■報道への対処法は!?
日々、どこどこで

「〇人が感染!」

このようなニュースが

“恐怖のトーン”

とともに伝えられています。

でも、

「感染と発症」

とは意味が違うもの。

 

感染も発症もどちらも自然現象であって、発症し熱が出ることは、

 

むしろ

 

“喜ばしいこと”

 

であるはずなのです。

 

身体がウイルスと戦っている証拠だから、

 

「もう少しガンバろう」

「あとちょっと辛抱しよう」

 

このような慰めと励ましとを与えることこそが

 

“本来の医療”

 

の姿であるはず。

 

医学の父といわれるヒポクラテスの

 

「病者への愛」

 

とはまさに苦しむ患者に

 

慰めと励ましとを与え、自然治癒力の

 

“最大化”

 

を図るための、最重要の

 

「医療行為」

 

であったはずなのです。

 

それを

 

“感染した!”

“発症した!”

 

と本人もその家族をも貶めるかのように、

 

周囲もメディアも国も何も騒ぎ立て、

 

あたかも

 

「犯罪者」

 

であるかのように扱っている。

 

感染が問題だというのなら、

結核だって世界人口の半分は

感染

しているといわれているし、胃ガンの原因といわれる

ピロリ菌

の感染者数も、世界人口の約半分。

3000年前のミイラからもピロリ菌保有の

“痕跡”

が見られるといわれているのです。

日本だけでも

「約6000万人」

のピロリ菌保有者はいると推定されています。

感染し、保有しているけれども、発症しない。

私たちは、このことにこそもっと目を向けるべきではないでしょうか。

医療はいつだって私たちを

「か弱くて脆い」

あたかも質の悪い機械のように

 

“壊れやすい存在”

 

であるとしか、考えようとしないものです。

菌やウイルスに対して、何ら抵抗できないほどの

「ひ弱っぷり」

憐れかつ、か弱き患者を、お医者さまやおクスリの力で何とかしてあげよう。

 

こんな感でいつだって、

 

“お節介かつ余計な介入”

 

をしようとしてくるのです。

それは明らかに

 

「反自然なモノの見方」

 

といわねばなりません。

医療自身が変わることはおそらくないので、私たち自身が

“変わる必要”

を感じます。

 

「感染何名!」

 

なんて仰々しくニュースが流れて来たら、

 

“発症したの?してないの?”

 

解熱剤や抗生物質は

 

“使ったの?使ってないの?”

 

このように問いかけ直すクセをつける。

 

そんな必要を感じています。

 

 

注意本文より抜粋転載

 

是非読んでみてダウンダウンダウン