こないだ「不義理」を奨めたくせに真逆な話。
薄くなった縁とはいえ、住んでる所の自治会とか、大学のOB会とか普段は全く自分の生活には影響が無い割りに煩わしい「義務」っぽいものがある。
今夜はその大学のOB会の幹事会。毎年私の母校の県別OB総会が6月にあって、幹事は卒業35年、つまり現役卒なら57歳の年回りが当番ですることが「伝統」になっている。
一昔前なら「定年後」の設定だったのだろう。
私は今年まだ「当番」ではないが、下級生は事前に勉強のために会合に呼び出しがかかるのである。
母校に愛着はあるし誇りはあるが、率直に言ってOB会などなんかある度に「寄付金」のムシンぐらいしかしないだけで「特典」も「恩恵」もない無用の長物である。
ネットの無かった昔なら、しばらくぶりに会って旧交を温めるという目的もあっただろうが、当節仲のいい間柄ならSNSでたいていつながっていて連絡も取れれば、普段の動向は格段に掴みやすくなった。
賀状すら出さないでメールやSNSの投稿だけで年始を済ます時代である。OB会も新たな「役割」や「効果」を構築しないとドンドン求心力を失う。現にOB会の年会費の回収は落ちているはずだ。
じゃーいっそ無くしてしまえばという意見もある。
が、本当にそう思うか?というとおそらく会費を払っていない連中も、簡単には賛成はしないはずだ。
人間ワガママでめんどくさがりのくせに、どっかで「群れ」たがる。必ず帰属意識が働いて、自分の固有の存在認証に「日本人」であることだったり「⭕×大学卒業」というようなグループの存在が必要なのである。
学閥、企業閥、全て根元的な根っこはみな同じ。ある時期似たような共同体験をしたというだけで自分と同質的なものを無条件に求めたり認めたりするのは人間弱いからだ。
所詮他人は他人。天はみずから助くるものを助である。
一方群れるから対立しいがみ合い、国家間なら戦争になる。群れずに一人一人が互いの違いを認めたうえで相互にその違いを理解しあおうと努力すれば、今ここで核ボタンを押すことの愚かさに気づく事ができるかもしれない。
「社会」において相手の存在を否定するのは自分自身のそれを否定するのと同義なのである。
とここまで書いて「あーめんどくさい」なんて理屈っぽい論説(*_*)
ダメだなこんなオッサンの戯言は蛸壺のようなこのblogに封印しておこう(-.-)
それよりは会合、居酒屋で晩飯を食うだけに5000円取られる。酒を飲まない私は割り勘負けが勿体ない(^_^;)))