木曜夜からの食あたり、発熱から脱して1日。できるだけ時間を名古屋で過ごして回復して、前泊するだけのためと思い新幹線を14時半ごろ柴又着を17時頃の予定ででた。予定通り17時過ぎに柴又着。ホテルは京成小岩駅前の安いビジネスホテル。楽天から予約を入れておいた。
ちょうど京成の列車で一緒に乗っていた大きなバックパックを担いだ年配の男性、ホテルのフロントでまたバッタリ出会ってしまう。
「あぁ、この人もマラソンか」と思っていながら私もチェックインを済ませると彼とエレベーターで乗りあった。「マラソンですか?」と声をかけ「明日は暑くて大変そうですね」と余分な噂話をしていて自分の部屋の階を乗り越してしまった。
また降りて侘しいビジネスのシングル。まぁ覚悟はしていたが遠征は走るのが目的だから翌朝も早いし、夜も早い。優雅にいいホテルを寝るだけにとってももったいない。幸い?窓を開けると駅側で空が見える。以前湘南マラソンで泊まったビジネスは窓を開けると隣りのビルの壁だった。窓からスパイダーマンのように隣の壁の間につっぱればその時は5-7階だったと思うが降りていけそうな部屋だった。あれよりは気分がいい。
部屋は狭い。禁煙が取れなかったがタバコ臭くて我慢ができないほどでは無く、リネン類も清潔で最低限の質は維持できていた。
荷物をほどいて装具等を確認して出し、翌朝道に迷ってドギマギしないように通り道と夕食等の物色におもてへ出た。ホテルがよくわかっていて道順の地図も作っていてくれた。ここからマラソンの集合場所までは約2㎞、ゆっくり歩いて30分程度の距離である。地図に従って近くの狭い商店街沿いを歩く。この辺は駅前にセブンがあるぐらいでコンビニ臭い小さな24時間スーパー、100円ローソン、弁当や数軒。ちょっと気の利いた飲食はどうもなさげである。
商店街も確かにシャッターの降りてしまったような店舗も散見されるが、八百屋さんも魚屋さんも、花やさんもしっかり営業していて2ー30年、時代をさかのぼったような賑わいである。というか大きな通りもなく。近隣にお住まいの方々も土地の人が多いのだろうし、マーケットとして大手の投資と効果に見合わないから取り残されてしまった印象だった。
暮らすにはそれなりにゆったり過ごせるのだろうが、名古屋の私の住まいのようにコンビニやドラッグストアが大きな駐車場を持って2㎞圏内に何軒もあったり、吉野家、スキや、かっぱ寿司などなどB級グルメがゴロゴロ軒を並べるところに住んでいるところからすると不便極まりない。
途中まで道をたどってだいたい見当がついてから再度駅周辺まで戻ったがなかなか弁当以外落ち着いて座って食べられそうなめしやなど見つからなかった。
諦めて自動ドアもない居酒屋っぽい釜飯やに入り、一人だと告げるとカウンターを勧められた。寄寓なことに先ほどエレベーターで乗り合わせた男性がもう生ジョッキを飲んでいた。「先ほどはどうも」と話かけるとそこはそれ同じランナーである。
大阪堺市から来ておられる60代前半の男性寅本さん、糖尿で56歳から走りだして今では四万十川、サロマなどの100㎞完走歴を持ち、超100㎞レースも参戦するという猛者だった。
今年は昨年55㎞でリタイアしたリベンジ戦に来られたらしい。見た目はそんなランナーだと思えないほど重そうな体格。せっかく走っているのにこんだけビール飲んだらだめでしょ?それでも挑戦するだけでもすごいし、何より完走経験があるだけで素晴らしい。
ダイキンの代理店の業務をしていたようだが、やめて若いころとった資格で不動産業者に転職されて内輪で事務所を廻しておられるそうだ。
娘さんや子供さんがうちの息子の一級しただとか、私が引退した経緯とかトレーニングとか身の上話まで話がすすんだが、私の胃袋はどうもまだ復調していないようで、食べていた定食を残して一緒に店を出た。
帰り際、翌朝の食事の調達に近くの100円ローソンに入って、私はおにぎり4つと500のペットボトル飲料を2本、パンを買ってホテルに戻り、翌日の健闘を約してエレベータで寅本さんとは別れた。
100㎞の連中は6:30スタートだし私のスタートではホテルをチェックアウトすると別行動だからだ。
部屋に戻ってシャワーを浴び、湯船につかって足をマッサージして、パンを食べて500CCを給水して10時頃休むが、駅前なので電車とホームの音が終電の1時ごろまで続く。それでも少しは寝たんだろうが、朝は朝で4時台には明るくなりはじめるし、100㎞の連中が5時過ぎには動き出すのが通路越しに聞こえてきた。始発も動き出してのんびり寝なおしができないなか、6時には起きて準備を始めた。
握り飯を全部食べ、手首、足裏、膝をテーピングし、足指にオイルを塗ってから冷蔵庫で凍らせたOS-1 をランニングバックに入れ、OS-1のジェル4つ、ソイジョイ2本、グラノーラをボトルに入れて8時10分部屋を出てホテルをチェックアウト、ゴロゴロトランクを引きずりながらのんびり会場まで歩いて向かう。
9時頃、会場入り、すでにかなりの暑さだ。冷やしてあった保冷バンダナと日よけ付のキャップをさっそくに装着。スタート前のサービスで補給、補水をして時間を待った。
この条件のもと、60㎞設定。5㎞を7分ペース35分+1minute walk+AIDでおよそ37分×11セット+クールダウンで計画通り行って7時間15分-20分の予定だった。とりあえずサロマの関門ペースはクリアできる。
さて一斉にスタート9:33分。驚いたのは最初(最後も)の数キロは不整地の草地を走る。60㎞は参加者は約1000人、コースも狭くなかなか走路どりにばらけるまでは時間がかかった。
それでも何とか25㎞までは計画通りたどってきた。道も開けているところが増えてランナーもばらけたがどうにもだるい。5㎞毎OA-1ジェルを1パックずつ呑み込み、各AIDで必ず補給、補水をしてきたが、時刻は昼を回り、後から調べると近くの越谷の気温は33.7℃、堤防は確実にその2-3度は高い。加えてよく見ると13時頃風速0.6、つまりべたなぎで風向きが北風から南南西に、つまり往復逆風で、途中べたなぎという最悪の状況だったことがわかった。
おそらく脱水がかなり進んでいたと思う。かなりのぼせている感じだったが、まだ走れる。だがこれ以上ペースは上げられない。足どりもかなり重く感じる。
何とか30㎞折り返し。さぁ、帰るだけもう1セットと思ったが気持ちと裏腹にペースは上がらない。この状態で追い込むのはかなり危険だと感じた。
タイムも着順もどうでもよくなってきた。そこから5㎞ラップは40分、最悪45分ラップで進む。水をかぶりすぎたせいで足指がおかしい。あとで脱いでから気づいたが靴の中でふやけてしまっていた。みずぶくれと内出血で親指が痛む。右ひざ靭帯も嫌な痛みが出るようになっている。ここで膝を壊したらすべて台無しにしてしまう。
5㎞ラップ中でも痛めばやめ、200mwalk+800mRunとか繰り返してみたり1min walk以外も含めておそらくトータルで2-3㎞は歩いたのではないだろうか?
他のランナーとAIDやAID周辺で歩いているときにかわす会話も増えて、関門がむしろきつかったらリタイアしているという泣き言にも似た意見も聞かれた。
暑い中応援してくれているボランティアには痛むときに拍手されると、「走らなきゃ」とせかされる思いもしたが本当に助かった。
特に氷を配ってくれていたボランティアには救われた。帽子の中に突っ込んでかぶりどれだけ意識を確保することができたかわからない。暑い中の応援があったから辛抱できた。感謝の言葉しか浮かばない。
50㎞を過ぎたところのトイレ前に私設のAIDをだされいるところがあり、コーラや漬物をいただいた。ここで初めてトイレを使った。私はレース中はトイレにほとんどいかないが体に悪いと思っての判断である。
支度をしなおすときにゼッケンの愛犬の写真をみていたら「パパ生きて帰るよ(-.-)」と語りかけてくれているように思えたときは涙腺がゆるみかけた。かなりの消耗度だった。そうだ、帰るんだ。
もう歩いたってゴールはできる。できることすべて打ち込んだか?と自分に問うてみた。まだある。そこからは足を止めることがほとんどなくなった。遅いが帰りたいという気持ちが強かった。
最後また草地が出始める。残り2㎞。時間は17時を過ぎていた。ガーミンを時計モードにすると17:19分と出ていた。そう、60㎞サブ8に残り14分なのだ。
たまたま目の前を走っていた若い女性に「頑張って8時間きるよ!」と追い抜きざま声をかける。「頑張ります」と返事を聞いたあとピッチを上げた。声をかけたのは本当は彼女にでは無かった。自分自身に向かっていったようだ。
あとでデータを見るとキロ4分台までダッシュして、4-50人はごぼう抜きにしてゴールする。そんな力があったらもっと前から走ればいいのに。
終わった。サロマの練習のつもりだった。確かに練習にはなったが自信は砕け散った。あとでシミュレーションしてサロマの関門で照合すると50㎞はクリアするが60㎞でつかまっていた。
今回100k完走したのは2008人中642人、60㎞は1092人中645人だったようだ。(DNS含む)ちなみに私は男子536完走者中253位。
過酷な条件から課題もたくさん見えてきた。残り4週弱。サロマはいいコンディションで臨みたい。