今日は、ママと近くの神社めぐりをしてきました。


小さな神社は休日でも訪れる人はなく
ひっそりとしています。


神社参拝の合言葉は、

「他人にやさしく接することを約束します」


争いのない、平和な地球にするために、
まず私たち一人一人が決意しなくてはなりません。


その上で、改めて

「地球を御救いください」

と、祈りを込めます。



地上の人間の他者への思いやり、「愛」の心が
天に届いて初めて、神様が応えてくださるのです。


そうでなければ、神様が手助けしたくても
できないのです。


なぜなら、力はエネルギーであり、それは光であり、
それを生み出すのは「愛」なのだから。


神々は私たちの愛の光を受けて、それを神力に変えて、
地上浄化のエネルギーとして還元してくださるのです。


愛は循環するのです。


「与えたものが還って来る」「引き寄せの法則」とは
そういうことなのです。


当然、何を与えるかによって
還って来るものが異なります。


利己的な我欲、恨み妬みそねみ、怖れや不安、誹謗中傷、
相手を責める気持ち・・・天上の神々には届きません。


それらを喜び、受け取るのは「下の者達」です。








さてさて。


クラスのお友達になんとなく「違和感」を感じさせてしまう、
それが原因で、疎まれたり、嫌われたり、いじめの原因になったり
してしまう、その正体とはなんなのか。



お友達の物を隠してしまったり、家に持って帰ってきてしまったりと、
いわゆる「盗難事件」を引き起こした子、その本人に、「どうして
そんなことをしたの?」と、その心情を聞くと、こんな応えが返って来る。



「○○ちゃんのお母さんが、とても優しそうでうらやましかったから。」


あるいは、


「○○ちゃんが、しあわせそうで楽しそうでうらやましかったから。」





恐らく、○○ちゃんとお母さんが一緒にいるときの様子を見たその子は、
なんともいえないモヤモヤな気持ちになったのでしょう。



言葉にすれば、「いいな~」「うらやましい」「ずるい」「悔しい」・・・
ってか、言葉にできないからこそアクションを起こしたわけだけど、
要するに、「さみしい」のですね。





別に、○○ちゃんに恨みがあるわけじゃない。
まして、○○ちゃんに文句を言ってどうなることでもない。
そんなことはわかってるんです。



でも、そんなことはわかっていても、でも、
「自分も○○ちゃんのような、しあわせな気分を味わってみたい」って
思っちゃうんです。



○○ちゃんのしあわせの証としての、優しいお母さんの象徴としての、
“ ○○ちゃんの持ち物 ”を、手にとってみたくなるんです。
そして、

「それを持っていれば、もしかしたらしあわせになれるかもしれない」

って思うのです。






そう思うことが、悪いことでしょうか?
そこに、どんな悪意があるわけではないんです。
むしろ、子どもとして、もっと言えば人として、当然の気持ちです。



そうですよね?






小さな子ども達には、まだ判断力や洞察力がなくて仕方ないとしても、
もし、我々大人が、親が、先生が、その子のそんな気持ちを察して
あげられないとしたら、その子はどうなっていくと思いますか?



今、幼稚園児のその子が、小学校1・2年生、3・4年生、5・6年生・・・
と、歳を重ねていったら、どんな性格のどんな言動をする子になるか、
あなたの想像力をフル回転して、その子の未来を見てみてください。



あなたが真剣に考えてみてくださるのなら、
次回は、その子の「違和感」を完全に解消できないまでも、
薄めていく方法についてお話してみたいと思います。




でももし、あなたが、「はぁ?何言ってるの? 悪い子は悪い子でしょ?」
って思う方なら、この先ずっと僕の話で不愉快になるだけだと思うので、
メルマガを解除しておいてくださいね。



ではでは。

引き続き素敵な休日をお過ごしください♪