こんばんは~
アメンバ記事へのコメントありがとうございました。
また、コメントなくとも、
無言の内に御覧になって
ご自分の心に反映させるべく
内なる自分と対話し、内省を試み、
さらにはご自分のブログに
決意表明をしてくださった皆様にも
心より感謝申し上げます。
内省して改めて気づくことは、
いかに日常を「無意識な想い」が
支配しているか、
ということではないでしょうか。
ほとんど無意識で行動できるほど
私たちの日常はパターン化されており、
だからこそ、「あれ?鍵かけたっけ?」と
ふと我に返る瞬間があったりするのです。
「我に返る」・・・
とても意味深に響く言葉ですね(笑)
自己の想念・思念というものが、
いかに外界に影響を与えているのか
ということがわかった以上、
まずは、
「心に思うこと」をコントロールすることに
意識を積極的に向けていく必要があるでしょう。
意識して、穏やかに
意識して、ていねいに
意識して、優しく
意識して、柔和に
意識して、明るく
意識して、美しく
まず心をそういうものに向けてゆく。
そういうものを求めてゆくこと。(意)
そして同時に、
そういう世界を表現するにふさわしい
言葉を選んで使うことを意識すること。(口)
それから、行動においても
そういう世界を体現できるように
体をコントロールしてゆく。(身)
「立居振舞」
日本舞踊や茶道、華道、書道、また武道においても
まさにその内なる心の美の世界を
表現するための「道」でありましょう。
決して自分を飾るための、
あるいは自分の力を鼓舞するための
「テクニック」ではないということ。
一期一会の出会いがあります。
もう再び会えないかもしれない命への
最大限の讃歌を表現したいと願う心。
与えられたこの一時の中で、
水・火・墨・お道具・お茶・お花・・・すべてのものに
命が宿るという実感を通してそれらと一体になる、
つまり森羅万象=自然と一体になってゆく。
静寂の中に響く命の声との対話の中で、
香りたつ、匂いたつ、その命の輝きを最大限に
引き出してゆく・・・
そういう心の修養の道だと思うのです。
つまり、私たち一人一人が、
神の芸術を表現する媒体であることを
常に意識して行動するということ。
日本の伝統的な作法の中には、
常に相手に対する思いやり、配慮があるのです。
それが、「美しい」のです。
神様に与えられた「自由意思」ですから、
本来は何を思うのも自由です。
だから、
「どんな言葉を使おうと、そんなの私の勝手じゃん!」
というご意見も、おっしゃるとおりです。
でも、ここは、神々と共に歩む光の戦士の皆様の集まりだから
「そういう方はあっちいってやってください」ということに
なるのです。
なぜなら、神々の世界こそ「真」「善」「美」の世界だからです。
私たちも、可能な限りその波動に合わせられるよう
努力をする必要があるからです。
そして、その自らがそうして波動を高める、上げてゆくことが
地球の次元上昇にそのまま結びついてゆくのだ、ということ。
ひとりよがりな、自分勝手な、思いやりや配慮に欠けた
想念や思念や、まして言葉遣いはご遠慮いただきたいと
いうことでございます。
もう、自分が偉いの少ないのなんてどうでもいいんです。
「私」がどうの、なんてどうもいいでしょ?
だって、地球が無くなったら、自分どころじゃないでしょう?
私たちも、神の芸術のワンピースとして
気高く、美しく参りましょうよ♪
そう、霊峰不二 のように。
ありがとうございました。