こんばんは~ KENです。






さてさて。



暴れたり、暴言を吐いたり、手癖が悪かったりと、
色々と表面に現れている行為だけを見て、「悪い子」と決め付けることは、
火に油を余計に注ぐ結果を招くということが、
なんとなく見えてきましたでしょうか?



本当は、暴れたいんじゃないんです。
意地悪なんかしたくないんです。
人に迷惑をかけることがよくないことも分かってるんです。



でも、

まるで、自分の意思とは違う何かに突き動かされているかのように、
そうしなければ、自分という存在がかき消されてしまうかのように、
そうせずにはいられない。。。



それは、心の奥底にある、不安や恐れと戦っているんです。
不安や恐れを、なんとか振り払おうと必死なんです。
自分ではどうしようもないから、目だつ行為をして知らせてるんです。




  何をしらせたいの ?
  
  何を伝えたいの ?




それは、心の奥底にある叫びかもしれません。




  「 助 け て ! ・・・ 」


  「 お い て 行 か な い で ! ・・・」


  「 こ っ ち を 向 い て ! 気 が つ い て !!!」




でも、そんなこと、言えないんです。
今さら、赤ちゃんみたいに甘えられないんです。
でも、甘えたいんです。 

本当はね。



あなたも、構って欲しくて「さみしい」気持ちをかかえていたりしませんか?
(喧嘩の絶えないご夫婦やDV夫にも当てはまることかもしれません。)




あるいは、本気で叱って欲しいのかもしれません。



「自分のことを大切だと思ってくれてるのなら、悪いことを諌めて欲しい。
 
 そして、自信が持て、勇気が持て、皆に愛される生き方を教えて欲しい。」



そんな、子ども達の「魂の叫び」や「本心」が聞こえてきませんか?




子どもだからこそ、無垢で無邪気な子ども達だからこそ、
神様から別けていただいた「魂」の叫びをキャッチして、
その声が求めるままに、正直に、素直に従った結果、
「あらぶる」という行為となって現れてくるのです。



「あらぶる」とは、「荒ぶる」のではなく、
「現生る」なのだといいます。


魂が存在することの「現」れとして、
今「生」きている姿があるのです。


その魂が、「間違った方向へ向かっている」ことの警鐘を鳴らすのです。





なぜそれが「間違った方向」だとわかるのか、といえば、
それをした本人も、それを見た私達も、

「うれしくない」「たのしくない」「いやだ」と感じるからです。



私達は、無意識に「不快なこと」=よくないこと=悪 、
また、「心地よいこと」=「快」=よいこと=善、
と感じます。



これは、人間なら誰にでも備わっているセンサーの働きであり、
このセンサーの働きを「良心」というのです。




根っからの悪人なんていません。
なぜなら、悪いことをする人は表立ってやりません。
裏で、影で、目立たないところで「悪いこと」をやります。



それは、やはり「良心」が咎めるからです。
本人は意識していないかもしれませんが、神様の別け御霊である魂は、
「他人が心地よいと感じること」=善 と、知っているからです。



でも、小さな子どもが「あらぶる」時は、表立ってやるでしょ?
お店で駄々をこねたり、弟をたたいたり、意地悪をしたり・・・
それは、「悪いこと」を意図しているわけではないからです。






魂の叫びに促されるまま、自分を守るために、
自分の存在を消されないために、
愛されていることを確認するために、

魂の声に素直に正直に従っているだけなのです。



「あらぶる」子どもは決して「悪い」のではないんです。
「さみしい」と叫んでいるだけなのです。

悪いのは・・・







おっと。

なんだか、「神様」だの「魂」だの怪しくなってきましたね(笑)



でもね、

「目には見えないけれども、
 私達の心や体や運命に働きかける力が確かにあるのだ」

ということをお伝えするためには、どうしても神様とか魂とか霊とかの
存在を認めていただかなくては説明のしようがないのです・・・



そんなわけなんで、
興味のある方だけおつきあいいただければ嬉しいです。







今日も一日、ありがとうございました。


生きとし生けるものが、しあわせでありますように。