般若心経で繰り返し述べられる
色不異空(しきふいくう) 色は空に異ならず
空不異色(くふういしき) 空は色に異ならず
色即是空(しきそくぜくう)色すなわちこれ空
空即是色(くうそくぜしき)空すなわちこれ色
の部分の「色」に相当するということ。
この3次元物質世界、つまり私たちが現在肉体の目で
見ることのできる世界は、「色」と表現できる世界であると。
それは、言ってみれば太陽光に映し出され、物質がそれぞれに
反射する光の波長によって「投影」されている世界であるとも
言えるでしょう。
また、例えばレントゲン線は私たちの骨格の有様を投影して
くれるように、「色の名」を持たないけれども「光」である
波動は、可視光線の外側に無限に広がっているわけですね。
それら目に見えない光の映し出す世界も含めて、私たちの今ある
物質的現象世界のことを「色」と表現することができるわけです。
さて。
私たちは、光の戦士として「合同マントラ」に参加し、
ガヤトリー・マントラを吟唱します。
その時々の企画において、愛の想いで宣言をして、
108回の吟唱に心を込めた祈りを捧げるわけです。
そうすると、S...さんやりんごさんが、合同マントラの成果を
報告してくださるので、私たちも「よかった~♪」と、なぜか
とても嬉しい気持ちと共に、充実感や満足感を得られますね。
じゃあ、その成果はどこから伝えられるのか、といえば、
神々の世界から伝えられているわけですよね。
つまり、何が言いたいかというと、私たちの愛の想いを乗せた
マントラの響きの届く先は、神々の住まわれる世界だと、
いうことです。
それは、私たちの住む3次元の物質的世界ではないですよね?
神々の姿は私たちには見えません。
より精妙な波動を持つライトボディ(光子体)で存在する世界、
つまりより次元の高い世界におられるわけです。
つまりマントラは、この3次元世界を超えて、より高次の世界へ
届いていくということがわかります。
そしてその神々の世界、天界へ届いた「祈り」。
それは、やはり「光」なのであると、りんごさんが伝えて
くれたわけですね。
私たちの「色」の世界から発せられた「愛の想い」という
波動は、マントラという音の波に乗って光となって次元を
越えてゆく。
私たちには見えない世界、しかし厳然として「神々」がおわす
世界があるのであって、私たちの想いが光となって届くのならば、
それは私たちの世界と続いている、連続した世界であると言えます。
人類のほとんどが「目に見える世界」しか信じていないけれども、
我々の住む物質世界とは、氷山の一角のようなほんの限られた世界で
あって、いわば、3次元映像として投影された世界であるわけです。
私たちが映画館で見る映画は、スクリーンという平面に映し出される
2次元の世界ですね。
その2次元映画の世界で投影されているドラマとは、私たちの現実の
3次元世界での出来事や物語を題材にして、製作スタッフが集められ、
シナリオが組まれ、配役が決まり、撮影が行われ製作されたものです。
同様に、私たち一人一人は、超リアルな3次元映画の「人生」という
名のドラマを演じる役者であるともいえるでしょう。
そして、そのストーリーの元となっているより高次の世界があって、
そこには、私たちという3次元の物質的な「表現形」を創りだし、
動かすための、全ての計画やシナリオや材料、そして意志があるのです。
その、見えないけれども厳然と存在する異次元の世界。
しかも「そちらの世界」の方が、実は「実在界」とよばれる、
本来の私たちの所属する、依拠すべき、存在すべき世界なのです。
私たちの今いる世界「色」に対して、その「色」を様々な表現形、
いわゆるキャラクターとして産み出している大元の世界=「実在界」が
あるのだということ。
その「実在界」のことを「あの世」というわけですね。
それは、3次元の世界と連続的に繋がっている世界なのです。
私たちは肉体の死を迎えたとき、「実在界」に帰って行くのです。
映画館の映画が現実社会や様々な創造物の投影であるように、
「色」の世界がより高次の世界における創造の投影であるということ。
そのことを般若心経では「空」という言葉で示しているのです。
つづく