おはようございます、KENです。
震災後、毎日が祈りの日になりました。
特に夕食は、子ども達となるべく一緒に食べるように
心がけ、そして必ず声に出して祈り上げることを
震災以来ずっとしています。
『今日を無事に過ごさせていただいたことに感謝します。
家族揃って暖かな食事をいただけることに感謝します。
願わくば、この大地の恵みが、私たちの心と体の糧と
なりますよう祝福してください。
そして、被災された方々、アフリカの子ども達、世界の
恵まれない人々に、どうぞ心の安らぎと十分な食事が
行き渡りますように。よろしくお願いします。』
その時々で微妙に変わりますが、大体こんな感じです。
最近は、僕がお祈りを忘れると、子どもたちから
「おと~さん、お祈りは?!」と突っ込まれます。(笑)
なんだかキリスト教徒のようなので、あえて「神さま」とは
言わないのですが、宗教とかの枠にとらわれず、よい習慣は
生活の中に取り入れて実践していきたいと思うのです。
「祈り」とは、太古の昔から、全人類共通の、神々と、
そして宇宙とつながり、想いを届け、お力添えをいただく
ために、私たちに与えられた大切な通信手段なのです。
もちろん、祈りに込めるのは我欲や自己保存の欲求ではなく、
「愛の想い」でなければ、それが神々に届くことはないのは、
言うまでもありませんね。
■過去記事の再掲載バージョンでお送りしています
「しあわせのコンパス」こころへの旅45
2011年4月23日 土曜日 午前6:30
おはようございます、KENです。
新学期が始まって、子ども達もそろそろ
新しい環境に慣れた頃でしょうか。
元の学校が使えなくなってしまった被災地の小学生達も、
違う町の小学校や中学校に間借りして、ようやく新学期を
始められたようですね。
それにしても、子ども達の元気な笑顔には救われます。
まさに子ども達は「希望」そのものなのですね。
あの生命力、躍動感、笑顔、元気・・・ それらは
いったいどこから来るのか。
大人の忘れてしまった、あるいは失くしてしまった
「何か」を子ども達が持っているということですよね?
それこそ「こころ」に聞いてみるとわかるでしょう。
それを取り戻せば、大人だっていつまでも若々しく
いられるハズです。
そしたら、美白もアンチエイジングも必要なくなります。
子ども達のプニプニの肌があなたのものに(笑)
研究の価値ありです。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □
さてさてさて。
私たちは「こころへの旅」を通して、私たちを、そして万物を
生み出された「創造主」、あるいはこの宇宙の大元の意識である
「一なる存在(ワンネス)」に出会うこととなりました。
ずっとおつきあいくださっているあなたも、なんとなくその
「大元の意識」があるのだという感覚を、共有してくださって
いるのではないかなと、感じています。
そして、僕がずっと言っている「これは宗教ではない」という
意味も、なんとなくわかってくださっているんじゃないかなと
密かに期待をしているところです。(笑)
宇宙の根本法は「愛」なのであるということ。
そして、この「愛」こそが「創造主」であり、「ワンネス」で
あって、宗教っぽく言えば「神」なのであるということ。
このことをシェアしたくてずっと旅を続けてきました。
この認識を分かち合っていただけるでしょうか・・・
「神」とは「愛」のことである。
このことを否定せずに受け入れることのできるあなたは、
それが「宇宙の友からのメッセージ」であるということも、
遅かれ早かれ受け入れてゆくことになることでしょう。
なぜなら、今まで「こころへの旅」をずっと読んでくださって
いるあなたは、例えば小さな宇宙人「アミ」シリーズの話などが、
本当にすんなりと腑に落ち、よく分かると思うからです。
実は、前回の最後にお話した「私たちの中にある障壁」について、
アミが教えてくれています。
以下に引用させていただきますね。
「宇宙のすべての文明世界は、みんな同じように組織されて
いるんだよ」
とアミは、ぼくがやっと理解したことを喜んで言った。
「それじゃ、組織の基本は愛なの?・・・・・・・」
「そのとおり、ペドゥリート。やっと分かったね。
それが宇宙の基本法なんだよ」
「え?! どれが?」
「愛が」
「愛? 愛が法なの?・・・・ ぼくはまた、何かもっと
ずっと複雑なものかと思っていたよ・・・・・」
「とても単純で、素朴で、しごくあたり前のことのようである
けれど、これを感じ体得するのは容易なことじゃない。だから
こそ進歩が必要となってくるんだ。進歩とは、愛により近づいて
いくということを意味しているんだ。もっとも進歩した人が、
より崇高な愛を体験し、より深い愛を表現するんだ。ほんとうの
人間の大きさとは、ただ、その人の愛の度数によって決定される
んだよ・・・・」
「でもどうして、そんなに大変なことなの?」
「うん、それはわれわれの内部には障害があって、それがわれ
われの一番すばらしい感覚である愛を、はばんだり、ブレーキを
かけたりしているんだ」
「その障害って?」
「エゴだよ。自我、自己、うぬぼれ。われわれ自身に対する
間違った考え。ニセの自分だよ。人にエゴがたくさん育って
いると、他人よりも自分がずっと重要だと考えるようになり、
人を軽蔑したり、傷つけたり、利用したり、他人の人生を支配
する権利まであるように思い込んでくる。エゴは愛が育つ際の
大きな障害になっているから、他人に対するいつくしみ、思い
やり、あわれみ、やさしさ、愛情などを感じさせにくくするん
だよ。たとえば、エゴイスト・・・自分以外にはまったく興味を
持っていない。自己崇拝者・・・自分以外の誰も崇拝しない。
自己本位者・・・自分のことしか話さない。自己中心主義者・・・
宇宙が自分を中心に回っていると思い込んでいる人。人間の進歩
とは、エゴを減少させて、愛が育っていくようにすることを
言うんだよ」
「じゃ、地球人は、エゴをたくさん持っているってことなの・・・」
「それは、それぞれの人の進歩の度合いによるよ。じゃ、また、
見学を続けよう。ペドゥリート」
「アミ 小さな宇宙人」より
エンリケ・バリオス[著] 石原彰二[訳]
1995 徳間書店
ものすごくシンプルなこの宇宙の根本法「愛」に従えば、
要するに「神」と共にあれば、人々は幸せになれるのだと
いうこと。
不幸になるのは、不運に見舞われるのは、病気をするのは、
愛に背いた、愛に反する想いの結果であるということ。
多くの場合、私たちはそれに気がつけないのだけれど。
その「気がつけない」状態を「無智」というのです。
仏教では「無明」ともいいますね。
無知蒙昧・・・ 心の迷妄、心の闇を抱えた状態です。
そして、自分が「無智」であることに気づく「無智の知」こそ、
賢者への道、悟りへの道、幸せへの道の第一歩だということ。
哲学や宗教は、そのことを教えるために存在してきたのです。
「愛」こそが「宇宙の根本法則」なのであるということを、
私たちはもうそろそろ受け入れていくべき時が来ていると
いうことなのです。
* * * * * * * * * * * * * *
神とは「愛」であり、
「愛」こそが神である。
宇宙の根源神とは「愛」であり、
「愛」とは根源神の意識である。
森羅万象は神の意識によって生み出され
それらは全て「愛」の表現なのである。
その根源的な意識には名前があって「オーム」と呼ばれています。
あるカルト教団が悪の手先になって、この名前が汚されてしまい
ましたけど、オームとは我々の属する宇宙の「総親」なのです。
「風の谷のナウシカ」で宮崎駿監督が描いた「王蟲」は、腐海の
主であり、森の掟であり、愛の守護者であり、「オーム宇宙」と
同じ響きを持つものとして描かれていたように思います。
私たちは、このオーム宇宙の、つまりオーム神霊の一部であり、
森羅万象、万物はオーム神霊が創りだした、ご自身の分身であり、
ご自身の投影であり、ご自身の表現体であるのです。
そこで、私たちの最大の関心事は、
「ではオーム神霊はどのようにして宇宙を創り出したのか」
ということになりましょうか。
これは「科学」の方面においても、天文学における宇宙論として
「ビッグ・バン」説が現在有力でありますけれども、この宇宙創生
については、やはり最大の関心事と言っても過言ではありません。
スピリチュアルからのアプローチ、すなわち「愛の源泉」への
探求と、科学からのアプローチ、すなわちビッグ・バン宇宙論が
交わった所に、きっと、その応えはあるのだという予感がします。
アインシュタインが完成させた一般相対性理論によって、ダイナ
ミックに変化を続ける宇宙の姿が予言され、ハッブルなどの観測者に
よって、宇宙は膨張していることが実証されてきました。
と、いうことは、かつて宇宙には「もっと小さかった」時期があり、
それを突き詰めていけば、最初は超高温超高密度高エネルギーの
「点」のようなものだったハズ、ということに導かれていきます。
それがあるとき弾けて、いわゆるビッグ・バンによって膨張が
はじまったのですね。
そして、まさにその時こそ、神が創造を始めた時、ということが
できましょう。
それでは、神の側から見たら、「ビッグ・バン」とは
どういうことであったのか。
* * * * * * * * * * * * *
「はじめに言葉ありき」
聖書にそう明記されています。
これが「創造」の根本原理です。
最初にあるのは「想い」です。
ヴィジョンなのです。青写真。
そしてそれを強く念ずる時「言葉」になります。
「光あれ」と。
つまり言葉とは、「想い」が「カタチ」になったものであり、
カタチがあるということは、それは「振動体」であることを
意味します。
「振動体」とは、読んで字のごとく振動している物体であって、
その物体固有の振動数(周波数)を持つ波動を発振しているのだ、
ということを、以前にも述べたかと思います。
当然、私たちの体も振動体ですし、金属や水晶やダイヤモンドも
振動体ですし、音も光も放射線も、森羅万象全てのものが等しく
振動体であるのです。
ではなぜ、万物が振動体であるのかというと、これもおさらいに
なるのですが、物質の根元を突き詰めてゆくと電子と原子核から
成る「原子」にたどりつくわけで、それが振動体だからです。
原子核の中にはさらに陽子と中性子があって、そしてそれらは
どういう物体かと言ったら、クォークと呼ばれる素粒子が超高速
回転運動をして「形作っている」量子なのであるということ。
「量子」という言い方は、以前少し触れましたけど、波と粒子の
両方の性質を備えた「確率的な存在である」ということを表して
います。
で、実は、このクォークも現代科学ではまだ解明されてはいない
けれども、足立育朗氏の「波動の法則」によれば、さらに根源的な
物質である「オクツトップ」の回転によって生み出されている・・・
つまり、私たちが「物質」として認識しているものは全て、
「より小さな根源的な物質の回転によって形作られている」
ということなのです。
この回転によって波動が生まれているのです。
回転し波動を生み出す素粒子が原子核を形作り、
その原子核が電子を伴った時に「物質化」するのです。
固く冷たい金属や岩石でさえも、その内部では熱いエネルギーが
脈動し、根元的物質が光の速度で超高速回転する激しい宇宙が
封じ込められた世界を内在しているのだということ。
「原子には、巨大なエネルギーが封じ込められている。」
このことに気づいたアインシュタインの理論が、のちの
原子爆弾の開発につながっていきました。
自然界には時として原子核のエネルギーバランスの悪いものも
生み出されてきます。
それは、放射性元素と呼ばれています。
つまり、放射性元素の原子たちは、本来の原子よりも質量が多く、
それは陽子や中性子の量が多いためにエネルギー的にバランスが
悪い、ということなのです。
そこで、陽子や中性子や電子を「放射線」として放出して、自らの
安定を図ろうとしているのです。
そういう事情を持っているのが「放射性元素」なのです。
放射線の実態とは、その原子を構成する電子であったり、
陽子や中性子であったり、要するに原子が壊れてゆく時に
その構成物質が中から飛び出してくるということなのです。
おっと、いけない。
天地創造を説明するために「振動体」が出てきたのですが
話が違う方へ行ってますよね(苦笑)
というわけで、
次回はまた、天地創造に話を戻すことにいたしましょう。
生きとし生けるものが、しあわせでありますように。