おはようございます! KENです。
この「しあわせのコンパス」こころへの旅も
お陰さまで次回で50回目を迎えます。
ということで、区切りのいい50回をもって、
このシリーズを終わりたいと思っています。
「愛子様問題」から始まって、もう1年以上
経ちますね。
(※昨年のメルマガ配信時は、実は週一回のペースでした。
今は時間が加速していて、昨日とは既に3日前の感じですので、
学びのペースも速める必要があり毎日更新でお届けしています。)
お付き合いくださってるあなたに、
感謝の気持ちを伝えたくていっぱいです。
あなたがいるからこそ、僕は伝えることが
できる。
あなたに、命をいただいているのです。
ありがとうございます。
そんなあなたとって、「こころへの旅」は、
目的地に着いた感はありますでしょうか?
あなたがもし、もうずっと「同じこと」を言ってる
ように感じているのなら、その「同じこと」こそが、
目的地の風景を現しているのです。
ということは、最初からあなたの中に、
その目的地はあった、ということでもありますよね。
その、こころが目指すべき「目的地」は、
漢字一文字で表すことができます。
はい、それです。(笑)
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さてさてさて。
イエスと実際にまみえた人々は、イエスに、つまり彼の
語る言葉の中に、彼の行為そのものの中に「神の姿」を
見たのです。
そして誰に言われなくとも、誰に教えられたわけでもなく、
彼が言わんとしていることが理解できたのです。
つまり、それは、「知っていた」ということ。
「いやいや、古代の民ですよ?
読み書きだってまともにできやしないんじゃないの?
着の身着のままイエスについていったような
貧しい人々でしょ?
そんな連中が、イエスが語るような内容を知ってた
ハズがないでしょう?」
と、あなたは突っ込むかもしれません。
おっしゃるとおり、恐らく、ユダヤ教の「神官」や「学者」、
それに「ローマの役人」ぐらいしか、文字の読み書きは
できなかったことでしょう。
というか、「知識」というのは、常に支配階級が独占しており、
それが権力者の「特権」であり「富の源泉」だったのです。
でも、そんな何の知識も持たない彼ら貧しき民が、
イエスの言葉に何かを感じたのです。
そして彼の言葉を信じることができたのです。
それで、イエスについていった。
イエスの言葉に頷き、教えのままに、
そのように生きようと思った。
なぜか。
それは、イエスの説く言霊の波動をチューニングできる
受信装置が「元々」備わっていたからです。
つまり、「魂」が。
それは、彼らの心の中に、イエスの言葉に
共鳴できるモノが「元々」あったからです。
つまり、「良心」が。
それは、彼らが正にイエスの説かれたことを行う
ことによって救われることを実際に見たからです。
つまり、「愛」を。
そうではありませんか?
人間として生まれてきた、ということは、
「元々は天上界にいた」、ということです。
「天上界」はすなわち「天国」です。
愛一元の光の世界なんです。
そこでは誰もが愛に生きている。
そして、指導霊から愛について
学んでいるのです。
だから、「魂」は知っているのです。
イエスが現れた時、その天上界の波動を
感じていたのです。
自分では訳が分からなかったかもしれない。
でも、魂は思い出していたのです。
だから、魅かれていった。
そしてそれは、
当時のユダヤの民であっても、
現代に生きる私たちであっても、
変わりはないハズなのです・・・
同じ「人間」なのですから。
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逆にイエスの側から見れば、彼のしたことというのは
とりわけスゴイことではないのかもしれません。
ただただ彼は、民の魂に呼びかけ、眼を覚まさせることに
専念したに過ぎないのかもしれません。
天上界から啓示を受け、彼の言葉に乗せて、天上界の
波動をうまく再現しただけなのかもしれません。
元々神の子である民に、彼らの本当の姿である魂が知っている
価値観を、呼び覚ましただけなのかもしれません。
でも、イエスのその行為が、民衆の良心に働きかけ、彼らの
愛を呼び覚ますことによって、彼ら自身が自らを救うことに
なったのです。
イエスの行為は、結果的に民を救うことになったのだ
けれども、それというのは、民が自らの神性=「愛」に出会う
きっかけを創ったからだ、と言えるのではないでしょうか。
民衆が求めている「やすらぎの世界」は、まさに彼ら自身の中に
あるのだ、ということをイエスは思い出させていただけなのだ、
とも言えるのではないでしょうか?
そして民衆は、その「やすらぎの世界」とは「神の国」であり、
「祈り」とは、悔い改め(反省)により心の垢を落として、愛の
想い(心)で「神に語りかける」ことだということを知った。
「愛の心で愛に生きることで、地上を神の国(天国)に
することができる」
そのことこそが、紛れもない「真実」であったのです。
いや、今もなお、これから先も永遠に「真実」なのです。
つまり「真実」は、宇宙の根本法則である「愛」という
ものを抜きにしては、伝えることができない、ということ
なのです。
「真実」とは「愛」なのであるということ。
「愛」の中に、人々は「真実」を感じ得た。
「愛」の中に、「ほんもの」を感じたのです。
「感じる」ことができるのは、人々が自分自身の中に
「持ってる」ものだからこそ、感応するのです。
「波長が合う」から感応できるのです。
同じ周波数を、自ら「発信」することができるがために、
その周波数を「受信」できるのです。
物理的な現象なのです。
チューニングの原理なのです。
だから、民衆はキリストを受け入れて、
彼に賛同する者が、日増しに増えていったのです。
彼の説く教えが、天上の響きを持っていたからです。
真実を語っていたからです。
つまり、「愛」を説いたからです。
そしてそれは、人間には元々「ある」ものだったのです。
伝わりますでしょうか・・・
(つづく)
生きとし生けるものが、しあわせでありますように。