おっはよ~ ございます! KENです。

今日も素敵な一日が始まりましたね♪



先週の日曜日、娘はピアノ・コンクールの予選会に臨みました。
実は、その2週間前、あまりに練習をしない娘の態度に、
さすがの僕もブチ切れて、娘の前でピアノの先生に電話したんです。


「あまりに練習しないので、出場を辞退させてください。」

娘は泣き出しました。
すると、先生は、

「それは、私にではなく、事務局へ直接言ってください。
 ただ、私には本人から直接伝えるように言っていただけますか?」

「わかりました。後は、娘の意志にまかせます。」と、僕。


その後、娘と先生は電話で話をしてました。
僕は、その後は一切口出しはしませんでした。


そして、当日。
予選は無事通過することができました。
しかも、高評をいただいたようです。


先生曰く、

「私はあけちゃんを信じていますから。」

うううう・・・ それは僕のセリフだったはずなのに・・・


僕は娘のスイッチを入れたかったのです。
先生には嫌な電話の相手をさせてしまって
申し訳なかったのですが。


あなたにはどう映りましたか?
よかったら、教えてくださいね。






さてさてさて。


私達は、様々な自己啓発の書に「ポジティブであれ」と
指南されるがままに自分の「こころ」を変えようと必死になってきました。



しかし、それは全て人間の浅はかな、独善的な、独りよがりな考え方で
あったのかもしれません。



もちろん、ポジティブ・シンキングが悪いことなのではなく、
むしろ必要なことなのです。



ただ、その土台となる「こころ」が、真・善・美である宇宙霊とつながった
本当の自分、すなわち自己の魂の発露として機能しなければ、いわゆる
「引き寄せの法則」を体現し、健康や運命を好転させることはできないのです。



「こころ」はテレビ画面のようにコロコロ変わるのが本来の姿であり、
またキャンバスのように様々な絵が描かれるためのものであるわけです。



だとすれば、「必死に変える」必要などなく、むしろまっさらな状態に保つ
ことを心がけながら、チャンネルを真・善・美に合わせ、心地よいものだけを
選んで映し出す、あるいは描くようにすればよいのです。







ここで大切なのは、「嫌なものを見ないようにする」とか、
「臭いものにふたをする」ということではない、ということです。



「嫌なもの」「臭いもの」というのは、それも必要だから存在しています。
「痛み」や「苦しみ」もそうです。



それは神様(宇宙)からの「注意」や「警告」のサインなのですから、
そのように受け取る姿勢さえ持てれば、嫌なものも嫌でなくなります。
サインによって自分を省みることができれば、警告ランプは消えてゆきます。











「こころ」とは、様々に変化する現実や過去の記憶を映し出して
移り行くもの。



その心の映像を感知した潜在意識は、“自分を守るために”時として
恐れや不安などの感情を生み出し、怒りや憎悪をぶつける攻撃行動をさせたり、
逆に、引きこもりや鬱などの逃避行動を取らせたりするのです。






こころに操られてはいけません。
こころは道具として、たくみに操れるようにならなくては。







私達は心の映像を見て一喜一憂するのではなく、調和の取れた宇宙を創り
出している宇宙の意識と一つにつながって、真・善・美の世界を創造する
パワーの源である「たましい」の声にしたがうことで、迷わなくなるのです。






なんだか一気に話が飛んでしまいましたが大丈夫ですか?
ついてきてくれてます?




あ、前にも言ったけど、
「ホントかなぁ?」とか「そうなのかなぁ?」なんて考えなくて
いいんですよ?



変な言い方だけど、理解しようとしないでください。
わからないものは、「わからない」としておいてくださいね?
こういう話題に嫌悪感がある方は、無理に読まなくていいんです。



そうですね、ただ景色のように眺めていてくださるのが一番いいです。
繁華街の看板をなんとなく見てるような感じで、何も考えずに、そのまま
潜在意識に流しこんでおくと、後からイロイロ見えてくるものです。





もうちょっと、先に行きますよ?




言ってみれば私達は、神様の別魂(わけみたま)をいただき、神様と共同で、
この宇宙を創っているのであって、そういう能力を与えられているのです。



人間だけではなく、動物にも植物にも、そして鉱物にも魂は宿っています。
ただ、その魂から発する意識は、人間に比べるとより低次元のものなのです。



次元が違うとは、例えば人間は、やろうと思えば、獣のように本能のまま
むさぼることもできますし、「植物状態」で生きることもできます。



胎児は進化の過程をたどると言われているように、また、脳のしくみから
みても、人間は動物や植物の意識や本能をも内在している存在なのです。



しかし、動物や植物は、意志の力で何かを創造したり、宇宙空間に
思いを馳せたり、万物を愛することなどできません。
動物や植物は、人間と同じ意識の状態にはなれないのです。



それは、人間の魂というものが、鉱物や植物、動物に比べて
より成長を遂げた、より多くを学んできた、より宇宙との調和が
とれるようになったものである、ということです。



人間に生まれてきた、ということはスゴイことなのです。



だからこそ、ヒトを「万物の霊長」と呼び、
「神の子」と言ってきたのですね。



だからこそ、
だからこそ、
人間はおごり高ぶってはいけないのです。



人と人、自然、地球、宇宙、その調和を乱す行為は、
万物の霊長として、とても恥ずかしいことなのですわ。







生きとし生けるものが、しあわせでありますように。