この3次元の物質世界とつながって、
私たちを創っている大元の世界。


「あの世」とも「実在界」ともよばれ、
仏教では「空」と表現される世界ですね。



ふと誰かの存在や、風景が、「香り」として甦ることがあります。
目の前には存在しないものが「香る」ことがあるわけです。


あるいは、いわゆるデジャビュといわれる「既視感」、
「あ、これ知ってる」「見たことある」感を体験することもあります。


そんな時は、「空」の世界からメッセージが来ているのかもしれません。




私たちは、食物から摂取する栄養素のエネルギーだけで
生命を維持できるわけではありません。


肉体という船を操って、この3次元世界の人生航路を航海している
船の船頭さんこそ、ほんとうの私たちであるわけです。


その船頭さんの姿とは、目に見えないエネルギー体であり、
その「本当の自分」の心こそ、「魂」とよばれる意識なのです。


この「本当の自分」は、3次元の今生の航海を終えると、
肉体船を離れて、霊体あるいは光子体という、より軽い体に
なって4次元以降の実在界に戻ってゆきます。


つまり、「命」とは、次元を超えて永遠に続くものであり、
その、次元を超えて生きる私たちを生かしめているエネルギーが
存在する、ということなのです。


それが、「プラーナ」と呼ばれる「氣」であるということ。



その「氣」とは、創造主の意識の込められた息吹であり波動であり、
その意識こそは「愛」なのであるということ。


そしてその「愛」は、万物の中に「光」としてちりばめられて
いるのです。


多次元宇宙を構成する根源的な物質としての「神の光」(アートマ)
という認識です。
(詳しくは、S...【神の姿は愛】さんのブログの「学び」の記事で)





神の中に内在し、神そのものを現す「命」「愛」「光」という要素を、
「形あるもの」として表現し、神自らそれを体験するために、
そのためのフィールド、つまりオーム宇宙という「場」を神は創られた。


そして、ビッグバンによって神ご自身を爆発させ、私たちの体の
60兆全ての細胞が同じ遺伝子を内在するのと同じように、神の
「命」「愛」「光」という要素を内在する微細な分身を創られた。


それが、「アートマ」と呼ばれる、根元物質なのです。
現代風にいえば、「光子」という言い方もできるかと思います。
カタカムナでは「アマ始元量」と表現されているものですね。




この宇宙の万物は、全てこのアートマの凝集と離散によって
創造と破壊はるいは、生成と消滅を繰り返しているのです。


しかし、アートマそのものは不生不滅であり、
永遠に変わることのない神の属性であり、
なぜならば、神そのものなのであるから、ということでしょうか。



神が、アートマが、「命」の属性を表現しようとする時、
それはプラーナ「氣」となって万物に浸透してゆきます。


ゆえに、命あるものは全てアートマという「神」を内在する
のであり、その命は、プラーナという神のエネルギーによって
維持されているということになります。


このことが、「命」あること、生きていることの
大前提にあるわけですね。


大自然、大宇宙という「命」の姿、それは神の表現形であるという
大前提の認識の下に、私たち自身もまた、同じ神の表現形であり、
アートマを、神を、内在するものであるということなのです。




さて。


今般、戦争で犠牲となられた戦没者の御魂・英霊を、すべからく本来の
住処である実在界・空の世界にお送りして、魂の平安と、再び光の戦士として
愛に生きる私たちを守護していただけるよう合同の祈りを捧げました。





ガヤトリー・マントラを108回吟唱し、その音の波動に載せて、私たちの
愛の想いを届ける試みです。


「想い」「意識」もまた波動であって物質であって、愛の想いとは
神の意識そのものですから、それは「光」(アートマ)ということになります。


実際、実在界(高次元・神々の世界)からは、人間の愛の想いは
「光」として、その深さは「光の量」の多寡として見えるようです。



その愛の想いが光となって、万物の中にある、ゆえに英霊の魂の中にも
内在されている光と共鳴し、地上への想い、生への執着から自らの心を曇らせ
さまよっていた英霊達の魂を再び光らしめて、光の世界=実在界へお導きする、
というものでした。


私たちの意識・ビジョンが空の世界に通じ、その空の世界でカタチづくられた
ものが、またこの地上世界・3次元世界に還元され反映されているという実感。


私たちの魂に内在する、神から分けられた光=「愛」の想いで語り、生活をする
ことで、空(高次元)の世界と己が心とが通じ合う。


そして、そこにおわす守護霊・諸天善神の加護や指導を、インスピレーションの
形で受けつつ、心の平安を得、地上にもまた高次の世界を投影することができる、
地上天国を実現できる、という「神理」を学び、日々実践しているところです。



地上で争いがあるということは、神々の世界では、悪魔(地獄霊)と光の天使との
戦いがあるということです。

地獄霊は、愛を見失い、神の愛=光を自ら遮断してしまった魂たちですから、
自己保存のためのエネルギーは、人間の業想念・悪想念から得ています。
それが、憑依現象として表れ、病気のかなり多くが憑依霊を因としているようです。


病気がちな人は、結局そのご本人の「想い」に原因があり、愚痴っぽかったり
自分や他人を責めたり、人の意見を入れず我を通し、自分の心に縛られている。
それが、同じ想念を持つ自縛霊を波長同通によって引き寄せてしまう。

一時的な除霊を行っても、大元の心根が変わらない限り、また引き寄せて
しまうということになるでしょう。

地上の人間が、愛の想いをもって魂の救済をしようとすると、
エネルギー源を失う恐れのある地獄霊・悪霊たちはそれを阻止しようと
邪魔をするのです。


それが、S...さんやリンゴさんのブログにおいて、「戦い」となって現れていました。

月山への合同マントラ間もなくです。

いざ!・・・出陣(@゚▽゚@)!!




しかしながら、悪霊・地獄霊といえども、元は地上で肉体を持って生活を
していた、私たちと同じ人間なのです。

同胞なのです。仲間なのです。


だからこそ、私たちの愛の想い=光が強ければ強いほど、
彼らの魂に内在されている「愛」=光が反応し、共鳴し、
本来の姿を想い出し、愛を思い出し、自縛から解き放たれます。


「月山の祈り」の成果を、S...さんが教えてくださいました。

ゆうべの報告・・・!

また、リンゴさんが大活躍された、私たちの3次元の目では見ることのできない、
4次元以上の世界の様子、神々のお仕事の一端を、こちらで伺い知ることができます。


月山から・・・月そのものへ(前篇)

月山から・・・月そのものへ(後篇)

月に住人がいることは、「かぐや姫」のお話にもなっていますし、
「アミ 小さな宇宙人」の中でも紹介されていますね。

どうやら、よからぬ宇宙人も月に基地を作っているようですが・・・




今回の「月山の祈り」で、「祈り」には力があるということ、
そして、たとえ私たち一人一人の光は弱くとも、皆で持ち寄れば
強い光になるのだということを、また改めて学ばせていただきました。



この地上が終末的様相を呈しているのは、ひとえに
私たち一人一人の愛の想い=光の量が足りていない、
ということに尽きると思います。



私たち一人一人の「光」が、いかに大切なものであるのか。
私たち一人一人が、救世主であるということなのです。




がんばっていきましょう!




生きとし生けるものが、しあわせでありますように。