おアツ~ございます! KENです。
ここのところ、仕事で面白いことが起きています。
「ご指名」でお客様に声を掛けていただくことが、
やたら多くなってきたのです。
自分が電話に出る時もそうですが、お店の者が受けて
自分に取り次ぐ時でも、すごく「いい感じ」がするのです。
電話で実際に話をする前に、なんとなくわかるのです。
で、実際にお客様とお話をすると、
やはり、とても好意的なのです。
なんなのでしょう・・・
今の時代、「とにかく安くして」「1円でも安いほうがいい」
「安さこそ正義」みたいな、ミモフタモナイというか、セチガライ
世の中にあって、なんかこう場の雰囲気が違うんですよね。
僕に特命で声をかけてくださるお客さんとの間には、すごく
なごやかな、お互いがとても「嬉しくなる」ような、そんな
空気感が持てるのです。(言葉にするのはムズカシイっす。)
で、このメルマガでも因果律(物事には必ず原因があって結果がある)に
触れてきたわけですから、今、起きている現象の原因は何なんだろうか、
と考えてみたわけです。
わかったのは、過去に僕が担当させていただいたご縁があって、
商品を買ってくださったことのあるお客様が、「あんたに頼みたい」と
再び声をかけてくださってる、ということ。(当たり前?)
そして、そのお客様との最初のご縁の時にも、やはり「嬉しい」とか
なんだかワクワクするような「楽しさ」を感じていた、ということ。
じゃあ、その「嬉しさ」や「楽しさ」みたいな空気感は、どこから
来たのか、といえば、
“当時お客様が困っていたこと、解決したかったことを一緒に考え、
たとえ自分の利が薄くとも、お客様にとって最善となるような
提案をすることで、解決のお手伝いができて、とても喜ばれたこと”
から、つながっているようなのです。
僕の方も、お役に立てたことがとても嬉しかった。
これを、お客様の方から見てみると、お客様は因果の法則によって、
つまり、「何らかの原因があって、その結果として」困っていた
わけですよね。
それが、僕との「縁」によって、困っていたことがなくなり、
問題が解決し、仕事が楽になったり能率が上がったりした。
つまり、「善いことが起きた」。
その結果、この「縁」が、「信頼」とか「誠実」とかで表現される
見えない「絆」として、お客様と僕との間に強く結ばれて、またまた
お声をかけていただける、という現象になって現れたわけですね。
まさに、見えない糸でつながっているので、
「困ったな。そうだ、アイツに頼もう。」と
電話がかかってくるのです。
まとめます。
さあ、ここが重要ポイントです。(試験に出ますよ! 笑)
たとえ、よくない原因があって、よくない結果が起きていたとしても、
「縁」によって、よい結果に変えることができるのです。
お釈迦さまの教えの根本は、まさにこの原理なのです。
これを「縁起の法」といいます。
よい縁を結ぶ方法は、いたって簡単です。
僕の事例でお話したとおりです。
それは、相手の立場に立って、考えるということ。
つまり、「思いやり」の気持ちを持って物事に接する、
ただそれだけのことです。


さてさてさて。
いつもながら前置きが長いですが、でも全部つながってますからね。
ってか、こちらの本編は「こころ」の理論編というか科学的な方面から
アプローチを試みているのですが、毎回の前置きは全て「実践編」です
から、「同じことを言ってる」って感じる方もいらっしゃるでしょう。
前回は、「目に見えない体」のことに触れました。

いわゆる「霊体」といわれるものですが、「霊体」っていうと
なんとなくオドロオドロシイ感じがして僕も好きじゃないです。
ですから、ここでは「目に見えない体」ということにします。
じゃあ、この「目に見えない体」の正体は何だ、というと、
それは、「原子核の集合体」だ、ということなんです。
はいぃ? ですよねぇ(笑)
でも、なんとなくイメージしてみてくださいね。
原子核っていうと、以前述べたように、物質を極限まで
分解していくと原子にたどりつき、その原子を構成しているのが
原子核と電子であるという時の、あの原子核のことです。
すなわち、陽子と中性子から構成されているというアレです。
つまり、物質というのは、原子核が電子を伴ってはじめて
「物質化」するということなんです。
物質化していない、すなわち、電子を伴わない「原子核の状態」
というのがあって、その原子核の集合体が、この地球の周りに
たくさんたくさんたくさ~~~~~ん存在しているというのです。
それらが、スタディをするために、鉱物や植物や動物、そして
人間を選んでやってきて、目に見える物質化した体に宿る。
つまり、ある原子核の集合体が、この現象界、物質界において、
ある目的を持ってスタディをするために、人間なら人間の肉体を
借りている、というのが私たちの本当の姿だ、というのです。
「たましい」というのは、この原子核の集合体の一部なのです。
・・・
ふぅ。
こんな話を聞いてもさ、生身の体を持つ、生々しい私たちだから、
「実は原子核の集合体が私たちの本質だ」、なんていわれても、
なんだか無機的で、感覚としてなじめない気がするよね。
四魂のところで触れたように、「たましい」って結構
生々しかったじゃん?
心を無にして宇宙とつながる、っていうのは、結局この
「原子核の集合体」たちと交信するってことかよ・・・?
さぁ、どうなんでしょうか(笑)
今日はここまで。
とりあえず、今日もよい一日を!(爆)
生きとし生けるものが、しあわせでありますように。