前回は、ちょっと重めの話になってしまいました。
私達は、ネガティブなことを考え始めると、際限なく悪い方へ悪い方へ
考えていくことのできる「能力」を持っています(笑)
この能力を「想像力」というのです。
「こうなったらど~しよ~」、「あ~なったらどうしよ~」なんて思いながら
まるで蛇口から水が出るように、無尽蔵にいっくらでも「心配」や「不安」を
生み出せるのです。
しかも、ほとんど無意識に垂れ流してます。
あなたもお気づきのように、「心配なこと」って、
心配しても消えないですよね?
いっくら「不安」に思っても、「不安のもと」が消えるわけでは
ないですよね?
「こうなったら・・・」のこうならないように気をつけて生活し、
こうならないための行動をするしかないんです。
「ああなったら・・・」
だから、ああならないようにすればいいんです。
で、最悪「こうなった」時はその時で、ちゃんと対処すればいいんです。
それを、「ど~しよ~」って、対処方法が決まってないから心配なんです。
「もし、万が一こうなった時は、こうする」って決まってれば迷わない。
私達は、人間にしか与えられていない「想像力」というすばらしい能力を
かなり相当ムダに使っているんです。
子どもにだって、「ムダ遣いはダメ~!エコしなさい!」って叱られますよ?
ネガティブな方へ、悪い方へ悪い方へ考えることができるのなら、
ポジティブな方へ、好い方へ好い方へ考えることだってできるハズですね?
だって、同じ「想像力」という能力なんだから。
今日、僕はあなたに提案します。
「取り越し苦労は全く意味がないからやめましょう」
いや、もっと強く言っておきます。
「 取 越 苦 労 厳 禁 」
あ、ついでに
過ぎ越し苦労も厳禁です。 (過去のことに思い悩むこと。後悔、怨恨)
当然、現在苦労も厳禁です。(今、つらい、苦しい、痛いと「思う」こと)
もう、苦労なんてしちゃダメなんです!
「苦労」って、私たちが、勝手に「そう思ってるに過ぎないこと」なんです。
心のスクリーンに映った、リアルな映像に過ぎないんです。
しかも、リクエストもしてないのに、見たくもないのに、
勝手に上映されちゃうんです。
まるで、
垂れ流しのテレビ。
垂れ流しの新聞。
垂れ流しの雑誌。
垂れ流しのラジオ。
それらを支える垂れ流しの広告。
垂れ流しのネットの情報。。。
そして、赤ん坊の時から、気が付けばずっと同じ屋根の下にいて、
ラジオのようにいつも流れていて、ずっと聞かされている「親の言葉」。
「心」というものが、それら外界からの暗示的刺激を取り込み、
映し出すためのモニターになっていることに気が付くだろうか?
私たちが、「自分で」考えて「自分の考え」だと思ってることのうち、
あるいは、確かに「自分が思った」ことや「自分の気持ち」だと信じて
疑わないことのうち、実はほとんどが、これら暗示的刺激そのまんまの
受け売りではないのか?
私達は、「本当の自分」なのだろうか・・・?
あら? なんだかまた重いテーマになっちゃったな(苦笑)
でもさ、「不安」とか「心配」とか、「恐れ」の正体について
考えたことなんて、なかなかないんじゃないかな、と思って。
「敵を知り我を知れば百戦して危うからず」って孫子にもあるし。
つまるところ、
「なんだかわからない」「どうなるかわからない」から怖いわけなんだよね。
予測ができたり、わかっちゃえば「な~んだ」って思えちゃうわけなんだわさ。
で、敵はわかったとしても、実はこの「我」こそが、
「なんだかわからないもの」の総大将だったりして、これは話せば
実に長くなるのでまた別の機会にしますね。
脱線しまくってるけど、子ども達の「さみしさ」を癒す方法に
全てつながっていきますので、ご容赦を。
ではでは。