昔アーチェリーを習っていたころ。自宅の窓から外を眺めていたら思わず電線に留まっている雀に狙いを定めている自分に驚いた事があります。
日本には銃刀法があるので事故は少ないがアメリカでは辛い事故が毎年絶えません。
車もスピードメーターに300kmがきってあれば踏み込んでみたくなる衝動は分かります。
マッチやライターなどの火器に限らず携帯だって使える機能があればつかってみたくなるのは人間の業というものでしょう。
言葉は汚いですがバカと道具は使いようとはいいます。無ければ悩むことはありません。or現実にあるものをどう制御、管理するか?
それがマナーであったりルールや条令、法令、憲章や憲法になり積み上げてきたもののはずです。
日本国憲法の草案は確かに先勝国の押し付けでした。ですが我々の祖先は敗戦を受け入れ命乞いをしたのです。
勝てば官軍といいます。日本は占領され韓国やドイツのように分割され日本語それ自身も失っていたかもしれません。
独立国という建前はあっても軍事的にはアメリカの衛星国家みたいなもので真の主権国家たるものを保持していません。
ハワイ王国がアメリカの州になったように。争わずに中立国家である事は現時点では不可能に思われます。
中立国スイスも軍備を持ち徴兵制だそうです。自分の身は自分で守るのが世界の常識。
誰も殺されたくない。殺したくもない。が兵器が世界中から無くならない限り今のschemeは変わりません。
いつかそんな未来を現実にするために我々は先を行くのだというのもありですが、現時点ではアメリカの兵士たちが世界で命を張ってくれる抑止力の微妙な均衡の事実の上になりたっています。
いつか武器のない世界、戦火のない世界を願うのですが、では明日捨てましょうとはならないなら段階的にプログラムを立てるべきです。
私は憲法違反の立法は認めません。こんな姑息な手管で犠牲者を出したら死んでも死にきれません。
やはり憲法改正を正面から議論してみんなで決裁を受け入れる事が大事です。
一方でもっとも大事なのは戦力に頼らない交渉力です。軍備が世界からきえたあとでもお互いの違いを認めて受け入れるためにも交渉、外交力が不可欠。
孫子いわく戦わずして勝つというのは軍事力だけではなく、相手を失いたくないと思わせられる関係を築くことです。
日本が世界の誰もが恋い焦がれる理想郷になるなら駆逐しようと思わないのではと考えています。