昨日ニュースを見ていたら体がまったく動けず声も出せない青年が目の動きだけでPCを操作し企画を作ったりSNSで社会とつながっている様子を映していた。
まさにデカルトのいう「我思う故に我あり」そのもののように人間の最も人間らしい「意思」の表現だけが彼を存在足らしめているようだった。
あの凄まじい状況にあっても運命を受け入れ理性を失わずに自分に与えられた時間に正面から向き合う姿は、今のちっぽけな私の悩みなど遠く思いが及ばない。
自由とは言えないが昨日から右手が動いてくれている。一昨日のように固まって物を掴むことができないのとは飛躍的に楽である。左腕を上げると肩が痛んだので昨日の水泳教室は欠席した。痛みのある時は動かないと決めた。一昨日は思うように動かない自分に腹を立て、不完全な体を与えた親を呪おうとしていた。
もともとエンヂュランス系のスポーツが趣味ではある。目標をもってトレーニングで自虐的に自分を追い込むのは慣れている。しかし今回の病気、本来守るべき自分自身に攻撃を始める免疫疾患なぞ細胞レベルで自分をこわしていくとはどMここにきわまれりだ。
人間の体は上手く出来ている。無駄な所なぞ何処もない。普通に生きていることって凄い。体がまともに動くというならなおさらで、更に競技に出ることができるとはなんと偉大な神の御技かと思えてきた。
感謝しよう、この大いなる偶然に。今朝も当たり前に生き、動けることを。できることとできないことの狭間で如何に納得して与えられた時間を過ごせることができるのかに尽きる。
起きるぞ。
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