おはようございます。 KENです。
地球がこらえきれなくなってきています。
というより、地球自身が次元上昇する為に
重い波動を振り払っていると言った方が
いいのかもしれませんね。
太陽の活動が活発になっているのは
地球意識の想いを支援する為に、エネルギー量を
増やしている、と言ったところでしょうか。
当然、月からのエネルギーも強くなっています。
潮の満ち干=生命の脈動を司るエネルギーを増して
私たちの意識と周波数を上げようとしています。
言うまでも無く、地球は水の惑星です。
そして、私たちの体の70%は水ですね。
もし、体調が悪かったり、病気がちだったりする方は、
地球の意識と周波数が合ってないために、太陽や月の
強いエネルギーが体に影響を与えるのかもしれません。
大切なのは、地球の意識と同調すること。
アチューンメントなんて難しい言葉使わなくっても
誰でもできることです。
素直な心になること。
そして、あなたが今飲んでいる水を想い、感謝し、
その水を運んでくれる川や泉のことを想い、感謝し、
その水を生み出してくれる山々を想い、感謝すること。
山々の木々が落とす落ち葉がダムとなり、
水源涵養林として、キレイにろ過され浄化された水を
地下水脈に送り込んでくれます。
地下水脈は歌いながら=脈動しながら大地を潤し、
磁場を作って木々にエネルギーを与え、その「氣」が
水脈を伝って平野部に達し、泉と共に地上に湧き出る。
風水とは、大地の氣の経をたどるもの。
同様に、私たちの体内では、心臓の脈動が血流を作り、
その流れが磁場をつくり、細胞にエネルギー(電位)を
供給し、生命力が「氣」として表れてくるのです。
私たちは、地球そのものなのです。
あなたを遠くから見守り育んでくれた山々に、
命のエネルギーを運んでくれた川や海に、
そして新鮮な空気を運んでくれる風に、
「ありがとう」の気持ちを持つことなのです。
つまり、あなたの住む、その土地に、
感謝をしましょう、ということです。
そのことを、氏神様にお伝えすることです。
そして、あなたがその土地を護るのです。
大地が身震いし、溜まりに溜まった負のエネルギーを
振り払う時、あるいは、大洪水をもたらして地上を
洗い流すかに見える時、地球の声が聞こえるでしょう?
「そこまでしなければ、皆が助け合うことができないのか。」
「多くの犠牲者が出て、多くの人の生活に支障が出るように
ならなければ、お前たちは気づけないのか。」
「己自身が恐怖を体験しなければ、愛ある想い、愛ある行いを
自分ごととして生きることができないのか。」
そんな風に言われているような気がしてならないのです。
日本は世界で唯一、原爆を体験しました。
そして、
人々の暮らしのすぐ傍で、巨大な負のエネルギーの解放という
現象が頻発するという国でもあります。
日本は、「世界の雛形」なのです。
日本で起きることは、世界でも起きるのです。
だからこそ、日本が世界を救うこともまた、
できるということでもあると思うのです。
人間にできることは「想う」こと。
その「想い」で、日本から世界へ「愛」の橋を
渡してゆくことが、
日本に生まれ、今に生きる私たちの使命なのかも
しれません。

さてさてさて
前回は、「愛着」という私たちの意識の持つ力によって
起こる現象についてみてきました。
これを、「神」の持つ意識の力に置き換えて考えてみるんです。
「神が私たちを愛する ⇔ 私たちに愛想を尽かす」
「私たちに使命を与える ⇔ 私たちの使命を解く」
その神の意識の集中、拡散によって、要は“意識的に”
万物は創造され、または、消滅せられているのではないか、
と言うことが見えてきませんか?
つまり、私たちが現に「存在している」ということ。
他とのかかわりの中で、生きているということ。
それは、神が私たちに「愛着」をもってくださっているのだ、
意識を向けていてくださる、気にかけてくださっている、
頼りにしてくださっている、愛してくださっているからだ、と
そういう「存在」がいるのだ、ということではないのでしょうか。
無限に巨大な「意識」としての「一なる存在」がおられる。
無限に巨大なエネルギー体としての「ワンネス」があられる。
そういうことなのでは、ないのでしょうか。
その、私たちを存在せしめる力こそ、神の意識であり、
その意識こそが「愛」なのであると、言えないでしょうか。
そして、「愛するわが子に愛想を尽かすことなど永遠にない」という
そのお心、その意識、そのお姿こそ、至高のものであり、最も尊い
「神の本質」そのものなのではないでしょうか。
「え~、絶対にないなんてあり得ないんじゃないの?」って
あなたは思うかもしれない。
でも、「絶対にない」からこそ、「神」なのです。
それを証明することなどできないし、する必要はないのです。
なぜなら、神は「全て」であり、「完全」であるから。
その「完全なる全て」という存在があることをもって、
この宇宙が存在し、銀河系が存在し、太陽系が存在し、
この地球が存在し、私たちが存在し得るのですから。
言ってみれば、「親」を否定することは、
「己」自身を否定することと同じある、ということです。
同様に、自己否定、自己嫌悪、自虐行為は、
親である「神」を否定することに他なりません。
私たちは、万物は全て、「完全なる全て」という親なる存在から
生み出され、そのエネルギーを分け与えられた分身・分霊である
ということ。
皆それぞれが自由意志を与えられ、それぞれの個性を輝かせながら
つながりあい、協調し調和して、「完全なる全て」への憧れという
壮大なシンフォニーを奏でているのが、この宇宙の姿なのです。
その憧れとは、万物を生かす愛のエネルギーへの感謝であり、
「我もかくありたい」と願う強い意志であり、そして、その
与えられし「命」を燃焼させて光を放たんとして生きること。
その「本当の世界」の姿、宇宙の姿を知り、己の生きる姿に
映してゆくことが真の「智慧」であり、仏教では般若波羅蜜多と
呼ばれて「悟り」に至る道筋として示され続けてきたのです。
「悟り」とは、自身が神の愛のエネルギーを分けられた「神の子」
であるという神性(仏性)に目覚め、自らも愛のエネルギーとして、
慈悲深く生きることで、一切の苦しみから解脱するということ。
宇宙の法則であり、産みの親の意志である「愛のエネルギー」に
同調して生きることで、人もまた神のエネルギーを無尽蔵に自らの
内に引き入れて、神のように愛を分かち合い、喜びに生きられる。
またプラトンは、その「本当の世界」を「イデア」と呼び、
この現実世界はその写しであり模倣であるという深い認識から、
その本当の世界を希求する心を「エロス」と呼んだのです。
「エロス」は「愛」とも訳されますが、本来は、宇宙に奔流の
ごとく流れ、この宇宙の隅々にまで注がれて、万物を産み出し、
生かし育む「愛のエネルギー」に同調しようとする心なのです。
人類の歴史の中で、今の文明の数千年の歴史の中で、その時代を
凌駕する、圧倒的な見識を備えた諸聖人、哲人達の言って来たこと、
求めて来たものは表現方法こそ違えど、全ては同じことなのです。
その「絶対に私たちを見捨てることがない」という神のお心に、
全幅の信頼を寄せる姿をもって、そしてその愛深きお心に自らの
心を沿わせてゆくことをもって、本当の「信仰心」と呼ぶのです。
自分が救われたいから、自分の悩みを解決したいから、自分の
願いを叶えたいから、いい思いをしたいから、苦しむのはイヤ
だから、「神様お願い」と言うのとは違うことがわかるでしょう。
それは、単なるエゴに過ぎないということ。
身勝手な、自分勝手な欲望の羅列をもって「神仏への信仰」
とは言わないし、そのようにして幸せになれることはないと、
はっきり断言できます。
なぜなら、「神の御心」つまり、「愛のエネルギー」の奔流とは
「ま逆」な想いだからです。
愛ある想い、愛ある行いの先に、天の恵み、すなわち「愛の
エネルギー」が降りるのであって、生かし愛、分かち愛、
赦し愛のこころをもって、自らがまず調和してゆかなければ。
幼児が、親に対して全幅の信頼を寄せ、庇護を求め、その愛を
求める姿にこそ、私たちは神の子の姿を見るのであり、幼児の
ように神を慕ってゆく思いこそが、本来の「信仰心」なのです。
ですから、神道やキリスト教や仏教やイスラム教や既存の様々な
宗教宗派を超えて、それに囚われ縛られることなく、私たちは、
宇宙を統べる愛のエネルギーに対する愛慕の心を持つことができる。
持てるというより、持たなくては生きることに不安で仕方なく
なるのではないでしょうか?
子ども達が、常に親の愛を確かめようとするのは、
親の愛が、自分の命と直結していることを知っているがゆえに、
生かしていただいていることを無意識に感じているがゆえに慕う。
その幼子の、自然に沸き起こる、親への愛慕の心。
本能的に感じている、自らの命を養い、育む者への
絶対的な信頼と畏敬の想い。
そのような心を、本来「信仰心」というのだと思うのです。
その「信仰心」であるのならば、僕自身も持てるし、既に
持っているがゆえに、今、これを書いているのです。
「何教」「何宗」なんかじゃないんです。
そんなちっちゃな枠なんか、もう人類はぶっ壊さなくちゃ。
日本とは「日の本」の国。
日本人の根底には、太陽への崇拝、大自然への畏敬の念、
そのような信仰心が、元々ある国なのです。
自然と共にあり、自然から日々の糧を頂いて、
質素な中にも心豊かに暮らしてきたのが、かつての
日本人だったのです。
そして、それらの自然の中に、森羅万象の中に、自らを
生かしてくださってる「大いなるもの」の姿を見て、
全てのものに精霊が宿る、神が宿ることを信じてきた。
いや、知っていたのでしょう。
それが、山の神、海の神、水の神、大地の神、穀物の神・・・
人々の生活に関わるありとあらゆる現象、事象に対して、
八百万の神々としてお祭りし、感謝を捧げてきたのです。
そのような、素朴な信仰心を持った日本人を、この日本の地を、
やはり日本の神々は「よしよし」とお思いになって、守護し、
豊富な水と豊かな実りという恩恵を与えてくださったのです。
「全てのものに精霊が宿る。」
水には水の、花には花の、風には風の意識があり、創造主に与え
られたその役割の中で、その命を生きているのです。
人間に限らず、森羅万象、この自然界全てが被創造物、神の子で
あり、おのおのが無心に自己を表現している姿に、神は愛着を
持たれ、愛情(愛のエネルギー)を注がれているのです。
私たちが、子ども達の愛慕の気持ちに応えるように、
神もまた、「かわいい」と言って、この宇宙に存在する
全ての神の子たちに愛情を注いでおられるのです。
それが、本来の、自然の姿なのです。
自然は、神のお心そのものであり、その表現であり、お体の
一部であり、宇宙の秩序、愛のハーモニーそのものなのです。
自然が美しいのは、無心に神のお心を表現しているからです。
自分の方が偉いとか、自分の方が強いとか、自分の方が美しい
などと一切思わないし、考えないし、他と比べたりしないのです。
ただただ、自然界に宿るその魂は、神より授かったその個性の
輝きを最大限に発揮しようと、ただひたすらそれだけのために
自らの命を燃焼させようとする、その姿が美しいのです。
その自然界にあって、人間だけが神に対する愛慕の気持ちを
忘れてしまったがために、神の愛を忘れてしまったがために、
今、地球人類は「愛なき世界」に陥っているのです。
人間が、自然に対する愛着も愛想もなくしてしまったがために、
自然界のバランス、愛のハーモニーのバランスが崩れ、環境破壊や
地球温暖化、天変地異が頻発しているのです。
地球表面に広がった60億の人類の「負の意識」のパワーが、
今、地球を破壊するまでに増幅されてしまっているのです。
それだけ、人間の意識にはパワーがあるということ。
多くの意識のエネルギーが集中すれば、大地を割ってしまう
こともできるのだということ。
しかしそれは、神を知らぬゆえの、神を恐れぬ傲慢な行為であり、
神に対抗する、神に逆らう、神の愛に対して恩を仇で返す行為
なのであるということ。
私たちは、そのことに、もう気づかなくてはならない。
生きとし生けるものが、しあわせでありますように。