息子が小学一年生になった頃、私たちはヤマハのジュニア専門コースに入りました。 当時のJ専はエレクトーン専攻で、ピアノは幼児期からお世話になっていた先生にそのままお願いし、まさに“二足のわらじ”でのスタート。 毎週のレッスンが増え、楽譜も増え、私のバッグの中もどんどん音楽色に染まっていきました。
J専の仲間たちは、同じ目標を持ち、同じステージに立ち、同じ先生に評価され、同じコンクールに挑む存在。 仲間であり、ライバルであり、他のママ友同士では決して味わえない、濃密で特別な共同体でした。 その中で過ごした4年間は、今振り返っても人生の要となるほど貴重で、楽しくて、濃厚な時間でした。
みんなで挑んだアンサンブルコンクール。 新曲が配られた日のワクワク感。 「パートが多い」「今回は少ない」と一喜一憂した日々。 そのすべてが、母である私自身にも“青春のような高揚感”をもたらしていました。 子どものコンクールを通して、私自身も人生の一部をもう一度生き直していたのだと思います。
そしてピアノのコンクールでも、小1・小2と期待以上の結果を出してくれました。 楽器店では金賞、地元のコンクールでは予選通過、代表に選ばれ演奏会へ。 周囲から「ピアノ上手だね」「また賞を取ったね」と声をかけられるたびに、 自分の子が評価される喜び、認められる誇らしさ、習わせてきた選択が正しかったという安心感が、母である私の承認欲求を静かに満たしていきました。
しかしその一方で、成功が積み重なるほど、心のどこかに不安が生まれていきました。
——いつ、この座から引きずり降ろされてしまうのだろう。 ——いつか追い抜かれ、つまずき、自己嫌悪に陥ってしまうのではないか。
そんな声が、心の奥で小さく響くようになったのです。
一度金賞を取ると、それが“基準”になってしまう。 「次も金賞であるべき」という無意識のプレッシャーが生まれ、 成功が喜びではなく“義務”のように感じられる瞬間もありました。
周囲の期待は嬉しい反面、重荷にもなる。 子どもの評価が、いつしか私自身のアイデンティティの一部になっていたからこそ、 その評価が揺らぐことは、私自身の価値が揺らぐような恐怖を伴っていました。
「ピアノ上手だね」「また賞を取っているよ」 その言葉は、快感であり、同時に不安でもあったのです。 嬉しさと怖さが同居する、あの複雑な感情。 今振り返ると、あれもまた“親としての成長のプロセス”だったのだと思います。

