さて、愛子さまの不登校問題を話題にとりあげておりますが、
別に、愛子さまが不登校になることが悪いことでも、まして
善い事でもないんです。


ってか、どうでもいいんです。
それこそ「特別扱い」はしません。(笑)
ウチの子だって、学校へ行きたくない時はありますもん。

(いっしょにするなって? ごもっともです。)




それよりも気になったのは、「暴れる子がいる」という事実。


いや、ふつ~いますよ?
クラスに2~3人。
ふつ~の学校ならね、今時なんにも不思議じゃない。



でも、僕のイメージの中では「学○院」にはそぐわないんです。
で、「もはや、そんなところにまで来ているのか・・・」って言ったんです。



       何が、来たの?





 それは、  「さみしさ」  です。





学○院初等科といえば、いいとこの坊ちゃん嬢ちゃんが
通うところ、っていうイメージなんだけど、
今時はそうでもないのかな?





元々は、公家や皇族・華族をはじめ、いわゆる貴族的階級の子弟が
学ぶ学舎としてスタートしているわけで、その沿革・風土からして、
経済的・社会的にある程度の地位のある家庭の子女が多いと思うのです。



そのような、言わば「恵まれた家庭」の子が、暴力を振るったり
学友や先生に迷惑をかける事態が起きているとすれば、やはり
何かしらの「ゆがみ」や歪が、「恵まれた家庭」に生じている。



そのゆがみや歪が、子どもの心に投影し、その重々しい影への
抵抗から、こどもの純粋な魂は荒ぶるのではないか、と思った。



経済的に恵まれている、つまり「お金持ち」の家庭にあっても、
子ども達は「満たされない思い」を感じている。
つまり、「愛に飢えている」と僕は感じたのだ。



言い換えれば、

「お金持ちであっても幸せとは限らない」

ということ。




あなたは、どう思います?






暴れる子は「さみしい」のだ、と僕が感じるのには
理由があるのです。



それは、自分の子ども達の子育てを通して、
子ども達が通う幼稚園や小学校のお友達の様子を通して、
見聞きし、確信していることがあるからです。




次回は、そんなことを、お話してみたいと思います。


ではまた。




※この記事はメルマガ『 Toil with a will 』(2010年3月17日発行)の再掲です。