クラスに必ずいる「乱暴する子」「手に負えない子」
「ふてくされる子」「盗む子」etc.
いわゆる「問題児」とレッテルを貼られてしまう子ども達。
でも、その子たちの内面、「こころ」に目を向けたならば、
問題児どころか非常に「素直で正直な反応をしている」に過ぎない
ことがわかります。
彼らは等しく、「あいうえお(愛飢え男)」なのであり、
親にかまってもらえない寂しさから、一人ぼっちになってしまうのを
恐れるあまり、無意識に仲間を引き込み、正でなく奇を持ってクラスに
「参加」しているのです。
彼らなりに、(他のやり方がわからないので)先生や大人の社会と
もかかわりをもとうとしているのです。
大きな音を立てたり、ちょっかいを出したり、意地悪をしたり、
人の揚げ足を取ったりするのは、相手からの「反応」が欲しいからです。
たとえ嫌われようと疎まれようと、それは自分と相手とが
かかわりあったからこそ憎まれ嫌われるのであって、ネガティブでは
あるけれど、そこには紛れもなく「ひとりぼっちではない自分」が
いるのです。
なんとなく、伝わりますでしょうか?
そんな子ども達は、自分には何が「足りない」と感じているのでしょうか。
どうして「さみしさ」を感じるのでしょうか。
小さな子ども達は、私たち親に、何を求めているのでしょうか・・・。
話は変わりますが、学生の頃こんなことがありました。
友人宅で寝っころがりながら、いっしょにテスト勉強をしていたのですが、
部屋で飼っている幼犬(といってもデカかったです)が、開いてあった僕の
教科書の上に乗っかってきて、なんと、オシッコしやがったんです(笑)
また、飼い犬自慢の特集か何かのテレビ番組で、座敷犬が寝室で糞をしたり、
また別の部屋でもオシッコして、家の人が困ってるのを見たことがあります。
いずれのケースも、家の者があわてて跳んできて、あれやこれやと大騒ぎして、
さらに、「コラーッ」と幼犬を追いかけるものですから、子犬は鬼ごっこ
よろしく、シッポ振って逃げ回るわけです。
子犬はしばらくは、何度でも同じことを繰り返すでしょう。
だって、オシッコすれば鬼ごっこができるのですからね。(笑)
追いかけられるのが嬉しいんです。
そんな子犬は、かまって欲しくてわざと粗相するのですから、
これを止めさせるには「無視」すればいいのですね。
オシッコと鬼ごっこが結びつかないように、騒ぎ立てず、
後始末も、何事もなかったかのように静かに済ます。
遊べないとわかれば、粗相は意味を失い、やる気を失うのです。
それでも懲りずにやるようなら、仕舞いには家の者に本当の意味で
大目玉を食らうことになると思うのですが、それもまた子犬にとっては
「幸せなこと」なのです。
なぜなら「厳しく叱られること」もまた、「安心」につながるからです。
犬という動物は、元来野生ではオオカミのように群れをつくり、
その組織の中では上下関係=序列がはっきり決まっています。
つまり、その集団の中で各自の「位置」が定まることで、各自が安心し、
群れは安定するわけですね。
リーダーになるということは、他を力で圧倒するということですから、
確固たる実力がなければ、他から戦いを挑まれることになり、常に
他を服従させるために、戦々恐々として、安心はできないのです。
従って、飼い主が子犬をしっかり「しつけ」て、主従関係をはっきりさせて
やることで、子犬は自分がリーダーたらんと息巻く必要がなくなります。
しっかりしつけることによって、子犬は従者としての地位に安心できるのです。
また、「家族の一員としてお互いに気持ちよく暮らす」ために「しつけ」るの
ですから、その子犬にとっては、「愛されるための身の振り方」を学ぶことに
なり、しつけてもらえることが、「愛されるための礎」となっていきます。
じゃあ、乱暴を働く我々の子ども達も、「無視」したり、しつけと称して
「服従」させたりすれば、「安心」しておとなしくなるのでしょうか?
あなたは、どう思います?