『それを持っていれば、もしかしたらしあわせになれるかもしれない』
その子は、自分の心に湧いたモヤモヤの原因もわからずに、
けなげにそう思った。
そして、実際に「持ってみた」のです。
でも、結果は「人のものを盗んだ犯人」になってしまった・・・
「犯人になること」は、彼(彼女)が望んだコトではもちろんないし、
その結果は予測ができないことでも、それが「悪いこと」と知らない
わけでもないのです。
でも、彼を突き動かす衝動のほうがはるかに強かったのです。。。
なぜだと思いますか?
それは、大げさに言えば「命の危険」を潜在意識が感じているからです。
彼が心に感じる「さみしさ」の裏側には、闇の部分、
つまり「恐れ」や「恐怖」が潜んでいるのです。
小さい子どもにとって、両親は紛れもなく「命綱」なのです。
その両親に「かまってもらえない」「甘えられない」「褒めてもらえない」
ことは、「愛されていないのではないか・・・」という不安へと直結します。
もし本当に愛されていなければ、それは「死」を意味します。
また、両親は子どもを愛するがゆえに厳しい態度をとり、「しつけ」と
称して「叱り」、「怒り」、「怒鳴る」こともよくありますね。
ところが、子どもの側からすれば、「いじめ」や「虐待」としか思えない、
子ども心に「愛情だ」なんてお世辞にも思えない、という状況が続くと、
やはり、「僕のことが邪魔なのではないか、愛されていないのではないか」
という疑心暗鬼が芽生えます。
子ども達は、この心の中に生じた「魔物」と戦っているのです。
この邪心や疑心を払拭し、両親に愛されている「証」が欲しいと
ただただ願っているのです。
『それを持っていれば、もしかしたらしあわせになれるかもしれない』
この心理は、何も小さな子どもに限ったことではなく、よく考えてみれば
我々大人の多くが、心の奥深いところで取り憑かれている「思い込み」で
あることに思い至ると思うんです。
逆に言えば、私達は、「持ってないこと」への「不安」や「恐怖」に
常に怯えて、焦りを感じて生きているのではないでしょうか?
つまり、この不安をたどっていくと、
「持っていない」→「持つことができない」→「お金がない」→「生活苦」→
「社会からの落後」→「生きていけない」→「死」
という奈落の底へ落ちていくような、負のスパイラルを、
無意識にたどることができてしまうからです。
そこで、ダースベーダーじゃないけれども、この潜在的な「不安」が、
闇の世界を引き寄せることになるのです。
「お金さえあれば」「皆と同じものを持てば」「先着10名に入れば」
「○○ちゃんと同じ塾に通えば」「100点取れれば」・・・ etc.
ひとまず安心だ、と。
幸せになれるんだ、と。
「心」が、知らない間に「物」や「お金」に支配されてしまってるんです。
それは、「物」や「お金」の流れを産み出し動かしている企業や資本家に
我々の大切な「心」を操られてしまう危険をはらんでいるのです。
「さぁ、あなたの不安を取り除いてあげますよ~」という魔法使いの優しく
甘~い言葉に心を奪われ、私たちの大切なお金を知らず知らずに差し出して
しまうことになるのです。
ヴィトンのバッグを所持したから「幸せ」になれるのですか?
話題のお店に行ったから「幸せ」になれるのですか?
○○ちゃんと同じ塾に通ったから「幸せ」になれるのですか?
他人のを奪ってでもたくさんお金を持てば「幸せ」になれるのですか?
よく、考えてみてください。
確かに、欲しい物を手に入れた喜びや、満足感は「その時」は
得られるでしょう。
でも、悪魔のささやきは、「ほ~ら、ココにもっといいのがありますよ~」
「最新式が出ましたよ~」「これも一緒に使えばもっと便利ですよ~」と
あなたの財布の紐を締めさせないように誘惑してくるのです。
つまるところ、所有欲、物欲には際限がないのです。
言い換えれば、『決して満足することはできない』ということです。
そして、決して目を背けてはいけないのは、悪魔を招いているのは、
「不安」を抱いている、私たち自身の「心」だということです。
この「不安」に、心が囚われさえしなければ、
「物」や「お金」に囚われることがなくなる、ということが
なんとなく見えてきたでしょうか?
私たちを「不安」から救い出し、
同時に子ども達の「不安」を取り除くことができるのも、
やはり私たちの「心」次第ということになります。
「不安」や「恐れ」をコントロールすることのできる、
勇ましく頼もしい「心」とは、どういうものなのでしょうか。
どうしたら、不安や恐れに囚われずに済むと思いますか?
どうしたら、その子の「さみしさ」や、その裏に潜む魔の手を
拭ってあげられると思いますか?
実は、あなたは必ず応えを知っていますから、
考えておいてください。
と、いうより、心に問いかけて、
ぜひ「思い出して」おいてくださいね。
では、また。