July 04, 2005
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【アウトプットの意味】
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高校生の息子による、管理人ご夫妻殺害事件について考えています。
先週は、“問題のある子”について考えてみました。
今日は、“問題のない子”について考えてみます。
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“問題のある子”は、ある意味自己主張ができていて
問題が見えている分、“なぜそうするのか”反抗の真意を
知ることが出来れば、より良い方向へ導くための
コミュニケーションの糸口も見えてくる・・・
と先週申し上げました。
ところで、
昨今の子供たちのかかわる事件で、正直なところ
「怖いな」っと感じてるのは、成績もよく、まじめで
おとなしい“問題のない”普通の子が、加害者になる
ケースが多発していることです。
家庭の事情、子供たちの育つ環境は、それこそ
千差万別で、決して一概に言えるものではありません。
私は専門家ではありませんので、あくまでも一人の
父親として感じる、私見を述べさせていただくと
いうことをご理解くださいね。
そして、ぜひ、あなたも、ご一緒に考えてください。
お願いします!
さて、子供たちが“問題を起こす”心の状態は
★ 全てさみしさから来る ★
と、KENは考えています。
物心つくと同時に、子供たちは様々な“問い”を
抱き、投げかけてきます。
▼みんなにはお父さんがいるのに、ボクにはいない・・・
▼おかあさんに遊んでもらいたいけどいつもいそがしい・・・
▼○○ちゃんちのママはとっても優しそうでいいなぁ・・・
▼△△くんはいつもオモチャ買ってもらっていいなぁ・・・
▼弟ばっか褒められて、わたしはちっとも褒めてくれない・・・
▼ちゃんとできないと、すぐママは怒る。やんなっちゃうなぁ・・・
きっと子供たちは、小さな心に、既にいろいろな“疑問”を
感じ始めているんだと思います。ん~言葉が適切ではないかも。
友達と自分、同世代の子供たちと自分、周りの大人と自分・・・
すでに“自分”というものを意識し始めているのです。
そして、
□ なぜ自分は今、こうなのか。
□ なぜ、母親はこうなのか。
□ なぜ、父親はこうなのか。
□ なぜ、ボクの家はこうなのか・・・。
もっといえば、
★ボクはこれでいいのだろうか・・・
★ボクはここにいていいのだろうか・・・
★このウチが、ワタシの居場所なのだろうか・・・
という問いを、ヒトとしての本能が
発しているのではないでしょうか?
■ 「トラウマ」なんてキーワードでネットを検索すると、
マズローの「欲求段階説」ってのがよく出てきます。
ヒトは成長過程で5つの欲求を満たしながら
ステップアップしていくという・・・。
1.生存の欲求
2.安全の欲求
3.親和の欲求
4.自我の欲求
5.自己実現の欲求
詳解は他に譲りますが、
1. 衣食住不自由なく、命の安全が確保された環境で、
2. 家族や友達や仲間とのいいかかわりを持ち
3. 認められ、必要とされる自分でありたいと願い、
4. 自分の能力、可能性を引き出しながら
5. 夢をかなえていく・・・
そんなふうに成長していくんだ、と。
生存の欲求は、先進国ではまず満たされますね。
安全の欲求は?・・・怪しくなってきました。
幼児虐待がもはや日常的に起きてますから・・・
これは、結婚そのものに問題があるのかもしれません。
ここでは触れません。
ほんじゃあね、(いきなりなれなれしいですが・・・)
★ 自己実現の欲求って何歳くらいで出てきます?
★ 自我の欲求は、何歳?
★ 親和の欲求は、何歳?
ボクは、この説をちゃんと勉強したわけじゃないんだけど、
こんな欲求は、物心ついたときにはぜ~んぶ持ってんじゃないの?
って思います。
今、まさに子育て現場のパパとして見れば、
3歳児の息子でも立派に?持ってるよ!って思っちゃいますよ。
パパやママに愛されたい。
パパやママのことが大好き。
お友達と遊びたい。なかよししたい。
ボクお手伝いしてあげるよ!
ボクはでんぐり返しできるんだぞ!
見て見て!ボク、マジレッドだぞ!
のぞみ号に乗りたい!
イスの上からジャンプするぞ!できるぞ!
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毎日の暮らしの中で、子供たちはヒーローにあこがれたり
大好きな乗り物に乗る夢をみたり、友達に刺激を受けて
ジャングルジムをてっぺんまで登ってみよう!って思ったり。
ヒーローに共感する友達がいて、
仲間内で、バンダナをマントにしたり、
チラシを丸めて剣にしてヒーローになりきり、
その姿をママが見て、
「カッコイィ~!」っておだてられて、
気分よくなってお手伝いもバンバンやって、
ママやパパに「助かるよ~ ありがとう!」なんて喜ばれ、
ますます調子に乗っていろんなチャレンジをして褒められて、
「じゃあ、ご褒美に今度<のぞみ号>に乗せてあげよう」なんて、
親や祖父母からとっておきのプレゼントを勝ち取って、
幼心に抱いた夢をかなえていく・・・
そんなプロセス日常的にありますよね?
そして、そんな子供たちの、日常的な“プチ成功”を支えているのは
まぎれもなく、私達“親”であり、家族です。
だ・か・ら、子供たちはそれを無意識のうちに確かめようとします。
もし、こんなに欲求があるのに、見てもらえない
聴いてもらえない、認めてもらえないとしたら・・・
せっかく“やりたい”って思っても、“できるわけない”って
頭ごなしに言われたら・・・
その子の気持ちはどうなってしまうのだろう・・・?
満たされない思いを積み重ねたまま成長したら、
その子の心はどうなってしまうのだろう・・・?
■自分を成長させるのは、自分自身の“気づき”から。
子供達が成長する過程で、心に湧いた様々な疑問を
自ら解決していかなくてはなりません。
戻りますが、
★ボクはこれでいいのだろうか・・・
★ボクはここにいていいのだろうか・・・
★このウチが、ワタシの居場所なのだろうか・・・
これに確証が持てなければ、恐らく“自分”というものを
築いていくことが出来ないでしょう。
土台が不安定なのに、その上にいくら高いものを積み上げても
「納得できる自分」には決してならないと思います。
物心ついた頃、早くも反抗期が訪れます。
親の言うことに、全て「ちがう!」「ダメ!」「イヤ!」を自動的に
付けて来ます。
まさに、「あまのじゃく」がそこに居る!
しかしそれは、初めて自分の“意思”あるいは“意志”として
自分の言葉でできた“アウトプット”です。
今まで“泣く”しか伝える方法がなかったものを、ようやく
自分の親に、“ボクが正しい!”と伝えているのです。
私達親は、それを受止め、彼がよりよい方向へ進める様に
経験に基づいた考えや、イメージをシェアしていく。
そのアウトプットをうけて、彼が自ら“気付いて”自ら行動
できれば、またひとつ成長できるわけですよね。
ゴメンなさい。話がわかりにくくなっちゃった。。。(汗)
要するに、
『子供達の発するメッセージこそが、
彼ら自身を成長させるためのアウトプット』
になるように、私達“親”が受止めてあげればいいということ。
もし、幼い頃の反抗期に、認めてもらえず、或いは否定され、
親からのメッセージを“押し付けられ”っぱなしだったら・・・
その状態がずっと続いていて、
その後の成長期に、そんな“自分”を受け入れられずにいたら・・・
確かに表面的には親の言うことを聞く“いい子”として
過ごしてきたかもしれません。
しかし、
より良い方法を“自ら気付いて自ら実行する”経験を持たなかった、
いや、持てなかった結果、“自分を好きになれない”、肯定できない
状態になってしまうのではないでしょうか。
つまり、心の成長が伴わない“いい子”が
今日の社会的な不安定さの中で悲鳴をあげている・・・
そんな気がしてならないのです。
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~~ コーヒー ブレイク ~~~~\_oyabaka__)~~~~~
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★ あ と ガ キ ★
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。。。起床時間 。。。
目覚し : 「ジリリリリーン」
KEN : 「ん?時間だな、起きるとするか」
あけみ : 「おふぁよ~ぅ」
KEN : 「はい、おはよーさん」
あけみ : 「さとるは? まだ寝てる?」
KEN : 「起こさなくっちゃな」
「お~い!さとる~おきろよ~」
パシッ!(あかりのスイッチをつける音))
さとる : 「ぅあ”~ん!まだ起きないの!」
「夜つけてぇ~!」
KEN&ばあや: 「くっくっくっく・・・。だははははははは~」
いや~、コドモってホントーにおもしろいですよね♪
それではまた、ご一緒に”親バカ”を楽しみまショー!
素敵な一日を♪
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********************* Laugh & Peace */〃*******
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☆
親バカは世界を救う! プロジェクト。
生きとし生けるものが、しあわせでありますように。