おはようございます、KENです。
いつもお世話になっております S...【神の姿は愛】さんの
ブログ記事に、神界におられる御船千津子さんからの
メッセージに対して批判が続出した、とありました。
確か、
「福島は、やはり住むべきところではない」
という様なメッセージだったと思います。
「隼人の小部屋」は、なぜか男子禁制なので(爆)
どんなコメントがあったのか知る由もないのですが、
なぜ「批判」が出たのか、さらに、なぜ削除する
必要があったのか、疑問が残るところです。
その「批判」をする心根こそ、自ら省みて、
魂を磨く為のチャンスだし、いい研究テーマなのでは
ないのだろうか・・・
まるで小学校の時にさ、カーテンを締め切った部屋に
女子だけを集めて何やら話していた状況が、僕には
オーバーラップして仕方がないっす。(笑)
(あ、これは、蚊帳の外に置かれた者の、まったくの
やっかみなので、聞き流してくださいね~)
それはさておき、
東海テレビをはじめ、罷免された大臣の言動など、被災地の
方々の心情を無視した、あまりに軽率で思いやりのない発言と、
御船さんのメッセージとは明らかに次元が違うもの。
そこがどうして分からないのか不思議でなりません。
その前のブログ記事「未来の予知・・・」に、
「人間には未来を見せない。教えない」それが神の基本です。
と、ありますよね?
と、いうことは、神々には、御船さんのいらっしゃる神界では、
過去も未来も見えている、ということでしょ?
にもかかわらず、その神人に対して批判をするという
意味がわからない。
これだけメッセージをいただいていながら、すぐ感情に流され、
視野の狭い自分勝手な、浅はかな知識で判断をしてしまう・・・
私たちの陥りやすい「こころ」の性質です。
それは「不動心」ではないですね。
だからね、僕は昨日、おこがましくも急遽この記事を出したのです。
このNHKスペシャルを見て、それでも御船さんを
批判するなら、それはもうご自由にどうぞどうぞ♪
さてさてさて。
この3次元世界の物質はすべて、ひとつの根源的な物質から
成り立っており、その量子の回転運動によってより大きな
素粒子を形成し、さらにそれらが集まって原子を形作っている。
そして様々な原子の様々な組み合わせによって万物は作られ、
人間もまたそれら万物と同じ原子から成り立つ肉体を持つもので
あるわけです。
そしてそれら万物一切は、この私たちが属する宇宙を創造された
オーム神霊の「想い」あるいは「ヴィジョン」から生まれたので
あると、前回申し上げました。
「想い」でどうして「創造」ができるのか、ということを説明
しようと思って、前回は「振動体」が出てきたのでしたね。
人間の脳の中で「想い」を抱けば、それは電気的インパルスと
なって「物質化」するのです。
「想い」には「カタチ」があるということ。
つまり、「想い」は「物質」である、と言いたかったのです。
そして、物質である「想い」が、強く勢いよく発射された時、
それは、その周りの空間にある物質にも何らかの作用を及ぼす、
エネルギーの渦を巻き起こすのです。
例えば、
銅線に電流を流すと、そこには磁界ができます。
電流を強くすると磁界も強くなります。
さらに、銅線を束ねて巻いたコイルに電流を流せば、
超強力な磁場が生じます。
また、
水道の蛇口から勢いよく水を出すと、水に押しのけられて空気が
減った場所に周りから空気が流れ込み「風」が起こります。
そして、海面から勢いよく水が蒸発し上昇気流ができると、上空
には雲ができ、さらに激しく螺旋状の上昇気流が周囲から空気を
吸い込んでゆくと、やがて台風やハリケーンになってゆきます。
ひとつの勢いのある「流れ」というものが、周囲のものを巻きみ
ながら成長し、巨大なエネルギーのフィールドを創り上げてゆく、
という現象は自然界にどこにでもある摂理なのです。
神が万物を創造した「創造の原理」は、神のお創りになった
自然界にもまた現れているのです。
自然界は、神と同じ力、同じ摂理で「創造」をくり返しており、
人間もまた同様に、神の天地創造のプロセスや原理を内在し、
またその力を応用でき得る存在であるのです。
そういう意味で、私たちは全て「神の子」といえるのであって、
そのような、宇宙の真実が、神理が、現文明の終末の時を迎えて
明かされている、というのが今の時代、この時なのです。
人類は今、狭い宗教や宗派やイデオロギーの壁を取り払って意識を
拡げ、国家間・民族間の塀も乗り越えて、その愛の奔流に自らの
魂の波長を合わせるべき時が来ているのです。
その流れの中で、私たちも心をオープンにして、自己の意識を
この狭い国土を離れ、地球を飛び出し、宇宙の果てまで拡げつつ、
万物を生かしむるエネルギーの発信源に意識を向けて参りましょう。
こころを、オープンにしてくださいって言ってるのは、既存の宗教
とか、ヒーリングとかチャネリングとか、スピリチュアル系の何々
メソッドとかと、とりあえずは対比したり結び付けないってこと。
大きな大きな愛の奔流の流れの中に、そのような個々の各論的な
方法論や技術論があるのであって、まずは全体像、その大元の光を
しっかりとらえるために、心を開こう、というわけです。
といっても、これまで読んでこられた方は、もう既に、こころが
かなり広くなっておられるでしょう。
あるいはまた、少し意識的に検索してみれば、私と同じような
メッセージはいたるところで発せられていることに気づかれる
ことでしょう。
今まで、「超常現象」だとか「オカルト」だとかでくくって、
「しらない」「わかんない」「気味悪い」と決めこんで来たテーマ
にも、どことなく「理解できる」ような兆しが見えてきませんか?
そういう意味で、ずっとメルマガでお話してきたようなことも、
あなたにとっては「もう知ってる」ことであるのかもしれません。
しかしながら、一番大切なことは、「知ってる」だけでは
何も建設的なことができるわけではない、ということ。
知識を力にしてゆくには、実践の中に、行動の中に、「決意」して
歩んでゆくそのプロセスに、本当の難しさがあり、だからこその
学びがあり、本当の智慧になり、成長があるのだ、ということ。
そして、私たちが当面、愛の実践の場として持って与えられている
のは、「家族」「家庭」というフィールドである、ということ。
世界の平和、宇宙の平和の礎(いしずえ)は、夫婦が相和合し、
互いに認め合い尊敬し合い助け合い、愛し合い、平和な家庭を
営むところから始まるのです。
その「家庭」という磁場において、私たちが地球の未来のために
最大限の奉仕ができる、私たちに与えられた、最も責任重大な
役割というものが、「子育て」である、ということ。
父親に、幼き命のための環境=家庭を営む心構えと準備が整うと、
まさに母親は天上界と地上とを結ぶ愛の架け橋、愛の通路となって
この地球での修行を志願した魂を迎え入れ、育み、送り出すのです。
その魂の修行の原点が「家庭」なのであるということ。
「家庭という磁場」と申し上げましたが、私たちの想念とは波動で
あり、ある種のエネルギー・フィールドを創り出しているのです。
いわゆる、親の「考え方」や「価値観」といったものが創り出す
想念の渦=「磁場」の中に、幼き魂は置かれるわけです。
もし、親の想念が、明るく楽しく愛に溢れ、他人をいたわり
常に感謝を忘れない、そのようなエネルギーで満たされている
のであれば、やがて幼き魂もその波動に同調してゆくでしょう。
ところが、親の想念が、いつも他人を批判し悪口を言い、それ
どころかパートナーに対していつも不平不満を言い喧嘩が絶えず、
独りよがりでわがままで、自分さえよければよいという波動なら・・・
たとえ純心無垢な清らかな幼き魂であっても、そのような悪想念の
エネルギーの磁場に絡められて、やがて親と同じ想念の波動に飲み
込まれてゆかざるを得ないでしょう。
つまり「三つ子の魂、百まで」というのは、環境である夫婦の磁場、
家庭の磁場に、幼き魂がいったん同調してしまうと、そのエネルギー
・フィールドから抜け出すのは難しいことを意味しているのです。
このことから、私たちが夫婦で交わす会話や、家庭における言動、
物事に対する姿勢や態度、興味や関心、尊敬や感謝の気持ち・・・
ありとあらゆることが、幼き魂に「響く」ことがわかるでしょう。
私たちは「振動体」であり、「波動」としての存在であるという
ことは、磁場もしくはエネルギー・フィールドを形成しており、
子どもの波動に干渉し同調させてしまう性質を持っているのです。
それが「愛」の方向への同調ならば、それを「お手本」とか
「導き」とか「しつけ」として見ることのできる、プラスの方向へ
作用していく、いわば「よい干渉」といえるでしょう。
ところが、それが「エゴ」の方向への同調になってしまうと、
それは「不調和」をもたらす「悪い干渉」として作用し、自分本位
な、ゆえに分かち合えない、ゆえに豊かさから遠のく結果を招く。
「子は親の鏡」とはよく言ったもので、親の考え方や好き嫌い、
しぐさや言い方のクセを子どもに見つけて、「何もそんなとこまで
似なくても・・・」と溜息が出ちゃうことってありますよね?
でもこれは、親のエネルギー・フィールドの中にいる子どもが
親の波動に同調している、あるいは同調“させられて”いる、と
いう現象なわけで、子どもはやはり、親の“分振”なのです。
もちろん、「学び」とは「まね・び」、全てが真似することから
始まりますので、親の真似から入ることは間違いないことなの
ですが、それ以上に「感じ取ってる」部分が多い気がするのです。
今まで、ずっとずっと「こころへの旅」を通して考えてきた
「想い」というものの性質。
「想い」がまさに現実を生み出してゆく「創造の原理」として働く
ということが、なんとなく見えてきたと思うんです。
それは、「想い」というものが波動であり、ある種の物質化した
磁場あるいはエネルギー・フィールドを形成しているがために、
その「作用」によって物事が「同調」して起きるのだということ。
このような現象は、「シンクロニシティ」と呼ばれています。
いわゆる「シンクロ」ですね。
「同時性」です。
と、いうことはやはり、「善き事」「悪しき事」それぞれに、
それぞれの「想い」があってこそ現実化するものである以上、
私たちは常に自分の「想い」に注意を向ける必要があります。
そして、いつもいつも「感謝」「笑顔」「素直」を旨として
こころを明るく保っていったのならば、それはどこかの誰かと
必ず「シンクロ」しているということに他なりません。
あなたの「心の目」で、そんな風景をありありと想いうかべて
「にこっ」とすれば、世界のどこかで誰かが「にこっ」と
するのです。
「むふっ」でも「ニタ~」でもいいですよ。
どうせなら、「あはははは~~」って明るく大笑いする方が
楽しいかも。
「チューニング」
「波長同通」
「波動共鳴」
「共振」
「あなたの笑顔が、世界を笑顔にする」ってこと、もうそんなに
現実離れしたことではないように思えませんか?
「あなたの祈り(想い)が、世界を変える」ってことも
あり得ないことではないと思いませんか?
もし、多くの人が「シンクロ」したならば。
どうでしょう?
生きとし生けるものが、しあわせでありますように。