小4で気づいた“親の距離感”という大きなテーマ

小4のころの息子のピアノ生活は、今思い返しても本当に濃かったんです。 ヤマハのレッスンでは、コンクール曲の楽譜が真っ黒になるまで先生がチェックを入れ、同じ箇所を何度も何度もぐるぐる巻きにして指導してくれる。 楽譜はページがぼこぼこになり、原型がわからないほど。 その楽譜を、私が横につきながら家庭で直していく──そんな毎日でした。

 

“本選常連さん”という存在が見えてきたころ

この頃から、コンクールの本選常連さんという“有名人”がポコポコと現れ始めます。 学習者用コンクール、学生コンクール、ピティナ、県のコンクール…。 最後の本選で一位を取るような子たちが、同じ世界にいる。

そんな姿を見ていると、自然とこう思うようになりました。

「ここまで来たら、あのステージに乗りたい」

母としての“渇望”が、静かに芽を出し始めた時期です。

 

名のある先生を求めて、あちこちへ

その気持ちが強くなるほど、私はヤマハ以外でも高額なレッスン料を支払い、名のある先生のワンポイントレッスン、大先生の門下、セカンドオピニオンの先生── あらゆる先生のところに足を運びました。

どうすれば息子をあのステージに乗せられるのか。 そればかりを考えていた時期でした。

 

ふと湧いた「このままでいいのか」という感情

でも、ある日ふと気づいたんです。

息子は頑張ってくれている。 同じゴールを目指していると思っていた。 でも、小4の息子はまだ10歳。 学校では1/2成人式があり、「ここから一気に成長していくんだろうな」と感じていました。

担当の先生が熱心に教えてくれ、私がそれを家庭で直す── このスタイルは小4までは通用しても、高学年からは違うのではないか。

母がずっと横につくのは違う。 親が主導すると、子どもが自立できない。 親の熱量が子どもを圧迫する可能性がある。

そんな考えが、少しずつ心に芽生えてきました。

 

セカンドオピニオンの先生たちが示した“もう一つの現実”

不思議なことに、息子が出会ったセカンドオピニオンの先生たちは、音楽の道やコンクールに難色を示す方が多かったんです。

「このままだと、いつかピアノが嫌いになるよ」

 「ピアノをずっと弾いてほしいから、音楽の道は進めない」 

「音楽の仕事は本当に少ない」

その言葉は、私への“警告”というより、 私自身が心のどこかで感じ始めていた揺れを指摘されたようでした。

 

帰りの電車で揺れ続けた「渇望」と「葛藤」

レッスン帰りの電車の中で、私はいつも二つの感情に揺れていました。

✔ 渇望 あのステージに乗りたい あの子たちと肩を並べたい うちの子はできるはず ここまで来たら引けない

✔ 葛藤 このままでいいのか 子どもが苦しんでいないか 音楽の道は厳しい 親の期待が重くなっていないか 自分の選択は正しいのか

この二つが同時に存在する状態を、心理学では 二重拘束(double bind) と呼ぶそうです。 親はこの状態になると、心がとても疲れます。 でも私は、その中を必死に歩いていました。

 

 

子どもを信じ、 子どもの努力を支え、 子どもの未来を案じ、 自分の役割を見直し、 子どもの自立を考え、 音楽の現実を理解し、 親としての葛藤を抱え、 それでも愛を持って見守る。

今振り返ると、あの頃の私は「親としての成熟段階」にいたのだと思います。 揺れ続けた気持ちは決して間違いではなく、 息子の未来を本気で考えていました。