おはようございます、KENです。
今日こうして、再び朝を迎えられたことに感謝します。
今日こうして、再び命の甦りをいただけたことに感謝します。
ずっとおつきあいくださっているあなたにも
心から感謝の気持ちを捧げます。
今日もまた、長くなると思いますが(笑)、
お時間の許す時にお読みいただければ幸いです。

さて。
私たちは、瞑想や内観、反省などを通して自分自身の内面を深く
掘り下げることによって、究極的には創造主の愛のバイブレーシ
ョンに出会っていくことになります。
「創造主」と言う言葉に違和感があるならば、この「宇宙全体」を
創造し生かしめている力の根元、といっても構わないでしょう。
私たちもまた、星々と同じくこの宇宙空間に生み出された存在で
あるということ。
そして、その万物の生みの親が、全ての命の中に宿す「愛」。
あるいは、万物を生かしめている力の本質が、「愛」なのだと
いうこと。
愛ゆえに生み出された私たちは、自らの命の中に、
その創造主の愛が宿っているということ。
自分は愛そのもの、愛の化身であるということに
気づいてゆく。
そこにあるのは、
自分が「愛」で出来ているという気づき、
愛そのものであり、無条件に愛されているのだという喜び。
そしてそれが「命」というもの、この世に「存在する」という意味で
あり、「自分」という他愛もないと思っていた者が、実は神に愛され
ている尊い存在であることに気づく。。。
そんな尊い存在として生み出してくださった、創造主=「神」。
心からそう感じた時、そこには、ただただ感謝しかなくなるのです。
そして、傍らを見ればパートナーがいて、子ども達がいる。
大好きな友達がいて、大嫌いな上司もいる。(笑)
野には花が咲き、心地よい風が渡り、海は青く雲は白く、
夜空には星がまたたく。
それら、全てが「自分と同じ存在」だと気づく。
彼らもまた、
神に愛されている神の子であり、
神の愛そのものであり、
神の愛の表現としての「尊い存在」なのだ、と。
あなたは、私。私は、あなたである。
万物は、私。私は、万物である。
宇宙は、私。私は、宇宙である。
という「つながり」に至る確信。
それが、「悟り」なのです。
その確信が得られたならば、もはや自分である他人を
傷つけることなどできなくなるのです。
つまり、自分の心の中に、自分の気づきの中に、神を見出してゆく。
その「内なる神」に出会っていく課程が瞑想であり、反省であり、
また、人生の修行そのものなのだということ。
辛いこともあるでしょう。
悲しいこともあるでしょう。
悔しいこともあるでしょう。
怒りが込み上げることもあるでしょう。
それらはすべて、元をたどれば「自分が、自分が」という
思いから出てくるもの。
つまり、自分と他人とを分けて、自分だけのことを考えている
ことから生まれる感情なのです。
何かにしがみつき、放すまいとする思い。
何かを取られたくない失いたくない、という思い。
それを「執着」というのです。
それを手放し、握り締めているものを誰かに分け与え、
分かち合った時に、人は苦しみから解放されるのです。
極端な話、全~~~~部、相手にあげちゃえばいいんです。
そしたら、そんなあなたには、それに倍するものが還って
くるのです。
それが、因果の法、縁起の法、宇宙の法則だからです。
愛を与えれば、必ずあなたに還ってくるのです。
愛される人になれるのです。
天上の聖人・霊人達は皆、この神の愛のバイブレーションに
同調し、愛に生きることを実践し、人々を愛の方向、神の方向に
向けさせて、父なる神の御技を地上にもたらした方々なのです。
私たちは、諸聖人がかつてそれぞれの宗教において説き、いく筋もの
流れとなっている「法」というものを、今こそ一つに統合して、皆が
迷いなく、自らが神の子であるという神性に目覚める時が来たのです。
こうやって書くと、やはりものすごく宗教っぽく聞こえちゃうんだ
けど、そんな宗教とかいう枠を越えたところの、この宇宙を統べる
根本の法、それが「愛」なのだということに目覚めてゆくのです。
様々な神があるのではない。
そのような、人類を長い間指導してきた、地球の守護霊・守護神とも
いうべき方々もまた、「神の子」なのであって、人類を「愛一元」の
存在に帰するべく愛を注いできた方々なのです。
神(根元神)の御心に沿い、神の御業を現される霊人方だからこそ、
地上の者からみれば、神と同じといえるでしょう。
守護霊・守護神、諸天善神、みな神の代行者であり、神理の教導者で
あるがゆえに「神霊」「神様」であられるのです。
「光一元」「愛一元」の宇宙神理の中で、私たち地球もそこに住む
すべての生命も、愛によって生まれ、愛によって育まれ生かされて
いる「愛の子」なのであるということ。
私たちがどんなに自分や他人を非難したり責めたり、戦争で殺し
あったりしても、それがどんなに宇宙の摂理、神の摂理すなわち
「愛」から外れていても、学びのために許されてきたということ。
そんな、出来の悪い人類であっても、忍耐強く裁くことなく、
ただただ太陽の光という無償の愛を与え続け、水と酸素を与え続けて
くださっているということ。
私たちは、そのことに本当に気づいているだろうか。
私たちは、そのことに本当に感謝をしているだろうか。
命を命として、あるがままに生かし育んでいるその大自然の中に、
あたたかな太陽の日差しの中に、星々のきらめきの中に、神の愛が、
愛の奔流としてのバイブレーションが、送り続けられているのです。
神は裁かず、ひたすらの愛を与え続けて下さるにもかかわらず、私
たちが、自分可愛さゆえに憎み、悲しみ、怒り、妬み、恐れ、裁き、
傷つけるのならば、その負の波動の反作用により自滅するしかない。
この宇宙を貫く愛のバイブレーション、神の愛の波動に同調した
生き方の出来ないものは、やがてその存在を許されなくなる、と
いうのが宇宙の法則なのです。
自ら弾かれてしまうのです。
このことが深く深く私たちの腑に落ちて、これを地球系神理として、
宗教っぽく言うならば「地球教」として、あまねくこの地球に、世界の
全ての人々と分かち合えたのならば、地球は光に包まれるのです。
神の子・愛の子としての道を歩み、光の方向に向かい、自ら愛の人に
なって万物を慈しみ、隣人を助けてゆく課程において、魂は光り輝き、
悩みも苦しみも一切が消えてゆき、自らも救われてゆくのです。
それは、本来の姿、つまり創造主の分霊であるたましいの姿、
「神の子」の姿であって、愛の奔流である「神」に還ってゆく
ための、神の愛の波動に同調するための、唯一の道なのです。
そして、それこそが愛を込めて産み出してくれた創造主への
恩返しであり、自分に宿る神性を自覚し、一人でも多くの人に
愛を伝え、その人の神性も目覚めさせて愛の和を広げていく。
* * * * * * * * * * * * *
愛によって生まれ、愛ゆえに結ばれた男女から、
愛の力で産み出され、愛によって育まれる子ども達。
その、「家庭」という愛の磁場から、まるでキャンドルサービスの
ように愛のトーチが次々に灯されていく。
私たち一人一人が、ハートに愛のたいまつを灯し、それを
暗い闇の中で出口の見えない不安に怯え、迷い苦しんでいる
人々のハートに、あたたかな光を灯していくということ。
それを、私たちが、仕事の中で、家庭の中で、PTAで、
自分らしく、自分の個性を活かして、自分のできる範囲で
やっていくということ。
これこそが、「神の子」としての人間の使命であり、
そのために私たちは、この世に生を受けたのです。
私たちの人生の目的は、私たち一人一人の、その個性を
活かして、神の愛の体現、すなわち神業(しんぎょう)に
奉仕するということなのです。
仏教の方では、それを「利他行」と言ってきたのです。
あ、もちろん、自分の仕合せは追求していいんですよ?
「自分はいいから、人様が幸せになってくれれば・・・」
ってのは「偽善」です。
自分も仕合せになるんです!!!
ただ、その前提として、自分の親しい人々、連れ合い、親兄弟、
友人、同僚たちも仕合せでなければ、自分も仕合せでいることは
難しいんです。
ですから、「その人たちの仕合せも願う自分である」という
生き方を採用しましょうよ。
でも、もっと拡大して考えれば、自分だけでなく、親しい人だけで
なく、世の中の人み~んな、恐らく「仕合せになりたい」って思って
ますよね?
そしたら、自分や親しい人だけが仕合せであれば、他の者たちが
不幸でも構わない、その人たちが苦しんでたって知ったこっちゃ
ない、って言ったら、その者たちが怒りますよ。
逆に言えば、他の者たちが自分の仕合せだけを追求した結果、
この私に非常な迷惑や不幸が訪れたとしたら、こっちも黙っちゃ
いられませんよ。
ですから、「他の人、全ての者の仕合せも願う自分である」という
生き方も採用した方がよさそうじゃないですか?
と、もうここまで来たら、あなたもおわかりでしょう。
この世に生きとし生けるもの、この星・太陽・銀河・宇宙の
森羅万象ありとあらゆるものが、自分とつながっているんです。
そして、自分らしく輝いて生きたいと願ってるはずです。
だったら、「生きとし生けるもの、この宇宙全体の仕合せを願う
自分である」という生き方を採用したらどうでしょう?
ほら、「神様」みたいになったじゃないですか(笑)
* * * * * * * * * * * *
ねっ? 自分の周りがぜ~~~~~んぶ「仕合せ」だったら、
自分だけが不仕合わせになることはあり得ないのです。
なぜなら、宇宙の法則「因果律」が作用しているからです。
それは、自分が周りのぜ~~~んぶの仕合せを願った「結果」として、
自動的に自分が仕合せになるようにできている、ということだからです。
つまり、周りの人がぜ~~んぶ仕合せってことは、その周りの者は
やはり自分の周りの人の仕合せを願っている人々である、という
ことの顕れであり、当然あなたの仕合せも願われているからです。
なんだかややこしくなってきましたが、
この、みんなの仕合せを願うこころを、仏教では「慈悲」とか
「慈愛」というのです。
この慈悲のこころ、愛のこころで生きることを採用したその瞬間
から、人生は好転し、人間関係はよくなり、悩みも苦しみも消えて
ゆくのです。
それが、「赦し」の力であり、「癒し」のパワーであり、
万物をあるがままに生かしむる、神の愛のエネルギーなのです。
暑い暑いと言っていた夏が過ぎ、秋が来て、やがて冬も訪れます。
子ども達の楽しみにしているクリスマスもじきにやってきます(笑)
人類に愛のともし火を灯した、神の子イエス・キリスト。
そのトーチリレーは今日まで、2千年の時を越えて受け継がれて
きました。
彼のメッセージが、
『私たち一人一人が「神の子」である。愛に生きよ、汝の隣人を愛せ。』
ということであったことを思うとき、彼の示した光の方向こそ、
人々を救うものであったことが分かります。
今年のクリスマスには、イエスに、そして神の愛に感謝を捧げましょう。
そして、私たちもまた神の子として、愛の子として祈りましょう。
「生きとし生けるものが、しあわせでありますように」と。
ありがとうございました。
素敵な一日を!