おはようございます、KENです。


この「しあわせのコンパス」こころへの旅は、ある意味で
これからの宇宙時代の先取りをしていることに気づかれて
いる方もいらっしゃると思います。



と、いうより教科書では決して教えてくれない現在進行形の
「歴史」の姿を、解説しているものでもあるわけなのです。



決して偉そうなことを言いたいのではなくて、今まで何千年と
知らされてこなかった「真実」が、天上界から直接明かされて
いる時代なのであるということ。



私が目にし、耳にすることのできたその天上界の声=霊言を、
KENというフィルターを通した言葉で述べているに過ぎない
のだということ。



私が持論を主張したいのでもなければ、創作した物語を語って
いるのでもなければ、何かの宗教や商売への勧誘を目的とした
ものですらないのだ、ということ。



まあ、一部「スピリチュアル理科」と、かつてマミーこと
ランディ由紀子氏が名づけてくださった、科学分野と精神世界の
融合の試みは、自分の推測を交えて構成してはおりますが。。。



でもそんなん、一銭の足しにもならないことなのです。
「お前、おかしいんとちゃうか~」と言われるのがオチ。(笑)


でもね、
それでも無性に伝えたいという衝動が
湧いてくるのです。




「真実」は、「愛」の中にある。




「真実を知る喜び」


これに勝る喜びは、長い間受けてきた教育の
どこを探しても、私には見つからなかったのです。





LOVE IS ALL.





真実とは、実にシンプルであったのです。
アーティストたちは、いつの時代でも気づいているのです。





しかしながら、そうではあってもアンテナの感度が悪ければ、
あるいはチューニングを合わせることができなければ、その
ような情報は決して耳には入ってこないのであるということ。



現に「神」という言葉が出てきた頃から、メルマガを解除される
方がチラホラ出始めましたから、そのような方々にとっては、
きっと耳障りな雑音にしか聴こえなかったことでしょう。




だからこそ、今これを読んでくださっているあなたは、
とてもとても貴重な存在であるということ。


内なる声に、そして天上界からのメッセージに
素直に耳を傾けられる方なのであるということ。


あなたが、素晴らしいのです。


どうぞ、あなたの魂のその輝きを、光を、
高く掲げて歩まれんことを。


そして、このツアーが、アクエリアス=霊性進化の時代の中で、
また誰かの魂を磨くための「きっかけ」になってくれるのならば、
これ以上の幸せはないと、本当に嬉しく有難く思うのです。




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さてさてさて。




私たちの「歴史」というのは、元々天上界に「計画」があって、
それがカタチとして現れたものである、と言うこともできます。
いや、むしろ「そういうもの」なのでしょう。



私たちの人生に「苦しみ」や「迷い」があるのは、長い長い
地球の歴史の中で、己が魂がまだまだ学びの途中、進歩成長の
途上にある「幼き魂」なのだということではないでしょうか。



そうしたら、「生涯学習」ならぬ、「霊涯学習」の生徒として、
やはり謙虚に、学びの姿勢で日々を過ごすという心構えでいた
方が、よっぽど得るものは大きいということに間違いなさそうです。





子育てが大変、つらい、めんどくさい、放棄したい・・・



そりゃそうかも知れませんわね。
そう思うことがあっても無理のないことかもしれません。



だって、神の子を預かり、立派な天使に育てあげなくては
いけないのですからネ(笑)



でもね、
実は私たちは、ムリクリ子育てを難しく大変なものに、
勝手に変換しちゃってるのかもしれませんよ?





何事によらず、全ての物事は、神の愛を表現する手段である、と
考えればいいのです。



子育て、しかりです。



しかも、子どもは天使です。
なんてわかりやすい体形と表情をしていることでしょう(笑)
ってか、我々も天使じゃないですか!? 元々は。ね?



だとしたら、天使の住む神の国、天国を自分の「家庭」に
表現するとしたら、どのような雰囲気であるだろうか。



そこで交わされる会話はどんな感じで、家族の表情は
どんなであろうか。



そういう天国的なイメージって、誰に教わったわけでも
ないのに、なんとなく「知ってる」よね?



それを「理想」としてハッキリ思い描き、それに沿うように
言葉を選び、笑顔を作り、生活をすればよい、子育てをすれば
よい、ということに過ぎないのです。



簡単でしょ?





実は、夫婦というのは、天上界において、既に一緒になる約束を
してきているのです。



それぞれの人生計画と共に、きっと「こんな家庭を作ろう」と
いう話もしてきているはずです。



あなたが、家庭生活の「理想」を思い描く時、それは
魂が記憶している「計画」を思い出しているのかもしれません。
(もし、それが「天国的」なイメージであるならね。)



だからね、「理想」つまり「ビジョン」が大切なのです。
思い描くこと(イメージ)が、全ての「創造」の始まり
なのです。



そして、さらに子どもは、そんな家庭に生まれることを、
これまた天上界で「約束」して来ているんです。



子どもは子どもで、天上界で既に自分の「人生計画」を
立てています。


そして、お母さんに「僕を産んでね」とお願いをして、
既に親子になる約束を交わしているのです。



 * * * * * * * * * * * 



子どもがなかなか生まれない方は、そもそも「約束がない」か、
お父さんお母さんの心構えや、精神的、身体的準備が整うのを、
子どもは天上界でずっと待っているからなのです。



だって、不安じゃないですか?
お母さんの体が健康じゃなかったら、お産でお母さんの命を
危険に晒すことになるし、生まれた後も育ててもらえるか・・・



子ども(になる魂)は、お母さんのことを上から心配して
くれています。



「胎教」って、子どもに「教える」のではなくて、胎児と
交信して、逆に「教えてもらう」ことなのです、って言ったら
ビックリですか?



受胎前なら、天上の魂と交信して教えてもらうのです。
そういう「子育て指導」をしているところも実際あります。
(もっとも、お母さんの心がピュアでなければできませんが。)




ですから、育児に何か不安があるときは、胎児に、赤ちゃんに
お願いするとよいのです。



「○○ちゃん。お母さんね、実は□□□がうまくできるか
 どうか心配なの。助けて欲しいの。」とお願いするんです。



すると赤ちゃんは、なるべくお母さんに負担をかけないようにと、
願いを聞き入れてくれるのです。
「いい子」にしてくれるのです。



何しろ天使ですからね♪
「愛し方」を教えてくれるんです。
育児の仕方は、赤ちゃんが全部教えてくれるのです。



だから、赤ちゃんに聞けばいいのです。
お母さんが謙虚になればいいのです。
とても簡単、シンプルなんです。




もちろん、「言葉」はまだしゃべれませんよ?
会話は「テレパシー」でするのです。(笑)



お母さんには「インスピレーション」として、
赤ちゃんの心が届くでしょう。



そんな気持ちのキャッチボール、できたら素敵でしょう?
ホントはできるし、実際気づかずにしてたと思うんです。



あなたも、赤ちゃんからの色々なサインを
自然にキャッチしていたハズです。



その時、あなたの心はとてもピュアだったはずです。
赤ちゃんの笑顔を見てしあわせだった時、あなたの
心も天使の心だったのです。



自分を見失いそうになった時、いつも赤ちゃんの笑顔を
思い出して下さい。
それが、あなたのハートの鏡であったということを。



まとめますね。



夫婦になったということは、縁があったということ。
その「縁」とは、具体的に言えば、天上界でお互いに
夫婦になる「約束」を既に交わしていたということ。



濃いんです、縁が。
それを昔の人は「赤い糸」で結ばれていると言った。






同じく、子どもができるということは、その子と縁で
結ばれているということ。



つまり親子になる「約束」を天上界でしてきたからだ、
ということも覚えておいてくださいね。





あ、ちなみに、旧約聖書、新約聖書ってあるでしょ?
この「約」って神様との契約、つまり約束のことです。


聖書は言ってみれば『あなたがたが、このような生活(態度)を
するなら、すばらしい未来を約束しましょう。できない時は、
こうなりますよ。』と、その時々に神様と交わした約束事や、
またそれを伝える聖人の言葉を集約したものなのです。



『このような生活』とは、
『愛に生きる』ということに尽きるのですが。




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モーゼやイエスは天上界(九次元指導霊)と交信をして
その指導を受けながら、民に天上界の意向(神意)を伝え導く
メッセンジャーであったのです。



いわゆる「預言者」です。
「予言」ではなく「預言」。
神の言葉を「預かる」人なのです。



その神の言葉、「こうなるであろう」と「予め」告げられる
「言葉」、その内容そのものを「予言」というのです。




それは、天上界が民を導くために「こうすればこうなるであろう」
「こうしなさい。さすればこうしよう。」と約束を交わすという
ことが“実際に”行われていたということを表しているのです。



かつて、ね。



でも、そういう「時」は、ほんの一時であるといこと。
イエスの活動期間は実質3年間ぐらいしかないのです。
それが、二千年後には世界中に広がっているのですよ?



考えてみれば、その後のキリスト教の広がりは驚異的です。
イエスがいないにもかかわらず、12使徒をはじめ、教団
教会としてどんどん組織化されていきました。



極めつけは、それまで弾圧につぐ弾圧を加えていたローマ帝国が
コンスタンティヌスの時に、なんと「公認」したのです。



それ以降、教皇が世俗の権力をも手にするようになったことは
実に大きなことだったのです。



つまり、莫大な資金力、政治力を背景に、ローマ・カトリックは
全世界に布教活動を推し進めることができたわけです。



キリスト教の御旗の下に大航海時代を開いていったコロンブスが、
西インド諸島で大量虐殺をしたことは、今では歴史自身が暴いて
いるところであるし、権力の裏には闇があるのも事実でしょう。



しかし、それにもまして、多くのカトリック教徒は敬虔な善なる
市民であることを思えば、なぜにこのような世界的な広がりを
キリスト教が成しえたのでしょうか。。。



たった3年間、キリストが歩いて回れる範囲の人々に「話した」
ことやその生涯について、その後の「聖書」ではカットされ改ざん
されることがあってもなお、大切に受け継がれてきたという事実。




世界で一番売れている本、大ベストセラーといえば、
何だかご存知ですか?



それは、「聖書」なのです。



なんで聖書がこんなに読まれているのでしょうか?
どうして、キリスト教が世界中に広まったのでしょうか?




なぜだと思いますか?



そのことが、何を意味すると、
あなたは思いますか?





その応えは、
歴史の教科書には書いていないことです。


たぶん。



あなたもぜひ、考えてみてください。

人々がキリスト教の、あるいは聖書の
「何に魅かれているのか」を。









生きとし生けるものが、しあわせでありますように。