老いていろんなことが不自由になってきたときに何を生きがいにしていくことができるのでしょう。
父を自宅で介護するようになって、お風呂に入れて、体を洗ったり、排泄の介助をしたり。でもできることはできるだけ自分でやってもらうように働きかけています。できないことだけ手を貸すことが原則。
肉体的にも知的な面でも使わない能力は使えなくなります。
自宅に居てでもただいたずらに寝て、起きて、食べて、排泄して、、、普段の日常の動作だけして過ごしていても機能はドンドン衰えていきます。誰かと話すことがないと食道周辺の筋力も衰えて声帯だけでなく気管支周辺の弁も弱るので誤嚥の原因になるとも言われています。
そういう考えもあってデイサービスを週3回お願いすることにしました。
先週初めてお迎えがあって朝9時頃から夕方4時頃まで父を預かってもらい、個別、集団のリハビリや認知改善のゲームなどをしてくれるサービスです。
母の負担を留守中少しでも楽にしてほしいということもあっての選択でしたが、案じていたとおり、先回父が帰ってきたときには、行った先のメニューがよほど幼稚で気に入らなかったのでしょう。なじめずに不満を漏らしていました。
今朝2回目のデイサービスに行ってくれました。
どこか罪悪感がつきまとうのはなぜでしょう?私自身が父を厄介者に思っているのか?慣れない環境に父を追い込んでいるのを不憫に感じているのか?
在職中会長までやったプライドがまだ少し残っているのでしょう。父は1年365日24時間、会社でも自宅でもトップで居続けていた人でしたから。
会社人間、仕事人間だった人たちはとたんに行き場をなくすことになります。会社の枠組みから外れたときに、誰しも自分のIDを見つめなおすことになります。
父はその点はどうもうまくいかなかったのかもしれません。
大学時代下宿させていただいた彦根の大工さんのお宅に年配のおばあさまがおられました。
いつもお風呂を薪で沸かしておられて、その薪をくべているのを私が手伝おうとしたことがあったのです。その時言われました。
「年寄の仕事をとらないでおくれ」
生きている限り何かを任されていることは大事ですね。何か父にも任せられることを探さないといけません。