おはようございます! KENです。

今日は子ども達の運動会。

小雨決行!の予定ですが、どうなりますか・・・


紀伊半島の雨が鎮まります様に・・・





■過去記事の再掲載をお送りしております
 大震災での学びを風化させないために・・・




福島第一原発から見えること 3

2011年4月3日 日曜日 午前6:30




先日、「メルマガ読んだよ」ってばあやが感想をくれました。
例の「福島第一原発から見えること」を読んでくれたようです。



「数字に振り回されず、その意味をしっかり読み取ろう」って
いうメッセージに受け取ったよ、とのことでした。



僕が何かしらの文章を書いた時には、彼女から全体的な
印象や感じたことを聞いて、客観的にチェックしてもらう
ことがよくあります。




あ、「ばあや」って家内のあだ名なんです。
変でしょ?



小学校の時、演劇でおばあさんの役をやって、それが
妙にハマリ役だったようで、それ以来友達からは
「ばあや」と呼ばれているのです。



本人も、いたくこのあだ名が気に入っていて、
本来は乳母のことを「ばあや」とよぶわけですが、
「かわいいおばあさん」になりたいんだそうです。





女性は皆そうなのかもしれませんが、彼女も「氣」を感じる
のに敏感なようで、霊感という程でもないのでしょうけど、
本人は「直感」だけで生きてきた、とも言っております。



先日も、彼女の叔母が亡くなってお通夜に行って帰って
きてから、しばらくの間、肌が、特に顔がカサカサになり、
体調もすぐれない日が続きました。



鬼子母神で有名なお寺だったのですが、東京の空気が
合わなかったのか、それともその場の想念だったのか、
何かの「氣」に当ってきたのでしょうね。



おとといは僕が帰宅すると「抱っこ~!」と言って
ハグを求めてきました。
「チャージ~!」というときもあります。



オレは乾電池か!?(笑)






でもね、抱き合うことで、やはりエネルギーがお互いの
間に流れて、氣の交流・循環が起こると思うのです。
エネルギーを分かち合うことができる。



相手が悪い氣を持っているのなら、分かち合うことで
半分になるし、こちらが元氣なら相手にも元氣を分けて
あげられます。



僕も彼女の頭からホコリを払うような動作をして、
イメージの中で悪い氣を逃してあげました。
「つもり」でやっても、結構彼女には効くようですよ。



要は、本人が「すっきりした」と思えれば、実際すっきり
するのですからね。


「ありがとう」と言ってまた台所に戻っていきました。






また逆に、僕が仕事上の懸案を抱えてしかめっ面していたり、
語気が荒くなったりしているときは、「ギュ~」って言いながら
ハグしてくれたり、頭をなでたりしてくれるのです。



大のオトナが「いい子いい子」みたいにされると、照れもあって
「ガキじゃねぇぞ!」と反発もあるけれど、ギュ~と圧迫されて
いるとね、なんだか安心して落ち着いてくるから不思議ですよ。




あなたも、お子さんやご主人(奥様)がふさいでいる時には
ぜひ優しく包むようにハグしてあげてくださいね。


「愛」のエネルギーが巡り来て、ほっこりしますからね。



愛は命の火です。



「キッスは命の火よ、アモ~レ~♪」と
中森明菜さんも歌っていたではないですか。





そうそう、お向かいのワンちゃんなんてね、ばあやが近寄って
行くと、ひっくり返っておなか出して、アラレモナイ格好で
「おまかせ~」状態になっちゃうんですよ。



こういう力を「母性」というのでしょうねぇ。




だから、どんなにキツイことを言うような女性でもね、
女性には生来、愛を体現するために生まれ来た証としての、
「母性」というものが備わっているのですよ。



だって、女性がいなければ、命がこの世に産み出されることは
なく、また、その命を育み養う「命の水=乳」がなければ、
生まれ出た命が育つことは、本来できないのだから。



そうしてみると、「母性」とは愛そのもの。


つまり、「相手を生かすエネルギー」であるのだから、
愛のエネルギーそのものであることがわかります。





  * * * * * * * * * * *




世のおかあさん方。



あなたがいなければ、この地上が命で満ちることはないのです。
あなたの存在そのものが「愛」なのです。



そうでしょう?
それが、女性性の役割なのです。






そこには難しい理論も知識も必要ないのです。
理屈なんかいらないんです。
言葉すらも要らない。



ただただ、あなたのふところに全てを包み込んであげる。
抱きとめて、抱きしめてあげるだけで愛は伝わるのです。
揺らいでいた命の火は、また力強く燃えだすことでしょう。


(女性に学問は不必要と言ってるのではありませんよ?
 愛に生きるには、ただただ母性に従えばよいということ。)





一方の男性は、「命あれ」と、そのカタチを、その設計図を、
そのビジョンを、その使命を、想いの中でカタチ作ります。



それをパートナーの中に送り込むと、陰陽のエネルギーが
遺伝子の配列の中でらせん状に合体して、そのビジョンが
実際に物質化し生命の形になってゆく。



生命の形が出来上がってくると、そこに魂が入り、つまり
エネルギー体としての命が吹き込まれ、宇宙を統べる愛の
エネルギーによって脈動を始めるのです。







「カタチ作る」のが男性なのです。


藪を切り開き道筋をつけてゆく力。
社会を組織して秩序立て、まとめあげてゆく力。
ビジョンを描き、物事を成就させてゆく原動力。



夫婦を、家族を、組織を、地域を、国を。
家を、橋を、ビルを、飛行機を、ロケットを。
カタチ作ってゆく。



それが、男性性の役割です。



そして、そのようにカタチ作られた全てのものに、
「人」を通して命を吹き込むことができるのが、
女性なのです。



人を産み、育て、癒し、包み、命の火を守れるのは
母なる女性なのです。


まさに、「聖母たちのララバイ」
そのものの世界です。



性別で、職業を差別しているのではありませんよ?
ここはわかって欲しいのです。


「それぞれの役割がある」「役割が違う」
と言っているのです。



女性の母性が、母の想いが、その全ての子らを通して
「(母の)愛を体現する社会」を実現することができるのだ、と
言っているのです。



「されど母は強し。」なのです。





そのようにして、男性と女性が手を取り合い、協同して
社会全体を生き物のように活かしてゆくことができる、と
言っているのです。









この地球も、男性霊テラが形作り、生命のビジョンを描き、
そこに、女性霊ガイアが「水」を通して、生きとし生けるもの
全てに命を吹き込んでいるのです。



なぜ、お腹の中で赤ちゃんができるのか不思議に思ったことは
ありませんか?


「あたりまえ」って思いますか?



私たちも、子育てを通して「天地創造」の原理を
体現しているのです。


神の摂理、愛の摂理が、
おかあさんの子宮の中で命を生み出すのです。





「子どもを持ちたい」と願うのは、「愛を実践したい」という
魂の想いであり、その願いを受けて神が、宇宙の愛のエネルギーが
それを守護し命を育むのです。



その間、母親が何ひとつ手をつけることはないでしょう?
お腹の中で赤ちゃんの体が作られ、命が育まれることを
優しく見守ることしかできないはずです。



なぜなら、命を与え、命を生かすのは、宇宙神霊そして太陽から
愛のエネルギーを引く母なるガイアが、水を通して愛の想いを、
エネルギーを注ぐことをもって、命を育んでいるからです。



地球はたくさんの水をたたえた惑星です。
多くの水があるということは、多くの命を育んでいるということ。
命あるところに、水のないことはないのです。



水は地球の血液。
汚してはならないのです。


それは、私たちの命の源なのです。









いつもながら、前置きが大変長くなりましたが、
のろけ話をしたかったわけじゃないんです。



実は東日本大震災の影響というものが、じわじわと広がって
きています。



私たちの身近なところにも、ひたひたと見えない津波が
押し寄せてきています。



それをこれからお話しようと思います。





 □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ 





先に、女性の感受性について触れましたが、
深層心理において、潜在意識において、魂レベルで
みんなつながっているのです。





大震災の惨状をテレビや新聞でご覧になって、現在
体調不良を訴えている女性の方、多いと思います。



あなたの身近な方はどうですか?
あなた御自身は大丈夫ですか?




直接自分が被害を受けているわけではないのに、
言い知れぬ不安に襲われている方が、実は多いと思うのです。



被災地のみなさんの想い、生活への不安、家族を失った悲しみ、
それらの入り混じった想念が、画面を見ているうちに入り込んで
来るのでしょう。



あるいは、阪神淡路大震災を経験された方は、その時の想いが
フラッシュバックして、胸がつかえるような息苦しさを感じる
ケースもあるかもしれません。



「不謹慎」という言葉も安易に飛び交う昨今、妙な自粛ムードも
それを助長しているのかもしれません。






何度も申し上げているように、こういう時こそ「明るさ」が
必要なのです。


自分のこころを暗くしてはいけません。
不安や恐れに自分のこころを同調させてはダメです。


チアリーダーが、見方がピンチだからと言って明るさを失ったら、
自粛ムードになったら、何の意味もないじゃないですか。



受身になるのではなく、自分の中から相手を鼓舞する想い、
相手を勇気づけ、励ますような想いを常に湧き上がらせて、
目の前の大切な人を笑顔にするように想いをめぐらせましょう。







そんな中で、僕の知っている方だけでも、3人は床に伏せって
しまうほどの心神喪失状態に陥っていたのです。
かなりの重症といえます。



いずれも、子ども達のお友達のママだったり、習いごとや
知り合いの先生だったりと、家内がよく知ってる方々なので、
伝え聞いたり、家内に直接メールが来たりしてわかったのです。



もちろん、家内はその方々とコンタクトを取り、電話やメールで
励まし、元気付けておりますが、精神的なダメージというのは、
これほどまでに体に影響を与えるものかと、改めて思いました。






ただ、その方々に共通することがあるのです。





実は、みなご主人と離婚したり、別居したりしている方ばかり
だったのです。




よろしいですか。






普段は、明るく気丈な方々ばかりなのですよ。
母子家庭であったり、一人でマンション住まいをされていたり、
ある意味「自立した女性」という印象の強い方々でした。



ところが、です。



一人身のモロさが、有事の際に露呈してしまったのです。



一人住まいの方は、地元で震度4の地震があった直後、
ばあやに泣きそうな声で電話をかけてきました。



明らかに怯えていました・・・






この一件で、夫婦とはなんなのか、
パートナーとはなんなのか、
改めて、考えさせられました。





なんでもない時には、相手の悪いところをあげつらねて
責めたり、文句を言ったりできるのです。


価値観が合わないといって、離婚もできます。



でもね、たとえ毎日ののしり合うような仲であったとしても、
大地が揺らぎ、明かりも落ちた時、すぐ傍で声がして、すがる
腕があって、抱き合うことができたら、幸せじゃないのかな。。。



そう思ったのです。





たとえうだつの上がらぬ亭主であろうが、口の悪いカミサンで
あろうが、縁あって一緒になったことの意味を、もう一度
お互いの気持ちに正直に話し合ってみるのもアリじゃない?



「人は一人では生きてゆけない」


よく聞くフレーズですね。




その本当の意味は、


「人は、愛なしには生きてゆけない」


そういうことなのかもしれません。





あなたの目の前の人。

その人は、神様なのですよ。(笑)




「愛とは、相手を生かすエネルギー」




本当はさ、
パートナーがそこに居てくれるだけで、
有難いことなんじゃないのでしょうか?



「しあわせ」って、
自分の足元から数十センチのところに
いつも寝そべっているのかもしれませんよ?










生きとし生けるものが、しあわせでありますように。