娘夫婦の嫁入り先の改築計画は着々進行中で我が家への短期引っ越しのための断捨離は私の両親の遺品整理はほぼ完了した。
その間先回書き残した通り買い取り業者に日本人形とかニーズのありそうなものは徹底的に出したあと可燃ごみは45lの袋で30−40袋、資源ごみもほぼ同じ、それ以外の複合材と思しきものは名古屋市の環境事業所へ軽トラックで4回に渡ってトータルおよそ450kg、キロ20円の費用を出して持ち込み処分した。
残ったのはこの土地建物とアルバムと文化遺産のような古い書籍が数冊。このアルバムもスキャンしてデータにしてアーカイブしたら現物写真自身は剥がして保管しているがアルバム自身は処分を始めた。勢い自分のアルバムもスキャンして続いている。
整理していて白黒のものは紙も薄くて剥がして破れやすい。カラーになるとだいぶ剥がしやすくなる。2010年近くにスマホになって行くと紙焼き写真はほぼ消滅する。ガラケーは保存に耐えないクオリティだからまだカメラで撮っていたようだ。
一気にクラウドのデータ容量を圧迫したので200GBまでアップグレードした。昨日現在で17000枚近くになっている。
こうして過去の写真を見ているといろんなことを思い出すし考えさせられたり気づくことがある。
当たり前だが私は養子だから養父母と血縁がない。母は子供を産んだことがない。昭和の時代である。子供を授からなかった母がそれをコンプレックスに思っていたのは容易に想像がつく。
それでも両親だけでたくさんの旅先での写真を見ていると父がどれほど母を大事にしていたのかはこの歳になって私もリアルに気づく。いまさらだけど。
一方自分のハネムーンの時の写真で自分の若い頃の写真を見ると「こいつ大丈夫か?」と言いたくなる。青臭く、それでいて傲慢で何もまだ分かっていなかったように感じる。
その頃の女房の写真は可愛い。惚れるはずだなって今でも思う。で今互いに目を合わせて詐欺だと言いたくなるが同罪ということで痛み分けだろう。
子供たちの幼い頃は孫とみまごうほどそっくりで遺伝子の影響は偉大だと感じる。こんな可愛い孫たちもこんなオッサンとおばさんになるんだ。
こうしてデジタルアーカイブにしておくと何代か後の私の子孫たちも思い返して身近に感じてくれる日が来るかもしれない。