息子、高校2年になりました

このころから、コロナの規制が少しずつ緩和されて、 イベントも制限付きながら再開し、 ようやく日常が戻ってきた時期でした。

そんな中、私は吹奏楽部の保護者後援会の役員に。 本来は役員なんて避けたいタイプなのですが、 息子が副部長をしていたこともあり、 「誰も立候補しない場合は、役員の子の親が引き受ける」 という暗黙のルールがあったんです。

任期は2年。 高校生の親でありながら、学校へ行く回数もイベント参加も多めの生活でした。

 

 

東関東大会常連校の“親の忙しさ”

息子の吹奏楽部は、毎年東関東大会まで進む強豪校。 演奏会も大きな舞台が多く、 後援会は差し入れ・お弁当・記念品の手配など、 100名以上の部員を支える裏方仕事で大忙し。

メールのやり取りも膨大で、 発注ミスがあれば大ごとになるため、 保護者同士の連携もなかなかの緊張感でした。

 

 

部活に明け暮れる息子と、しぶとく続けたピアノ

息子は部活・部活・部活。 毎日練習に明け暮れながら、 夏だけはクラシック音楽コンクールに挑戦していました。

ただ、ピアノは“勝負曲”1曲だけ。 本当に「だけ練」で全国大会まで持っていくスタイル。

弾いていたのは、 リストの 「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」

高校生になると、吹奏楽もピアノも曲がとにかく長い。 パパさんは居眠り、子どもは退屈、 誰も聞いてない…そんな“本格的すぎる曲”に挑んでいました。

 

 

 

私の心にも、少しずつ変化が

この頃から、私の心にも変化が出てきました。 長年まとわりついていた“こだわり”が、 少しずつほどけていくような感覚。

地元では「ピアノであの子知ってる」と言われる息子でも、 場所が変わればただの無名。 息子のピアノ歴を誰も知らない世界。

その現実に、ふっと風が吹いたような気がしました。

 

そしてもう一つ、この頃って、もう4年前になるのですかね・・

私の心の中に、夫の定年退職のカウントダウンが始まっていることが、じんわりのしかかりました。

そして、私が始めたのは「老後資金作りの資産形成」でした。

こちらに、だんだん私はのめりこんでいくことになります。

 

 

 

 

高校吹奏楽のドーパミンは、中学とは別物

そして吹奏楽でも、 中学とは違う種類のドーパミンが出ました。

高校生の迫力サウンド。 皆で団結して金賞を目指す熱気。 ソロのたびに緊張しない、ちょっとした安心感。

あの頃は、本当にキラキラした時代でした。

 

 

高校3年。進路という“現実”がやってくる

そして迎えた高校3年。 進路は、息子の職業と直結する大きな選択。

音楽とのつながりを意識する私。 息子はどう判断するのか──

その決断については、・・