おはよ~ございま~す、KENです♪
昨日は青く澄んだ空に、女神が現れましたよ!
何やら特別な日だったようですね・・・

ね、ギリシャ彫刻の「ニケ」の羽根のようでしょ?
そして、満月にエネルギーを注いだ太陽は、
一段とパワーアップしているような気がします。

地球の進化のためにパワーを強めているのです。
みなさまも、体調管理にはお気をつけくださいね。
「地球の心」に寄り添い、同調してゆけば大丈夫♪
そうすれば、全ての現象、全ての変化を、
「ありがとうございます」と受け入れてゆけます。

さてさて、エネルギーの循環のお話。
昨日の続きから参りまショー!
では、これが「愛」というエネルギーの場合では
どうなのでしょうか。
愛を独り占めして、愛の流れを止めることなどできません。
なぜなら、そのことの報いが、必ず自分に返ってくるからです。
溜め込んだものは爆発し、強制的に手放され、自身も傷つく。
そして、「愛のない状況とはどういうものか」を、身をもって
イヤと言うほど思い知らされる。
つまり、不幸になるわけです。
「まだ気づかぬのか。」
「まだ気づけぬのか。」
本人が気づくまで「愛のレッスン」は繰り返されるのです。
愛もまた循環しなければ、つまり、受けるばかりではなく
自らも愛を送らなければ、そこにエネルギーが滞り、不調和が
生じ、自らが苦しむばかりか、他者へも影響を及ぼしてしまう。
前回お話した「渇愛」という状態。
これがまさに、愛のエネルギーが滞っている状態なのです。
空焚き、空ぶかしで、エネルギーが循環していないのです。
つまり、「他者を生かす」ことをしていないということ。
それは、自らの使命が果たされていない状態なのです。
伝わりますでしょうか。
病や不幸というのは、不調和のサインであり、愛のエネルギーが
その人の所で滞っているという警告であり、どこかに自分本位な、
愛に反する想いが潜んでいることを教えてくれているのです。
だからこそ、
「不幸の者、汝は幸いなり」
とイエスが言ったのです。
「病の者」だったかも知れません。
たとえ病や不運にある者でも、自らを省みて、その不幸こそ
自ら招くものと謙虚になる時、心に光が差し、自分本位な想いが
自分を苦しめ、他人を傷つけていたという「真実」を悟るのです。
そして、そのことに気づかせてくれた病や不幸そのもにも感謝の
想いが湧いてくれば、もはや、わけもわからずに病や不幸を嘆き
悲しむ必要はなくなり、全ての苦しみから逃れられるのです。
つまり、あまねく宇宙を統べる愛の摂理の中で、人々が皆、
神の子、愛の子として生きるのであるならば、恐れるものなど
何もなく、そこに地上の楽園が現れるということなのです。
それを、キリスト教の聖人たちは「神の国」と言ったのです。
あるいは、「千年王国」と言ったかもしれません。
天上界(天国)と同じ世界が、この地上に現れる。
地上天国が現れるのです。
お釈迦様も同じことを言ってるのです。
その地上天国を、仏教では「仏国土」と言ったのです。
「極楽浄土」というのです。
そういう場所が世界のどこかにあるのではないのです。
どこか、「今より物質的にも、金銭的にも豊かな状態」を
実現できる国や地域を「神の国」と言うのでは決してない。
「神の国」とは、元々、私たちの魂が知っている世界観であり、
この地上に肉体を持った時には、こころの奥底で開かれるのを
待っている扉の向こうにあるのです。
それに気づきましょう、ということなのです。
キリスト教も仏教も、本来は、そういうことを
言っているのです。
そのための様々な学びの場が、その扉を開くための課題が、
この地上に降りた私たち一人一人に与えられている、という
ことなのです。
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つらい、苦しい、不安だ、怖い・・・
そのようなネガティブな想いが心をよぎる時、
実は、地上天国への扉の前に立っているのです。
忍者屋敷の仕掛け扉のように、くるっと回せば、
その反対側には、明るく、楽しく、健康で、幸せな世界が
表裏一体になって存在している、ということなのです。
暗がりの中でその仕掛けを動かして、一瞬にして「神の国」に
入るための、そのスイッチの場所を探すために必要な「光」が、
「愛ある想い」なのです。
固く閉ざされているかのように見える扉を開く「鍵」が、
「愛」なのです。
「愛とは、相手を生かすエネルギー」
かつて、あなたの魂が神様から預かった「愛」というランプを
心の奥から取り出して、火を灯してみるのです。
今まで自分の手元に置いて、自分のためだけに灯していたその
ランプを、周りの人に差し出し、暗くて怯えている人の足元を
照らし、寒さに凍えている人には、暖を取らせてあげるのです。
あなたの光を、あなたのあたたかさを、分かち合うのです。
かと言って、相手にランプをあげてしまって、あなたがまた
闇の中で苦しむ必要はないのです。
あなたは、愛の火が消えないように自分のランプをしっかり護り、
ただただ、あなたのランプの光が、周りの人にも届くように、
少し高く掲げてあげればいいのです。
愛ある想いから語り、愛ある想いから行動をする。
ただただ、それだけのことなのです。
そしたら、あなたの投げかけた光によって、また誰かが自分の
中にあるランプの存在に気づき、同じようにランプを取り出す
ことでしょう。
あなたの火を相手のランプに分けてあげれば、その方のランプにも
火がともり、その方もあなたと同じように掲げてくれるでしょう。
その方のランプからも、また光が広がっていきますよね。
そうして光は次第に強くなり、より遠くまで届く光となってゆく
ことで、人々の心の闇はだんだんに明るさを取り戻し、今ある
この地上が、世界が愛の光に包まれてゆくことでしょう。
そうなった時、既に扉そのものも無くなっていることでしょう。
今、この地球に線引きされている「国境」というものが意味を
なさなくなるでしょう。
だって、人々のこころには境界などなく、愛の光は誰のこころにも
満ち溢れ、相手を思いやり生かしあうエネルギーが循環している
世界が、既にできているのですから。
まさに、ジョン・レノンの「イマジン」の世界・・・
イメージできますでしょうか?
決して荒唐無稽な、無意味なことを言ってるのではないという
ことを、きっとあなたなら、分かってくださると信じています。
なぜなら、あなたが今、この現実世界に「人間」として存在して
いるということ、そのことが、あなたが「神の子」「愛の子」である、
という紛れもない真実の証明であるのだから。
生きとし生けるものが、しあわせでありますように。