改めまして、おはようございます。

KENでございます。




今日も光あふれる朝を迎えられましたことに

感謝いたします。



今日こうして、再びあなたに出会えたことに

感謝いたします。



今日ふたたび、命のあることに

感謝いたします。



 
  バス
 



さてさてさて。
今日も元気にツアーへしゅっぱ~~つ!





「振り向けばヤツがいる!」

かつてそんなタイトルのドラマがありましたっけねぇ・・・


ここでは、前回の続きで「後悔」の恐ろしい姿、その実態を
お見せしましょうということでしたね。



「あれをやっておけばよかった。」

「あの時、こうしておけばよかった。」

「こっちにすればよかった。」

「やめておけばよかった。」


後悔しだしたらキリがない・・・ なんて言われるくらい
後から後から出てくるもの、それが後悔というヤツですわ。



で、後悔の中身を見てみると、それは過去のある時点において、
ある決断を迫られているシチュエーションが再現されてきますね。



その決断の場面においてある選択をしたことが、
後の後悔の原因になっている、というわけです。




でもね、「そっちを選んでおけばよかった」なんてことは、
その後の結果を知った「今の自分」から見て言えることで、
「その時の自分」にはわからなかったことなんです。



未来のことはわからないんです。でも、兎にも角にも
「今の自分」がある、つまり「命に別状はなく生きている」わけ
だから、その選択も決して間違いではなかったのです。



その選択によって非常な苦労を味わったり、つらい思いを
することになったとしても、「ああしておけばよかった」と
言える自分が今、ここにいるのです。





つまりそれは、「苦労をする道」を知ったあなた、過去の
その時点に比べて、より成長した、より経験値を増した
ビッグなあなたに出会える道だった、ということです。



私たちは、いつの時でもベストな選択をしているのです。
私達の決断は、常に正しいのです。
何も間違ってはいない。



ただし、その決断の結果生じたすべてのことを謙虚に受け入れる
こころを持っていれば、という条件付ですが。
運命に対して謙虚であれば、運命もまたあなたに味方します。



「ああ、これもいい勉強だった。」と感謝の心で振り返った時、
「後悔」という魔物は影をひそめて見えなくなってしまうのです。



ところが、いつまでもいつまでも、「こっちにすればよかった」
「あっちの方がよかった」「やっておけばよかった」と、まるで
呪文のようにこころが繰り返していると、現れるのですヤツが。



後悔に執着しながら過去を振り返ると、そこに見えるのは、
「完璧な自分の姿の幻影」です。



どういうことかというと、「あの時これをやっていた自分」
「こっちにしていた自分」「やっておいた自分」「無理せず
やらなかった自分」・・・つまり「できてる完璧な自分」がいる。



これは、恐ろしい魔物です。
私たちは、「完璧」などということはあり得ないにもかかわらず、
後悔で振り返って観ているのは「完璧な理想の自分」なのです。



いったん、この「完璧な理想の自分」が現れてしまうと、
今の自分と比べて「あれもできてない」「これもできてない」
と、どんどんどんどん身が削られていってしまうのです。



「ああしとけばよかった」「こうしとけばよかった」・・・
削られて削られて最後に残るのは、こ~んなちっちゃな、惨めな、
弱っちい自分。



全然イケてない、自信のない、何をやるにもダメな自分。。。




おい、目を覚ませ!

それは、あんたじゃない!




幻影からマイナスできるものは何もない。
実体のないものからは、実際に何も削ることなんかできないんだ!



失敗や後悔なんてそんなものに実態は、ない。
私達のこころのスクリーンに描き出す「完璧な理想の人」の
巨大な影におびえているだけ。



なにが「完璧」だよ。
へっ!

さあ、映写機のスイッチを切って消してしまおうぜ。
「後悔」なんていうつまんないキャラクターは失せやがれ。





そのかわり、次回は最強のキャラクターを呼んでくるからね♪






ではでは、よい一日を!








生きとし生けるものが、しあわせでありますように。