おっはよ~ございま~す! KENでっす♪

今日も素敵な一日が始まりましたね~


それでは、今日もツアーの続きへしゅっぱーつ!


バス


さてさてさて。


前回は、日本古来の書物にも登場する「魂」の姿として、
「荒魂(あらみたま)」と「和魂(にぎみたま)」というのが
出てきましたね。



私達の祖先は、天変地異や災厄は、「神様のお怒り」によるものと
考えてきましたが、それを引き起こすのが「荒魂」という神様の
お姿なのだ、というわけです。


したがって、普段の生活においては、礼節を重んじ、天の恵み
地の恵みに感謝して、神様がお怒りにならないように心がけるのが、
日々の営みであったわけです。


そんな人々の心をカタチにしたのが、例えば伊勢神宮の内宮にある
「荒祭宮」のように、神様の荒魂を鎮める、いわゆる「鎮魂」の
祈りをささげるお社であるわけですね。



他方では、生きとしいけるものに対する慈愛、つまり、お日様の光や
大地を潤す雨、作物を実らせ命を育み、大地の恵みを人に与える神様の
お姿を「和魂」として、やはり感謝を捧げお祭りしてきたわけです。



しかしながら、これらのことを考えてみると、結局は神様のお姿は、
「私達のこころの持ち方」で、その現れ方が変わってくるのだ、ということを
祖先が感じていたからこそ、「祈り」をささげてきたとも言えますよね?



なぜならば、例えば病気や災厄にあったときには、「私達の行いが
正しくなかったために、神様がお怒りになったのだ。」と自らを悔い、
「許したまえ。鎮まり給え。」と祈り、神様のせいにはしないのですから。



実際に、種をまき、水をやり、草を取り作物の世話をするのは神様ではなく、
生身の人間なのですから、実りとは、私たち自身の行動の結果であることを
考えれば、「私たち自身がどうあるべきか」が一番大切なことなのです。



ですから、神様とは、言ってみれば、私たちの日々の行いに対して、
「それでいいよ。」とか、「それじゃダメだぞ。」とか教えてくださる
親のような存在であり、実は、「私達の中に在る」ことがわかるのです。



「それでいいよ。」のサインは、豊かな恵みであったり、平和であったり、
また、「それじゃダメだぞ。」のサインは病気であったり、災厄であったり、
争いであったり、ということなのです。



このように、「魂」とういうのは、いわゆる神様のお姿であると同時に、
それは、わたしたち一人一人の姿でもあるのです。



さあ、ややこしくなってきました(笑)



私達が、いわゆる神様と同じ存在なんだ、ということについては、
また別の機会に改めて取り上げてみることにしましょう。






さて、「荒魂」と「和魂」は、神様(の魂)の現れであると同時に、
私達にもまた、そのような性質が内在しているということは、
なんとなくわかる感じしますか?



実は、この「和魂」はさらに二つに分けられるのです。
そうすると、より私達の「性質」や「性格」面にあてはまる部分が
出てくると思うんです。



その二つとは、「幸魂(さきみたま、または、さちみたま)」と、
「奇魂(くしみたま)」といいます。


まぁ、和魂が二つに分かれるというより、魂の現れ方には全部で四つの
側面がある、と言った方が分かりやすいし、伝統的な考え方もそのようです。
「四魂(しこん)」と呼ばれています。





まとめますね。



魂には、四つの側面があって、それぞれ


荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)
幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)


と、呼ばれています。



そして、ここが大切なポイントなのですが、
その四魂をさらにコントロールしているものがある、ということなのです。




その、四魂をコントロールしている管理官のような存在は、
「直霊(なおひ)」とよばれています。



この直霊が、天のお父さん、神様、守護霊、守護神、宇宙の意識、まぁ
呼び名はなんでもいいのですが、要するに、「上の人」とつながりを保ち、
直接お話をして、アドバイスを受けている、ということなのです。



ということは、この直霊が働くことができないと、私達は天の助けを
得ることができずに、不運や不幸に陥ってしまうわけで、実は私達が
こころを曇らせていると、この天との結び目を自ら遮断してしまうのです。


この四魂と直霊をあわせたものが、私達の「魂」あるいは「霊魂」と
呼ばれているものの姿である、と、いうのが日本古来の考え方であり、
「一霊四魂」と呼ばれています。



はい。



あの~、

「ふ~ん。」「へ~。」って聴いていてくださいね?



「これを信じろ」とか、「理解しろ」とか、「これが正しい」とか、
言ってるんじゃないんですよ?



「魂」ってなんだ? って言われても、だれもハッキリ応えてくれる人
いないじゃないですか?



で、それこそ、それぞれの宗教や宗派によって、神様・仏様・キリスト様
ってイロイロだし、「魂」にしたって、それぞれが、それぞれに「これが
正しい」っていう解釈を言うにきまってますもん。





そうじゃなくって、目に見えないもの、よくわかんないもの、だからこそ、
でも、確かに「何かある」からこそ、それを自ら「感じる」ための手助けに
なるように、「こういう見方があるよ」というのをご紹介したいだけです。



「わけのわからないもの」だからこそ、取り止めがなく、ともすれば、
「怖い」「怪しい」「気味が悪い」と勝手に思われてしまいがちだから、
私達なりの魂に対する「明るいイメージ」を持とうよ、って話ですわ。




と、いうわけで、

次回は、魂の四つの側面をよりリアルに、さらに身近なものとして
イメージできるよう詳しく見ていくことにいたしましょう。




生きとし生けるものが、しあわせでありますように。